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なんどもいうのだが、私は離婚後「ネットの出会い系」で多くの女性とのやり取りを経験し、そこから多くを学んだ。
まず、メールを出す相手を探すには「プロフィール」を見るのだが・・・・
私が出会い系を始めたころ、複数の相手に「コピペメール」を送っていた時期があるのだが、だれかれ構わず「自己アピール文」を送った記憶がある。
いずれ学習機能の働く私は、一人ひとり、相手の「プロフィール」に合わせたメールを出し始めた。
つまり相手に合わせて内容を変え始めた・・・
で、そのためには相手のプロフィールをちゃんと見なければならないが、ある一時期その自己紹介として書かれたプロフィールには「似たような話」が結構多かった。
つまり二人に一人は「歳よりも若く見られます」と書かれていたんだが・・・・
これってちょっと問題なんよね・・・・
何が問題か?
他人がどう見ているか?ということを「自己紹介」に書いているんだけど、もしそれが事実だとすれば、残りの半分は「歳よりも老けて見られます」と書かないと辻褄が合わないよね??
でも誰もそんなことは書いていないということは・・・・
根拠があいまいなんだけど、実際に会ってみてそれが「事実」であった人は数えるほどしかいなかった・・・・いゃホンマ!!
で、もう一つ「自己アピール」としてよく見かけたのは、「他人の痛みがわかるようになりました」という言葉。
確かに、離婚を経験し、苦労をすると・・・・
「他人の痛み」が判るようになった「つもり」になるよね??
そんな文章を挙げていると「オトナだなぁ・・・・」と思われるよね??
で、ここで問題なのは・・・・
昨日も話したが精神科医のユングは「宇宙のすべては一つに繋がっている」というのだが、現実世界は、いゃ我々が現実だと思っている「マトリックス」の世界では、人間一人ひとり独立した存在であり、決して繋がってはいないよね??
このユングが言うところの「一つに繋がっている」というのは、例えば「1対1」の関係において、お金の貸し借りがあったとして、借りた側は「得」して、貸した側は返してもらわないと「損」をすることになるんだけど、これって「宇宙すべてが繋がっている」という考え方からすると、例えば借りた側の人も、他の誰かに対しては、お金以外のものでも「貸した」というより、「与えた」りしている場合があるんよ・・・
その与えた人が、また他の人に「別な形」で何かを与えたりしていて、その関係が「宇宙」を一回りして、最初に「お金を貸した人」にもその他の人から「めぐみ」が回ってきていたりするんよ・・・
つまりすべてが繋がっているとは「1対1」の関係だけじゃないことを意味するんよ・・・・
それはもっとわかりやすい言葉で言うと、「あなたが与えたもの」が「あなたが受け取るもの」と言われいるんよね・・・・・
で・・・・・
この「一つに繋がっている」という関係からすると、「他人の痛み」が自分にもわかったりしたりして・・・・・オイオイ
っうような甘い考え方は実は通用しないんよ!!
つまり一人一人の「神経」は繋がっていないわけやん??
また私は常に言うことに「常識」という言葉をみんな好むが、それは自分は「常識人」であり、他のほとんどの人は「同じ常識」を持っていると思い込んでいるからなんだけど、実際には似たような「くくり」においては、「似たような常識」は通用するけど、万人共通じゃない・・・・
で、このことを「痛み」に置き換えてみると・・・・
世の中には「天才とキチガイは紙一重」という言葉があるよね?
もう一つの似たような話があって・・・・・
つまり「痛みと快感も紙一重」なんよ・・・・・
痛みだって、ある限界を超えると「快感」として悦になることもあるんよ!!
それがまさにS・Mのせかいなんよ・・・・
SMつて特別の世界なんだけど、実は多くのオナゴには結構そういう「願望」もあったりするんよね・・・・
てな話は置いといて・・・・・
要するに他人はそれを「痛み」と感じているか、あるいは「快感」と感じているかなんて、単なる「自分の秤」で計っただけで、わかったような口を聞くのは間違っていると私は思うのだぁ・・・・
これって昨日の亭主関白の話と同じなんだよ!!
痛みってなにも肉体的なものだけじゃなく、精神的な痛みもおなじことなんよ・・・・
くまさん
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