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私の文章はとても長い・・・・
それは自分の経験を交えて話すからなのだが・・・・
現在GESARAを前に、物質界の3次元から精神世界の5次元に次元上昇中らしい・・・・
で噂によると5次元は天国のような(?)暮らしやすい世界に代わるはずだが、しかし「意識レベル」の低いものは、現在の3次元より上には行けないといわれている。
ゆえに「WH」も3次元世界で「茶番」を繰り広げ、羊たちの意識を上げようと頑張っている。
それに私のような「インディゴチルドレン」や、それに続く「他の星からの助っ人」たちも、なんとかみんなの意識を上げるために努力している。
で、私はすでに数十年前からネットの「出会い系サイト」のプロフィール欄にに、こんなことをずっと綴ってきた。
自分一人の幸せのためではなく、「みんな」が幸せになってほしいから・・・・
下記の文は2008年の8月に書いたものである。
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「話が合う」とか「気が合う」という言葉がある。 みんなパートナーにそれを求める・・・
だけど、どうなんだろう? 最初からそれってそんなにあるのかなぁ・・・
よく出会い系を見ていると、特に女性は「チャーミーグリーンの老夫婦の様に・・・」と言う。
にゃるほど・・・
歳を取っても、二人仲良く手を繋いで・・・
確かに理想だよね?
だけど、どうなんだろう、生まれも育ちも違う二人がいきなり暮らし始めたとき、はたして「最初」からそれが可能なのかなぁ・・・僕は疑問を抱く。
さっきの気が合うとか、話が合うと言うのもそうだけど、ヒトにはいろんな面があるはず・・・
そして、いろんな考え方があれば、おのずと、「ある一面」や「ある考え方」では割と一致することがあっても、違う面では、やはり自分とまるで違ったりしないかなぁ・・・
じゃ、そんな時どうする?
「こんなヒトだったの?」と失望する?
それとも、そう言う面は「無視」する?
あるいは「ケンカ」してみる?
ぼくだったら、喧嘩することを勧めるなぁ・・・
でも、好きなヒトと喧嘩をすることは誰も望まないし、できればその部分に触れずに済ましたいと思うよね、多分・・・
そこさえ「目を瞑る」ことが出来れば、仲良くやっていけると思う。
でも、それって「表面的」に仲良く出来るということじゃないかなぁ・・・
離婚の原因を考えたとき、僕は一番大事なのは「相手を知っていたか?」だと思うわけ・・・
そんなもん!!一緒に暮らしているんだから、「判りきって」いると思うよね?
そう、「判りきって」はいるけど「解かりきって」はいないと思う。
つまり、一緒に暮らしていながら、パートナーを誤解していなかったか?だと思うわけ・・・
それは離婚して初めて解かる事なんよ・・・
それを実感したヒトは多いと思う。
一緒にいながら、相手に対して「勝手にイメージ」を創っていなかったか?
おかしいと思うかもしれないけど、「相手に確かめる」事の重要性だと思ってみたりするわけよね・・・
それこそ常識と一緒で「そんなこと一々確かめなくても判っている」と思っていない?
でも、違うんよ、ホントは・・・
少なくても僕の原因はそこから始まっていたと思う。
「自分の尺度で相手を見る」誰でもそれは当たり前のこと。
ただ、それは立場を変えれば「相手も相手の尺度で、こちらを見ている」ということでしょう?
で、大事なのはこの「尺度」の差なんだと思う。
その差を把握できているか否か・・・
言い換えれば、相手と自分の差なんよ・・・
違うのは当たり前なんよ・・・
じゃ、相手と自分の違いは?と言うと、それを確かめるには「ぶつかる」事が一番だと思う。
そう、衝突してみることだと思う。
それを「避けて」いるから、相手を「誤解」するんじゃない?
「相手に確かめる」とはまさにそれなんよ!!
ぶつかれば、相手と自分の違いはすぐ「判る」。
この「判る」って言い換えれば、「知る」と言うことだと思う。
もし、相手を知ったときに、とてもやっていけないと思うのなら、別れればいい・・・
でも、もしそれでも何とかこのヒトと一緒にやっていきたいと思うのなら、次は「解かる」必要が出てくると思う。
早い話が「理解」する必要があるわけ・・・
よく、夫婦喧嘩で「アンタ、何考えてるの?」「理解でけへんわ・・・」という事があるやん?
まさにそれやん・・・・
「知らない」とか「理解」出来ないから、相手に「不信感」を覚えるんじゃない?
「自分と違う」と言うことは、実は一緒にやっていく上で、たいした問題じゃないと思う。
なぜなら「認める」ことでそれは不信感じゃなく「安心」に変わるから・・・
「違う」から旨くやれないんじゃなく、「知らない」「理解できない」事が原因じゃないの?と僕は思ってみたりする。
よく「何度も修羅場を経験した」と言う話を聞くよね?
そう、それくらいぶつかることもあって、しかもそれを何度も経験することにより、相手が「解かる」様になる。
それは片方がいくら努力して、辛抱しても駄目・・・
「互いに」そう思わないと・・・
僕が離婚して最初に付き合ったのが、17歳下の当時三十路の誕生日を前にしたヒト・・・
何も若いのを狙ったわけではなく、たまたまそうなったんだけど・・・
歳も違えば、価値観も違う・・・
最初は互いの一言が、胸に刺さったりするわけ・・・
何も自分ではそんな気で言っていないのに・・・
そんなことを何度も経験したんだけど、やはり僕は彼女と別れたいと思わなかったし、何より彼女自身が、性格はオトコで、さっぱりとしていて、尾を引かないわけ・・・
それに僕は助けられた。
彼女は1週間ほどすると、何事も無かったようにメールをくれた・・・
僕は素直に謝れたし、そして次へ進めた。
で、ある時思ったわけ・・・
僕と彼女は正反対の面が多々あり、僕はこんな感じで物事を深く考える。
彼女は「考えるだけ無駄」とあっけらかんとしている・・・
僕はそれを彼女の欠点だと思っていた、最初は・・・
ところが、そう・・・そんな衝突が何度かあり、それでも別れたくないと思ったとき、フト彼女を「見る目」を変えてみた。
つまり視点を変えると言うか「受け取り方」を変えてみたわけ・・・
すると・・・
その彼女の「悩まない」「落ち込まない」「深く考えない」と言う三拍子揃った性格って、それは欠点なんじゃなく、実は「僕には無い」「長所」であることに気がついた。
そう・・・モノは受け取り方なんよね・・・
それから、別れるまでの少しの間、僕は彼女の僕に無い長所を、少しだけど吸収できた。
だから、僕は自分が深く考えたり落ち込んだりして、胃が痛むことが多いんだけど、そうなる直前に「気持ちを切り替える」事が出来るようになった。
随分助かるよぉ・・・薬代が・・・オイオイ
そうなると、自分と相手との違いなんて当たり前だと思うようになるわけ・・・
一々それを気にしなくなるし、それで衝突しなくなるわけ、相手の違いを認めれば・・・
で、別れる間際の話だけど、彼女が車の助手席に座っていた。
彼女は明るくて、いつも一人でにぎやかにしゃべって、僕を退屈させない。
そんな彼女が、その時はやけに静かだったわけ・・・
なのに僕はそれを不安に感じるんじゃなく、安心感として受け止めていた。
で、その時「最近喧嘩しないね?」といった彼女が・・・
そして「仲良しだね・・・」と。
そうなんよ・・・2年間だったけど、何度も何度ももう駄目か?と思うような衝突をした。
だけど、それを乗り越えたとき・・・・
そう、黙って座っていても、相手の考えていることが解かる。
言葉を交わさなくても、通じるようになったわけ、相手を認めたから・・・
それがまさに「阿吽」だと思う。
だれも初めから「チャーミーグリーン」じゃないの・・・・
そんな修羅場を乗り越えたものが、相手と似てくるわけ・・・
そして、黙っていても心が火曜いゃ、今日は土曜日で・・・心が通うようになるんじゃないのかなぁ・・・と思ってみたりして・・・
くまさん
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