2009年の邦画である。
ラジオのパーソナリティが、番組中に北海道の少年から「笑うことのないおじいちゃんを笑わせるにはどうすればいいのか?」とハガキが届く。
パーソナリティは即答できず、「募集」する。
実はそのパーソナリティには喧嘩をしたまま亡くなった父がいたが、喧嘩のことで法事にも顔を出していない。
また、付き合っている彼がいるのだが、最近心が離れかけているのだが、その彼から「仕事で中国に転勤するからついてきてほしい」といわれるが、彼女はラジオの仕事を離れたくない。
その東京のラジオ局のパーソナリティは、北海道の少年のおじいちゃんを訪ねるが、追い返される。
しかし、おじいちゃんがなぜ笑わないのか?そのわけを知ることになる。
それはその少年の父親が4歳の時に、母親は夫の借金のことで喧嘩をして、家を出ていた。
それから、数十年の月日が流れ、初めておじいちゃんはそのパーソナリティの求めに応じ、伝えたくても伝えられなかった人への気持ちを伝える手紙を書く。
それは、実は家を出た女房へあてたお詫びの手紙だった。
それをまた東京で暮らす母親がラジオで聞く。
実は母親は再婚しており、娘も父親の名を言わずに出産した。
ほかにも何組かの心のすれ違ったカップルが出てくるのだが、そのパーソナリティ自身も喧嘩した父親が死ぬ前に書いた手紙を読み、父親の気持ちを知る。
そして彼女自身の気持ちも吹っ切れ、彼氏と父親の墓参りをして彼についていくことを決心する。
この作品、人はなかなか自分の気持ちを素直に相手に伝えられない。
特に男は、愛情を素直に口にできないぶっきらぼうなところがある。
私事だが、私も別れた女房には「愛してる」となかなか言えなかった。
それが日本男児の特徴でもある。
その一言が相手に伝えられるようになるまでには、随分と人生で学ばなければならなかった。
このおじいちゃんも典型的な不器用で無愛想な日本男児の見本のように思える。
(資)文化財復元センター おおくま
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