このタイトル・・・・・
普通だったら、誰か強力な統制力をも人間を指すものだが、このストーリーでは「1本の樹」を指している。
実在するモノとは思えないが、何やらその1本から毒性の強い物質が周辺の土に流れ、周りのすべての樹が死滅する・・・・
主人公は刑事なのだが、事件の失敗で罷免されたようだが、なぜかそんな男が森の中で、この1本の木をめぐり、その樹を活かそうとするもの、その樹を取り去り、周りの生態系を元に戻そうとするもの、あるいは植林の関係者、その樹を売って金を得ようとするもの・・・・
四つどもえの争奪戦の中で、彼はどちらの意見が正しいかと最初は悩むが・・・・・
結局、結果は出ない・・・・
いゃ、どれも正しくないし、間違ってもいない。
ただ「違うだけ・・・・」と言う結論にたどりつくのだが、それぞれの立場の人間も、結局は自分のことしか考えていない・・・・
ただ、この映画の意味するものは、多分・・・・
ほとんどの人には「理解不能」な気がする。
そんな映画を監督は創っているのだが、多分言わんとすることは、世の中、正しいものも間違ったものもなく、最終的には結論もなく、ただ「あるがまま」に任せるしかないということ。
言い換えれば、スピリチュアルな考え方に、神さまはなぜ善なるモノしか創らず、悪なるモノも創ったのか?
と、言う問題だと思う。
つまり、絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない・・・・
要するに、イデオロギーの違いや、宗教の違いで、自分の方が正しく、相手が間違っていると思ってしまう、我々人間に対して、神はあえて何の手も出さない・・・
有るがまま、なすがままに任せ、じっと黙って人間のすることを見ていて、いずれ人類が滅びようとも、決してノアの方舟の様に、助け舟は出さないのだろうということを、言いたいのではないかと、スピリチュアルに考えてしまう。
霊的レベルは「ほどほど」に高いのかもしれない・・・・
(資)文化財復元センター おおくま
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