「ショコラ」αビデオ

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2000年のアメリカ映画である。
 
この映画の話は、確かに当時聞いた覚えがあり、見てみたいと思った。
 
フランスの小さなある村に、赤いマントを着た母親と娘の親子がたどり着く。
 
その村で「ショコラ」の店を開くのだが、実はその村の村長でもある伯爵が、とても堅物で、村人に影響を与え、その親子を追い出そうとしたり、たどり着いたジプシーたちも追い払おうとする。
 
ところがその母親の創る「ショコラ」は不思議な魔力を持ち、村の人々を惹きつけ、そして幸せにしていく。
 
 
世の中、「正義感」をもち「自分は正しい」と思い違いをしている人々がほとんどなのだが・・・・
 
 

この伯爵もその典型で、その親子は村人を堕落させると信じ、ジプシーすらふしだらな人々だと決めつけ、教会に通わないその母親と付き合わないように村人に御触れを出すが、結局村人の一部は彼女の「ショコラ」の魔力に負ける。
 
 
そんな中、伯爵自らその店に忍び込み、飾ってあるショコラをめちゃくちゃに叩き潰すが、一口、口に入ったショコラの魔力に自らまけてしまう・・・・・
翌日その主人に起こされたとき、「すまない・・・」と伯爵は謝り、主人は「内緒にする」と彼を責めない・・・
 
はたして、どちらが正しかったのだろうか??
 
翌日教会で若い神父は
 
私は神の奇跡的な復活を語りたいのでしょうか
違います。
神の神性について語るよりも—
人間性を語りましょう
 
 
彼がどのようにこの世で暮らしたか
その偉大さや寛大さについてを
私はこう思います
人間の価値とは
何を禁じるかでは決まらない
何を否定し—–
抵抗し排除するかでもない
 
むしろ何を受け入れるかで決まるのでは?
 
何を創造し—-
誰を歓迎するか
 
と、控え目に説教した。
 
元春日大社の宮司であった葉室頼昭さんは
親鸞聖人の「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」について
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これはどういうことかというと、いい人というのは、善人ではなく、自分に悪かったと自覚していないひとです。 自分は悪いことをしていないと言う人でも、仏はすくおうとされるんです。 
 
そして悪人というのは、私が悪うございましたと目覚める人です。 そういう人は救われるのは当たり前である。 こういう意味なんですね。 
 
だからいちばん救われないのは、おれは悪いことをしていないんだ、おれは善人だと言う人がいちばん救えない。
 
それは神道の祓いと同じです。 一生払い続けて罪・穢が払われると言うこととおなじです。
 
自分は悪かった、間違っていた。 だからもっと改めましょうと言う人は救われる。 おれは悪くないんだ、おれは正しいんだと言う人は、神さまでも仏さまでも救えない。
 
こういう人は地獄に落ちていきなさいという意味なんです。 ですから、じぶんは正しいと思っている人は、ざんねんだけど地獄に行ってください。(笑)
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と、著書の中で言われているが、我々は自分は常識人であり、自分の常識はすべての人々と同じであり、自分の考えは間違っていないと、思い込んでいる。
 
しかし現実は、持ち合わせている常識は、人それぞれ違うし、正義感なんて立場が変われば180度違ったりする。
 
 
また高橋信次の教えは「中道」に在る。
中道とは偏らない事・・・・
釈迦も同じことを説いている。
 
この映画、ちょっぴり見るものを幸せな気持ちにさせてくれて。霊的レベルは、海猿と並ぶほど高いと私は思う。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 
 
 
 
 
 
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①-読書録
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