実話です「親分はイエス様」YouTube

久しぶりにシスター鈴木秀子の本を3冊読んでみた。
 
元々私の守護霊に導かれ、数人の人々の存在を知ったのが半年ほど前の話。
 
それぞれに私が学ぶべきものを持った人々であり、またそれらは「宗教」の枠を超えた「霊的レベル」の高い人々であったが、このシスター鈴木秀子さんからは、特に多くのことを学んだ。
 
先日「無心」を学ぶ中で、神がもし櫂も帆もない小舟で大海に出ろと言えば、何の迷いもなく船出する、それが「無心」の例えだと鈴木大拙の本に有ったが、頭では理解できても、いざその覚悟を決めたつもりでも、実は「何をすべきか?」がイマイチ解らない。
 
」とは何か? 何もないから無なのだが、しかしその「」と言う状態が正直解らない・・・
 
何も考えない、何も行動しない・・・・
 
だけど、努力家の私にはそれ以上苦痛なことはない。
 
そこでいろいろと考えたのだが、一番「安らぎ」を覚える方法として、選んだのが鈴木秀子の著書。
 
彼女の文章には「」がある。
労わり」が有る。
 
3冊読んで、もう一度それを再確認したのだが、その3冊目に「神は人々を何処へ導くか」を読んでいる最中だが、彼女は8年間に及ぶ「沈黙の行」を体験したカトリックのシスターであり、その彼女から「」と言う存在について多くを学んだのだが、その本の中に「ブラザーサン・シスタームーン」と「親分はイエス様」と言う映画の話が出てきた。
 

さっそくYouTubeで検索したが、さすがに「ブラザーサン・シスタームーン」は無料では見れない。
 
しかし「親分はイエス様」はなんと韓国語の字幕付きだが、無料で全編見れた。
 
 
この映画、どうも実話らしい・・・・
 
日本の対立する二人のやくざの女房が、どういうわけか、二人とも韓国女性で、しかもクリスチャンだと言う。
いろいろあり、その一人のやくざは足を洗い、十字架を背負い、日本縦断の行進を始めた。
 
対するもう一人のやくざも結局は十字架を背負った。
 
なんかありそうで、無い話でが、しかし実話だと言う。
 
見ていて、何度も涙がこみ上げてきたのだが、昨日「正義感」の話をした。
 
 
 
その中で自分が正しいと思う気持ちは、時として度が過ぎると間違いを起こすと言った。
 
それは実はシーシェパードの話だけではなく、Facebookでは「在日」「韓国」「中国」の反日活動に対し、多くの日本人が反感を抱いている。
 
いゃ、私もその一人ではあるのだが・・・・
 
しかし、私は多くを学ぶうちに「罪を憎んで、人を憎まず」と言う言葉に出会ったが、まさにそれと正義感は無縁ではない。
 
 
確かに多くの在日・韓国人・中国人は、日本人の感覚からすると、とても異質であり、持ち合わせている常識もずいぶんと違う。
 
 
しかし、もう一度考えなければならないのは、全ての在日・韓国人・中国人が同じではない事。
 
それは我々日本人だって、それぞれ考え方が違う。
 
一歩下がって、もう一度そこのところを考えてみないといけないと気が付いた。
 
この映画に出てくる韓国人の奥さんたちはとてもまともでも、日本人のやくざの亭主の方がよほどまともではない。
 
これは日本人の感覚でもそう感じる。
 
 
そう、もう一度考えなければならないのは、十束一絡げに「」で区別するのは間違いだということ。
 
一人一人実はみんな違うのだということを、ちゃんと理解しなければならないと思う。
 
それを学ぶのに、実にシスター鈴木秀子はよい見本を教えてくれた。
(資)文化財復元センター  おおくま
 
 
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①-読書録
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