「中国古典からもらった不思議な力」北尾吉孝・著

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君子を目指せ小人になるな」と同時に取り寄せたものであるが、著者の本はこれで3冊となった。
 
最初の「窮すればすなわち変ず」は元々、彼の仕事がらみのブログに書かれていたものらしく、会員相手に自分の投資に対する見通しを述べるのは当たり前なのだろうが、しかしそれが1冊の本となった時、読者は別の見方をすると思うが、私もわざわざ買った本の中でそんな経済の話を聴きたいとは思わないので、読み飛ばし、後半を読み始めたが、期待するほどの内容ではなかった。
 
 
 
次に「君子を目指せ小人になるな」は、仕事の話はほとんどなく、純粋に「君子」についてわかりやすく書かれ、それはとても役に立った。
 
 
さて、この本なのだが・・・・
 
著者が中国古典から、もらった不思議な力とは何か?
 
それを期待してずっと読み進めた。
 
 
 
確かに書かれていることは正しいとは思う。
 
 
ただ、先ほどの「君子」の条件に著者が果たして当てはまるか?と考えた時、はっきり言って疑問が残る。
 
確かに中国古典については詳しく、正しい解釈をされているのだろうが、先ず気になるのは、この本の中に、「ホリエモン」の話が随所に出てくる。
しかも彼を「悪人」として書かれていることは確かなのだが、ブログやあるいは雑誌のインタビューの中にその手の話が出るのはまだ許せる。
 
しかし、1冊の本として出されるものの中に、「他人の悪口」を平気で載せる者の気がしれない・・・
 
君子は決してそんな事しないはずだと思う。
 

 
ましてはこの本、中国古典をちりばめながら、自分の仕事がらみの話ばかり・・・
しかもそれを読めば「手前味噌」としか思えないものばかり。
 
例えばソフトバンクの役員会で、「純利益の1%」を社会貢献に寄付すると決めたと言う。
 
なるほど立派だと思うが、仮に本当に「」を説く者なら、最低限「10%」いゃ「30%~50% 」を寄付してこそ、それを口にする価値があるのではと思う。
 
 
むしろその数値が自分たちの取り分で、残りが寄付している人は、世の中に大勢いるはずだが、そういうほんとうの「」を積む人は「陰徳」と言うらしいが、決して自ら公にしない人たちだと思う。
 
 
また彼の手前味噌の話だが、自社の入社試験で、8人ほど並べ、いくつかの質問の後に「今までの他の人の話の中で、何が良かったか?」ということを質問し、それの応えこそが、本当の質問だと言う。
 
一見、なるほどと思うだろうが、よくよく考えれば、彼は「その人の立場でものを考える」ことをこの本の中で薦めている。
そうすると・・・
 
自分の一生が決まる大事な就職試験の時、全ての人が少なからず上がっているはず・・・・
自分の応えを考えるだけで精いっぱいの人に、他の人の話を聴いて、覚えていたり、それを評価するほどの余裕はないのが当たり前ではないだろうか?
 
もし彼が試験を受ける立場の気持ちを本当に大事に出来る人なら、こんなことはしないはず。
 
もっと一人一人が落ち着ける場を設け、その中でそれを聞くべきではないだろうか?
 
先ほどの「ホリエモン」の話だが、ネットを検索すると、ホリエモンも彼の悪口を言っている。
 
どっちが正しいかと言うより「どっちもどっち」ではないかと思う。
 
 
先ほどの会社としての社会貢献以外にも、個人としても「こども」に関する施設を作っていると、他の本にも書いているが、本当の「君子」は決して自らそういうことをおおやけにすべきではないとおもう。
 
残念ながら、この本も半分以上読み続けたが、後半も同じような話なので、途中で本を閉じた。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
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①-読書録
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