この本の存在は「神道よ!今こそ,《古来の本物の道》に戻るのだ!」の中で「エハン・デラヴィ」氏が紹介していて知ったのだが、また彼は「エハン塾」の動画 https://www.youtube.com/watch?v=R3nmjDf1NbE の中でもそれに触れているので、興味がわき、これはまだ新しい本なので、新刊を取り寄せた。
昨日から今朝にかけ一通り読んだが、この本の著者は脳神経外科医であり、「意識は脳が創りだす」とずっと信じてきたのが、自分自身が脳がメルトダウンした状態で1週間を過ごす羽目になった。
ところがその間に「天国」と思われる世界を体験していた・・・
著者自身が一番信じられない体験をしたのだが、それはちゃんとみんなに知らせる義務があると考え、本を出した。
しかし、どこの世界もそうだが、「唯物論」者の集まりである医学界で、「神」や「天国」の存在、ましては「意識は脳以外で創られる」なんてな話をすれば、誰も相手にしないことを彼自身解っていたが、しかし「自分がそんな経験をしたということの意味」を考えると、自分にはそれをみんなに知らせる義務があると考え、あえて本を出した。
するとその本はアメリカで200万部のベストセラーとなったという。
で、紹介したエハン・デラヴィ氏は、先ほどの動画の中にもう一つ、最先端科学者「ロバート・ランザ」教授により「死後の世界はあり得る」という説を唱え、それが今科学者の間でも支持されつつあるという。
以前からスピリチュアル系で「アセンション」という言葉が頻繁に使われてきたが、それが「精神世界」の支持者だけではなく、唯物論者である科学者や医学界でも、神や天国や死後の世界や「意識が先にある」ということが、科学的にも証明される時代となり、明らかに我々人類は「アセンション」に突入したと言えるのではないだろうか?
著者自身が脳神経外科の権威なのだが、ある日突然背中の痛みを覚え、緊急入院する羽目になる。
そして意識不明でまったく脳が機能しない状態で6日間を過ごすことになるのだが、彼自身が病院に運ばれて、意識を失う前に最後に発したのが「神さま、助けてください」だったという。
しかし普段は彼はあまり熱心な信者ではなかったという。
それでも最後に頼るのは「神さま」だった・・・
彼は昏睡状態で、脳が機能しない状態であったにもかかわらず、その間の「意識」があり、それをちゃんと「記憶」していたという。
最初に彼は暗い泥の中の世界のように感じたという。
やがてゆったりと回転する光体が現れ妙なる調べも聴こえてきたという。
そして隙間が現れ、そこへ向かって猛スピードで上昇はじめたらしい・・・
そしてその隙間から別の世界に出た。
そこは下に田園地帯が広がり、その上を飛び続けたのだが、とてもリアルな感覚だったという。
しかし彼は一人ではなく、そばに美しい女性が付き添っていたという。
その彼女は著者に言葉を介さずに「安心」を与えてくれたという。
また彼はその昏睡状態にある間に「神」の存在を感じたという。
その神は極めて間近に感じられ、自分と距離がないにもかかわらず、無限に広大であると感じたという。
その神を彼は「オーム」と呼んだ・・・・
彼はその世界をいろいろと見学して回ったが、付き添う女性は「いずれ帰ってもらいます」と言ったという。
彼は奇跡的に7日目に目を覚ます。
そしてその間の出来事を後日分析しはじめるのだが
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脳が介在しない精神活動とは、瞬時にすべてが繋がり合う世界に入ることだ。
そこで普段の思考(物理的な脳、光の速度などによって制限を受ける面を指す)が絶望的なまで鈍重に感じられる。
人間の最も深いところにある正真正銘の自己は、完全に自由である。
過去、地位やアイデンデンティティといった要件に歪められたり、型にはめられたりはしない。
正真正銘の自己は、この俗界におそれるものはないことを承知していて、富や名声、支配などに頼って自らを構築する必要性を認めない。
これぞが純粋な霊的自己、人類がいずれ立ち返る定めにある姿なのだ。
だがその日が来るまでは、できる限り努力してそのような素晴らしい側面に触れ、それを育み、引き出すことに力を尽くさなければならないだろう。
“それ”はたったいまも我々の内に息づき、人類に対して神が真に意図する姿に他ならない。
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そして
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神を人間味の無い存在と想像するのは、われわれがおかしやすい最大の間違いだ。
確かに神は、科学が解明に務めながら明らかにしている、完璧な宇宙を表す数字の向こうに姿をひそめている。
しかし逆説的ではあるが、オームにはそれと同時に豊かな情緒が備わり、その人間味は我々以上であるとさえ言ってもよい。
オームは我々の想像を絶するほどの深さと感心をもって、個々人の置かれている状況を熟知し、共感を寄せている。
我々が忘れてしまったものの喪失を承知していて、わずかな間でも神聖なつながりの記憶をなくした状態で生きることがいかに過酷であるかを、よく理解しているからなのだ。
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この本は脳科学者である著者が、臨死体験をし、そして今まで言われていた死後の世界の存在を体験し、自分の間違いを受け入れ、科学的に解明しようとしたものである。
(資)文化財復元センター おおくま
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