人は良く「常識」という言葉を好んで使う。
そんなん常識やん??って、誰でも思う。
だけど、本当にみんなが同じ「常識」を持っているのだろうか?
昔のギャグに「貴方の常識、私の非常識」という言葉があった。
まさに的を得ていると思う。
ただ、いろんな大雑把な「くくり」において、おおむね常識とされることは一致してはいる。
だからたとえば同じ人物であっても、その時その時の自分の置かれている「立場」によって、言う事が違ったりする。
その括りの一つに「民族」というものがあると思うが、我々日本人の感覚からして「常識」と思えることが、他の民族には全く通じないことは多々ある。
私は文化財の復元という仕事に携わっている関係で、中国の素晴らしい文化遺産には大変興味を持っている。
できることなら、それらを後世に伝える手伝いをしたいと願う。
しかし、どういうわけか、現在の中国に人々の意識の中に、それらを貴重な民族遺産と考える人はあまりにも少ない。
ある文化財関係の知人から聞いた話だが、NHKの30年以上前に放送された「シルクロード」の取材に対し、多額の協力費を払ったことに端を発すると聞いたことがある。
つまり文化財を「金のなる木」だと勘違いしているらしく、日本の研究者が日本政府の研究費を持ち、中国の文化財の調査をする。
そうすると地元の文物局には、協力費の名目で金が入る。
数年前、そんな研究者の技術協力でシルクロードに行ったことがある。それぞれの地区にその担当機関はあるのだが、彼らは私の「デジタル復元技術」そのものに大変興味を示した。
いくつもの機関が私に「テスト復元」を持ちかけてくるのだが、どういうわけかどこもその費用を負担しょうとしない。
すべては日本がタダでやってくれるものだと思っているらしく、復元結果の権利は中国側にあると権利は主張するが、金は一切出さない。
早い話が、口は出すが金は出さんという事の様である。
こんなん、日本の常識では考えられん・・・
それが彼らの常識だというから、たまったものではない。
研究者なら自分は給料をもらいながら、さらに研究費をいただける。
しかし、我々民間人はそうはいかん。
そんな中国が日本を抜き、経済大国となった。
日本政府は多額の支援をしてきたにもかかわらず、連中には感謝の気持ちはさほど感じられないのは、あれだけの文化遺産を築いた民族の子孫として、とても情けなく思う。
コメント