②-思い (我思う故に我あり)

やはり、神こそ「真我」????

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毎朝、ずっとブログに書いてきたものを、facebookやxにリンクを張って、アクセスを誘っているのだが、現実は見る人が少ない・・

ただ・・・

当然、その記事を自分で再読してからリンクを張るのだが・・・・

もう手元に残っている記事としては12年前あたりから後だが、その前から「精神世界」の本をずいぶん読んでいるので、その本で学んだ事、役に立たなかったことなどを綴っているのだが・・・

今朝リンクを張った記事の中に

と言うのがあり、すでに2015年の2月に書いた記事だが、そこに

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要するに「神とは真我である」と彼は言う。
そう、神とは自分の中に在る・・・・

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と、書いていた・・・・

つまり先日の「神からのメッセージ」が言っていることに嘘はないわけだ・・・・

だけど・・・・

先日も書いたが、もう20年以上前から「精神世界」で学んでいる私でさえ、「理屈」としては理解できるが・・・・

しかし100% は、納得はいかないと書いた。

つまり、90%くらいは「納得」できるけどと・・・・

その件で、今朝も易神と喧嘩したのだが、「無心になって神に委ねろ!!」と言われて、じゃ本人は何の努力もしないで、「のほほぉーーーーん」としていりゃ、神様が喜んで「いい人生」を送らせてくれるの??

と、思うよね????

仮にそれが事実だとしたら・・・・

じゃ「」って、何のために何度も何度もいろんな人生を経験してるの?

つまり「経験から学んで」「魂を磨くため」じゃないの??

って、疑問がわくわけよ・・・・・

つまり、「本人の努力」が欠かせないはずなんだけど・・・

なのに「馬鹿になれ」とか「無心になれ」とか言われるのって、おかしくない??

確かに「」は一番いい人生のレールを用意してくれていて、そこから外れると・・・・「勝手にしろ!!」と放りだすわけか???

そりゃ・・・無いやろ??

つぅことは・・・・

本人の努力」と「神に委ねろ」と言う話は、一見矛盾しているように思えるけど・・・・

でもホントは、その両極端にも「兼ね合い」があるはずなんよ・・・・

そこの兼ね合いというところが、20年以上学んでいても、まだわからないんよね・・・

くまさん

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