②-思い (我思う故に我あり)

「小さな親切」と「大きなお世話」

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この二つ・・・・

「似て非なるもの」と思われる。

まるっきり反対の事と思われるけど、本当にそうだろうか??

その前に、なんでこの二つ、大きさに違いがあるのだろう・・・・

そんな疑問を持つのは私だけだろうか??

私は思うのだが、人が「他人に行う行為」の一つに「親切」というものがある。

特に日本人は世界的に見ても、「親切な民族」と思われている。

で・・・・・

「親切」って何???

てなこと、考えたことがあるだろうか???

「親切」って、言い換えれば「相手を喜ばせる」行為といえるよね?

で・・・・

「親切心」って、なにか「見返り」を期待してやることだろうか??

つまり「無償の愛」といえるか否か・・・・

親切心から「相手を喜ばせる」つもりで、やった本人は「大きな親切」っていうだろうか・・・・・

親切な人って、決してそんな言い方をしない。

一方・・・・

なんで「お世話」って「大きい」の????

これって、『放っといてんか・・・・」と思う側の言い分だよね??

つまり「小さな親切」って、それを「発する側」から見た話で、もう片方はそれを「受け取る側」から見た話といえる。

で・・・・

なんでこんなに違いがあるのだろう??

「発する側」は謙虚に・・・・

「受け取る側」は誇大に思う・・・・

を読めばわかるんだけど、「とある答え」があるとする。

その答えを見つけたのが「自分自身」だとする。

そうすると、その答えを自分は「すなお」に信じるし、疑うこともない。

だけど・・・・

その同じ答えを、自分ではなく「他人」から教えられたとすると・・・・

同じ答えなのに、人間って「違う反応」を示すんよ・・・いゃホンマ!!

つまりどんなに正しい答えであったとしても、他人から言われると・・・・

「心にブレーキ」が掛かる。

けっして「すなお」には受け取れないところがある。

それが結局のところ・・・・

「発した側」は「謙虚」に言ってることでも、「受け取る側」はブレーキが掛かっているから「反感」を抱く。

つまり、この二つ、「似て非なるもの」ではなく「同じもの」だと私は思う。

で・・・・

で、なんで人は「他人の話って、すなおに取れないんだろう???」と思わない??

他人が「親切心」から言ってくれていることを、「反感」をもって「逆に受け取る人」って、とても多い!!

その結果・・・・・

自分って何か得することがあるのだろうか?

何にもないよね・・・・

むしろ得どころか、「損」をしていることに気が付かない???

つまり自分の人生において「マイナス」なんよ!!

他人の話に耳を貸さない「損」をしている自分って、変えられないのかな・・・・・

誰だって、人生において「損」など望まない・・・

じゃ、どうすれば「損」を「得」に変えられるだろうか???

その答えって「単純明快」なんだけど・・・

実はある意味「とても難しい」ことでもある。

それは単に「受け取り方」を変えるだけ・・・

こんな単純な話なのに、なぜ難しいのか??

私の経験談なんだが、人は「自分の立場」でしかものを考えられないところがある。

私自身、離婚経験者でネットの出会い系で「人生のパートナー」を探し続けていたのだが、そのやり取りの中で「離婚の原因は相手側(男性)の側にある・・・」と大半の人はいう。

で、そんな女性の話を聞くと「自分は相手を間違えた・・・」「だから今度は相手を換えれば幸せになれる」という・・・

でもそれを聞いている私は「男」なんよ・・・・

そうすると女性の話を「彼女の立場」で聞いていても、実際は逆の亭主の側の気持ちがわかるわけ・・・・

「原因は双方」にあることが見えてくるわけ・・・

つまり、換えなければならないのは「相手」ではなく、「自分の受け取り方」を変えなければ決して次のパートナーとは幸せになれない。

ここまでは、そんな相手にも言って聞かせれば「理解」できるんだけど・・・・

問題なのは「受け溶け方を変える」という方法がわからない・・・・

ここでまた話は少し変わるが、私は時々「幽体離脱」を経験する。

つまり、「自分の意識」が「体」を離れ、例えば部屋の天井付近に意識が浮遊して、眼下の「自分の体」を、じっと「第三者」のような気持ちで「客観的」に見ていたりする。

もし、これができれば誰だって「受け取り方」を簡単に変えられるんだけど、誰もこんな話信じようとはしない・・・・

さっきの離婚の原因の話に戻ると「自分の言い分」があるように、相手にも「相手の言い分」があるんよ・・・

そのことをちょっと自分で考えてみるというのが、一番の「受け取り方を変える」秘訣ではないだろうか・・・

また、最初の話に出てきた「心のブレーキ」を外せたら・・・

他人の話でも「すなお」に受け取れたりする。

その方法として、私みたいに「意識」を天井付近にまで飛ばさなくっても、「自分の意識をちょっとだけ横に」ずらすことって、そんなに難しいことではないと思う。

そうすれば、他人の言葉でも「他人事」として、自分の気持ちの中に入りやすいんよ・・・・

そこんとこ、とても大事なことなんよ!! いゃホンマ・・・

くまさん

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