- 【「変わる」ってなんだろう・・・】
- 2006年06月02日08:46
ホント、18年も前だけど・・・・
ヒトにはいろんな面がある。
一つの面だけで、そのヒトをイメージすると、あとで失望することがある。ただ、そのヒト「らしさ」とか、あるいは「信」じゃなかった、「芯」と言うものはあるとは思う。
僕はよく固まっているヒトの話をする。
ヒトは生まれたまま、何も変わらないヒトはいないと思う。
そして、環境や周りのヒト、そして教育、宗教はそのヒトに多大の影響を与えるよね・・・
それは「影響」というより、実はヒトはその中から「学ぶ」と言うべきだと、思ったりする。つまり、それらは「詰め込む」いゃ「詰め込まれる」モノではなく、実はそのヒトの「取捨選択」により「えり分け」られてはいないだろうか?と思ってみたりするわけ・・・
でも、赤ちゃんや小さな子供にそんなことが出来るのかなぁ・・・と思うよね?
当然意識しては無理かもしれないけど、ひょっとすると「無意識」と言う「意識」の中でそれはされているのかもしれない・・・で、なんでこんな訳の解からない話をしているかと言うと・・・・
ヒトは人生においていろんな事を学ぶと思う、僕は・・・
で、それは確かに歳とともに鈍るかもしれないけど、生きている限り続くと思っている。で、いきなり話は変わるけど、「言うことがコロコロ変わる」って言うよね?
これって、「その場しのぎ」だったり「一貫性」が無かったり、余り良い意味では使われない。「ヒトが変わる」とも言う・・・
これは良いときも有れば、悪いときもある。「ヒトを変える」と言う言葉があるかどうかは、判らないけど、「他人」を変えると言えば判りやすいかなぁ・・・
悪い意味ではマインドコントロールと言うものも有ると思う。
いゃ、もっと言うと「ヒトを操る」ということもあるかなぁ・・・だけど、それらには相手の「意思」が感じられないよね?
そうじゃなく・・・
よくヒトは他人とか、あるいは特に身内に対しては「いけん」をするやん??
これって、一体どういうことなんだろうと考えたことはあるかなぁ・・・「小さな親切」と「大きなお世話」と言う二つの相反する言葉がある。
だけど、実は根っこは同じじゃないかと思ったりする。
問題なのは「受け取り方」の違いだと思う。で、さっきの「いけんをする」と言うことも、実はそれではないかなぁ・・
何もヒトは、他人やはたまた身内に対して、「悪意」を持っているヒトはそうはいない。
つまり「こいつを何とかして、陥れてやろう」と思って意見をするヒトはいないよね、悪人を除けばの話だけど・・・
少なくても「その人のため」と思って言っていたりする。
ただ、もう一つ問題なのは、その基準はあくまでも「自分の計り」で、そう思っているだけなんだけど・・・
そして、確かに当人からすれば「的外れ」の話だったり、まさに「大きなお世話」だったりすることもあるよね・・・ただ、「反面教師」と言う言葉もあったりする。
問題なのは、本人がそこからなにを学ぶかじゃないかなぁ・・・と、訳のわからない話が続いているけど、ヒトって絶対に変えられないという事が、自分の経験上解かってきた。
何の話かというと・・・
そう・・・「他人」がいくら「本人のため」にと、いろんんな事を言って聞かせても、それだけでその人が変わることはけっして無いと言うことなんよ。なぜなら、本人はそれを「強制」されていると受け止めるから・・・
僕は常に自分の頭で物事を考える。
そして、自分で答を出す。
つまり「納得」出来ているわけでしょう?大事なのは、そこなんよね・・・
例えば、一つの答があるとする。
それは同じ答であっても、もし「自分が導き出したもの」であれば、それは素直に受け止められる。
だけど、もし同じ答をヒトから言われたら??
例え、その答に対して「自分でも正しい」と言う認識があったとしても・・・・
それって、素直に受け止められるか??出来ないよ、なかなか・・・
そう、「強制」されていると言う意識が働き、「反感」を抱いてしまう。
でも・・
それって相手が悪いのかなぁ・・・
僕は違うと思うわけ。
反感を感じるようなことを言う、相手が悪いのではなく、悪いのは「自分自身」だと思う、素直になれない・・・・僕が「変わる」事の必要性を説くのは、実はそいう「自分自身」を「自分」で変えないと、最終的に困るのは「自分自身」じゃないかと思うわけよね・・・
「変わる」と言うと、なんか今の「自分を否定」されているように受け止めるヒトが居る。
でもそれは違うと思うよ・・・
「変わる」という言葉がもし気に入らなければ、「成長する」と言い換えればいいだけの話じゃない??僕は結構そう言う意味ではハッキリした自分という芯は持っているけど、周りのお肉の部分は脂肪なのかもしれない・・・
ブヨンブヨンでゲル状なんよ。
周りの影響と言うか、周りから吸収すると言うか、よく言うことが変わる。
いうことが変わるのではなく、考え方が変わるというべきかなぁ・・・今まで好きだったことが嫌いになったり、嫌いだったものの良さが急に解かったり・・・
それは「自分の考え方」を自由に変えられるからそれが出来る。
そして、それらの答はその時点では何も間違っていないと思ったりする。そう、立場や考え方が違えば、おのずと導き出す答も違う・・・
ヒトの話を「毒」とするか「薬」とするかも、全ては「自分次第」だと思う。
最後に結論だけど・・「ヒトは変えられない」「変えられるのは自分自身だけ・・・」
くまさん
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