‐頑固爺の弟子になって文化財復元職人になる気はないか‐ | ||
私は研究者ではなく職人である。 | ||
デジタル復元の技術で「なにわの名工」と | ||
「現代の名工」の称号をもっている。 | ||
頑固だし、礼儀にもうるさい。 | ||
この技術は世界的な潜在需要が確実にある。 | ||
業界を見回してもこの技術を使っているのは | ||
今のところ私のみだ。 | ||
だからライバルも存在しないかわり、 | ||
知名度も低い。広報はしているが。 | ||
文化財の復元を切望する方が検索をし | ||
私の技術の存在に気が付く、というパターンが多い。 | ||
正直、今はもうかる仕事ではない。 | ||
だから給料は払えない。 | ||
でも、私の弟子になれば確実にデジタル復元職人への道は拓かれる。 | ||
先人の残した文化財の「思い」や「英知」を後世に正しく伝える意義を | ||
理解できる感性をもっている諸君。 | ||
まずは3年、辛抱と修行をしてみないか。 | ||
写真技術の初歩から教える。一人前に育てる。 | ||
もちろん、新弟子の仕事は掃除と雑用からだけど。 | ||
給料は出せないが、昼飯は出す。同じ釜の飯を食おう。 | ||
修行に来た若者の中で6年を過ぎた女子がいる。 | ||
数年、数か月で脱落するものが多い中、よく辛抱してきた。 | ||
彼女はすでに「半立ち」として、大きな仕事があった時だけ復元にかかわる外 | ||
部スタッフとなっている。仕上げ部分を担う腕に成長している。 | ||
彼女の取り分は復元費用の10パーセント。 | ||
つまり、100万の仕事なら10万。1000万の仕事なら100万が彼女の | ||
取り分だ。 | ||
このように、『職人』になるということは、その腕次第で、個人で仕事ができる | ||
ということだ。 | ||
企業の一員として生涯を過ごすことも人生の選択だが、自分の腕を頼りに生き | ||
ていくのも面白いのではないだろうか。 | ||
彼女がうちの専従にならないのは、定期収入にはならないからだ。 | ||
ほかで仕事をもっている。 | ||
ただのフリーランスではない。腕を持った専門職として「フリー」なのだ。 | ||
下記に、仕事内容参照のURLと雇用条件を記す。 | ||
心動いたら、連絡をしてほしい。 | ||
(資)文化財復元センター 大隈 剛由 | ||
勤 務: 月~金曜 午前8時半~午後5時(忙繁時休日出勤あり) | ||
待 遇: 研修生(基本無給)※人材育成補助金が出る場合もあり | ||
応募資格: 男女、年齢、学歴問わず意欲のあるもの。 | ||
‐以下アドレス‐ | ||
information@fukugen.info | ||
文化財や歴史に興味があり、専門分野に進むために大学を出、学芸員の資格を取る人が、毎年何万人も居られると聞きます。しかし卒業はしたものの現実社会では、博物館の学芸員の仕事は狭き門であり、せっかく学んだことは「一般教養」と化し、活かせる仕事を探してもなかなかやりがいのある仕事も少なく、まるで違う職業を選ぶか、あるいは少ない稼ぎのフリーターなどをしながら、いつか活かせる仕事が見つかるまで根気よく頑張っている人々が大勢居られるはず。
本来、専門教育を受けたものには、それを活かせる「場」が与えられてしかるべきなのに、学校としても最初から「仕事は有りません」と念を押される。 しかしながら、仕事が無いから諦めるより、仕事が無ければ自分で創れば良いと思いませんか?
元々私は「写真」を職業としてきました。文化財とは無縁の人間だったのですが、縁あって近くの神社の「鳳凰」が描かれた、古い板戸を撮影する機会が与えられ、大型カメラで撮影はしたものの、その板戸は「修復後」であるにもかかわらず、絵の具は剥げ落ち、あるいはすでに薄くなっている部分が多く、作られた当時の姿とは程遠いものでした。当時私は「デジタル画像処理」を使って葬儀の「遺影」などの合成も手がけていて、コンピューター上では実際には出来ない事も可能となります。
この「画像による文化財復元」と言う仕事は、写真技術だけではなく、歴史に対する興味と知識、古文書に対する知識なども大いに必要であり、そういう専門教育を受けた知識も十分役立ちます。
ただ、誤解されたくないのは、これは「仕事」であり、興味や知識を満足させるための学校ではありません。
学費を払わない代わりに、その分「自分の努力」と雑用から始める「辛抱強い気持ち」を必要とします。実際にそれが無ければ、この仕事は続けられません。
長々と説明しましたが、大事なのは「心意気」です。頑張るものは将来必ず報われます。