先日からずいぶんと「我々は操られている」と言い続けているのだが、そんな事も自覚できないほとんどの人が居るかと思うと、「9.11は自作自演」だとはっきりネット上で声を上げる人が随分いたり、あるいは「アポロ計画の嘘」を暴く人々が大勢いる。
昨日は「日本の選挙の結果が不正である」と、自分たちで声を上げた市民の動画などを見たのだが、やはり世の中の不正を暴こうとする人々が徐々に増えてきたことは、人類が自滅に向かっている現代に明るい兆しだと思う。
(資)文化財復元センター おおくま
『やらせテロ「911」と、やらせ地震。』(2007年の講演会)
[アポロ 2013年版] 人類(人)は月へ行っていない!(BGMミュート ver. )
選挙に不正(イカサマ)はなかったという人は、意図的な情報操作をしていると思いたくなる状況証拠がどんどん出てきている!
最近、朝日新聞がやたらとつるし上げられている。
それ自体は、彼等がやったことを考えれば当然だと思う。
間違いに気が付けば、プライドを捨てて謝るべきだ。
ただ・・・・
ここでもう一度、日本国民に考えてもらい事は、エハン・デラヴィ氏が言う「プラス・マイナス・ニュートラル」の精神だと思う。
つまり、朝日新聞は確かに記事をねつ造し、日本国民に被害を及ぼした。
その影響は大きいし、それがマスコミの流した情報だから「プラス」に当たるとする。
また一部のマスコミや関係者からは、それに対する反論が出た、それが「マイナス」に当たる。
結果として、マイナス側が正しいことが証明され、朝日新聞はつるし上げられた・・・・・
そこまでは事実だと思うが、しかしモノの本質はそんなに簡単じゃないのではと私は思う。
つまり、国民の意識を朝日新聞に向けている「輩」が必ず居るという事を、ちゃんと認識しておくべきだと思う。
いわゆる「人身御供」として利用している輩が居ることを、知っておくべきだと思う。
つまり、エハン・デラヴィ氏が言う「ニュートラル」とは、一つの立場の意見を「鵜呑み」にすることではないという事。
ニュートラルとは、自分の「立つ位置」を一歩も二歩も下がって、もっと「全体」を見る目が必要だという事。
国民の意識を朝日新聞に向けている間に、「得をする輩」が居ることをちゃんと知っておいてほしいと思う。
我々は気が付かない間に「操られている」という事を、いつも考えておくべきでは??
(資)文化財復元センター おおくま
実はまたエハン塾がらみの話なのだが、エハン・デラヴィ氏が情報について「神々の指紋」と言う本の話が少し出た。
で、彼はその著者と対談した本を出しているらしい・・・
で、エハン・デラヴィ氏はその著者はまともだと言っている。
なので、Amazonで上下をまとめて古本で買った。
ついでにそのレビーを見ると「歴史じゃない、ロマンだ・・・」と書かれていたり、かなり批判的なものが多い。
で、実は昨日からその本を読み始めた。
なかなか発想がユニークで面白い・・・
軽く斜め読みをしたのだが、その著者は「提示」しているだけで、こうだと断定はしていないように感じた。
そこで、もう一度ネットでその評判を見ると、確かにそれぞれの人が「自分の見解」を持ち出して、彼の説を否定する。
だけど、私は思うのだが、例えばインカの遺跡のあの精巧な石積みは、現代の技術を持っても不可能だろうと思う。
そして、インカ人には実はそんな技術がなかった・・・
と、すれば、それ以前に別の文化の存在を考えるのが、当然だと思う。
で、彼の説を批判する人は、結局その文化について結論を持っていなかったりする。
つまり否定はできても、自説を持たない・・・・
その話はまた別にするとして、実はその本を検索していると、どうもテレビ番組でその話を取り上げたらしく、その録画に失敗したからダビングさせてくれと、あるサイトに投稿したらしい・・・
すると、そこで「ダビングにおける著作権云々」について、カンカンガクガクと始まった・・・
それを読んでいたのだが、やれ法的にどうの?とかいう話になって、各自自分の考えの正当性をやり合うわけだ・・・
それが延々と続き、また横から割り込むものも出てくる始末・・・・
余りにも長々とやっているもので、途中で読むのをやめたのだが・・・・
私がこの件で言いたいのは、「各自自分が正しい」と思っていること。
そして、その反論に対しては「攻撃された」と感じて「反撃」体制に入る。
これの繰り返しを延々とやっているわけだ・・・・
そこで、エハン塾でエハン・デラヴィ氏は「情報の見方」として、三角形を書き、左下が「+」でマスコミの流す情報、右下が「-」で、それに対する反論とする。
そして、各自はその三角形のトップを「ニュートラル」として、各自の判断にゆだねるべきだと言う。
私もそう思うのだが、しかし大事なことは各自が本当に「中立」としての判断基準を持っているか?
と、いう事になり、そのためには各自がもっといろんなことを学ぶ必要があると思う。
で、今回のビデオのダビングの論争は、要は三角形の「+」と「-」の部分でしかない・・・
にも関わらず彼らは「自分が正しい」と主張して譲らない。
だけど、どちらが正しいか、あるいはどちらも間違っているかは、第三者が判断すべきことだと思う。
意味の無い議論を自分の正当性を主張するために、延々とやっている姿を「客観的」に見ると、結果として「どっちもどっち・・・・」
としか思えなくなってきた。
(資)文化財復元センター おおくま
私は最近、神や魂や、意識と言う話ばかりしている。
それが仕事にマイナスであることは、十分に承知している。
しかし、それでも私ははっきり言いたいことがある。
われわれ現代人は、科学の進歩が、人類を進歩させていると誤解している。
しかし、我々は明らかに「退化」していると私は感じている。
よく、文化財の物質的な価値として「匠の技」が取り上げられ、その技術の高さは現在ではとても及ばないと言う話は聞く。
しかし、その「技」は、決してその職人の「精神レベル」の高さとは無関係ではないと、私は思う。
そこにはその人の「思い」の高さがその物質に込められていると、私は信じているのだが、私の持論は「文化とは人の精神的な営み」であり、「文化財とは、それを『形』にしたもの」だと思っている。あるいはそれを『記録』したものともいえる。
だとするなら、その技において、劣る現代人が、果たしてその当時の人よりも「精神性」が高いと言えるのだろうか?
何度も例に出すのだが、エハン・デラヴィ氏は40年前に日本に来たとき、昔の日本人が居たと言う。
つまり「精神文化の高さ」を持った日本人が・・・
その彼ははっきり現在の日本人は、当時の精神性を忘れてしまったと言う。
また、彼は世界中の古代遺跡を回っているのだが、エジプトのスフィンクスは、エジプト文明以前の存在であり、日本の明日香にある「酒船石」も明日香時代以前からあったはずだと言う。
我々の常識では信じがたいが、それはありうる話だと私は思う。
そんな昔、そんな技術を持つ古代人が居たとすれば、彼らは現代の我々を笑っていてもおかしくないだろうか?
話は少し変わるが、facebookの「友達では?」と言う紹介で、そこに映し出された人の名前は、確かに見覚えのある名前である。
その人の名前は、確か10年以上前に一時やり取りをした中国女性なのだが、なぜその人の名前がfacebookに載っているのか?
私は恐ろしくなった・・・
ネットの情報は明らかにgoogleの検索やヤフオクでのチェックや、Amazonでの検索結果が筒抜けになっており、その内容に応じた広告が表示されたりする。
これも不快であるが、それ以上にfacebookで「友達では?」と表示された人の名前は、もう10年ほど前のメールのやり取りの記録が、パソコンに残っているだけなのにもかかわらず、その情報が筒抜けになっているわけである。
こんな管理社会が果たして「進化」と言えるだろうか?
よく言われるように、ある日突然「国家反逆罪」として何もしていないのに逮捕される日が来るのも、間違いなく近未来と言える。
だからこそ「操られている」という事に気が付く必要があるし、また先人と呼ぶべき精神性を持った人々が残した「文化財」から、当時の人々の精神性の高さを学ばなければ、我々は自滅するのも時間の問題ではないだろうか?
また、物質とは幻であり、単なる波動として存在するとしたら、物質に拘らず「デジタル」は物質を伴わず、朽ちることがないと言う特徴を持ち、その先人の精神性を後世に伝えるのに向いていると私は信じている。
(資)文化財復元センター おおくま
何度も言うが、私はつい先日まで人生で最大の試練を与えられていた。
その出口がなかなか見つからず、いろんなことを試すがしかしいい結果が得られない。
そして「不思議な出来事」の動画を急に思い立つ、数日で作りYouTubeにアップした。
すると二人の霊能力者と思われる人と縁が繋がった。
明らかに私の守護霊の行いである。
そして一人から
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貴方様は本来格の高いお仕事が出来るはずなのに、自ら格を落された生活をなさっていませんか?
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と、言われてしまった。
「格を落とす」とか「波動を上げる」とか言われるのだが、いくらネットで探してもいい方法が見つからない。
そして次に信仰心について、私は自分にできる範囲でと言ったのだが
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自分なりではなく、神仏に向かって恥ずかしくないか、どうかと言うことです。
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と、ピシャリと言われてしまった。
今まで自分では「ソレナリ」にちゃんと神棚を作り、毎日お供えをして手を合わせてきたつもりだっただけに、こう言われたときにはムカッと来た。
しかし、この言葉は彼女が言ったのではなく、私の守護霊が「そう言うような人」をわざわざ探して私に縁を繋いでたわけである。
彼女はこうも言った・・・
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このたびの苦労は貴方様の本物を引き出すための試練です。神仏に接するためには信仰心が何よりも必要です。これから貴方様が手に取られる文化財のためにも今まで以上の宗教心が必要なのです。自分流とかこれくらいとかではありません。
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この「言葉の重み」は私にズシリと圧し掛かった。
もちろん今までだって、前例のないところからここまで復元できるように「試行錯誤」で努力してきた。
それは私にすれば「最大限」の努力であった。
しかし、神さまはそれではまだ足らないと言われているらしい・・・
何が足らないのか?
最終的に試練の答えは「信じること」であった。
それは私は特定の宗教を信じることがない。
もちろん「目に見えない不思議な力」の存在は信じてきたが、しかしそれは「信仰心」とまでは言えない。
神さまは私に、それではいけないと言われていたのである。
それは単に「神さまを信じなさい」という小さい話ではなく、宇宙には我々の地球だけではなく、全宇宙にそれこそ「神さまの愛のエネルギー」が放出されているらしく、そのエネルギーは電気やガスやガソリンの代わりにもなれば、引き寄せの法則のように「思考の物質化」もできるし、その存在を「信じること」ですべての不可能が「可能」となる万能エネルギーの存在を私に解らせ、そしてそれを「利用」する本当のシークレットキーは「信じる」というとても単純な人の感情であるからこそ、「無信心」はよくないと、私に試練を与えていたわけである。
と、前置きが長くなったが、本日放送された「新報道2001」での賞味期限の復元は、実は今までの私の技術の範疇では「何も残っていません」という答えにしかならない。
なのに、なぜ読めたか?
それは「諦めない事」つまり、世の中には「不可能なことは無い」と「信じること」で、あれが読めた訳である。
判りにくいだろうが、できないと思えばできない事でも、できると自分で信じれば、それは必ず「できる」のである。
つまり「不可能」は本来宇宙には存在しないのに、我々地球人の「意識」が「不可能」を創りだした。
今回の試練は、神さまに対する信心も「自分なりに」では足らないと言われたその事が、実は鍵なのである。
今までの私は「自分なり」いゃ「自分にできる最高」の努力をしてきた。
しかし、今回の彼女の「これから貴方様が手に取られる文化財のためにも今まで以上の宗教心が必要なのです。自分流とかこれくらいとかではありません。」
と、言われたその言葉こそ、私をこの仕事に導いた神さまが、私に言いたかったことなのである。
今までの私にはやはり「不可能」とあきらめるものもあった。
その一つに「位牌」の文字の復元だが、読める確率は半分くらい・・・
それは「残っていない」と思っていたのだが、実は今回のテレビ取材と並行して2つの位牌の解読を受けていた。
1つは残っていたので、不鮮明ではあってもいくらかは読めたものの、もう一つは同じ方法では全く読めない。
そこでポリライトなども使って調べたが、やはり出ない・・・
今までの私なら「1つは残っていませんでした」と言って返すのだが、今回は諦めなかった。
必ず何か方法はあるはずと・・・・
で、わずかに残っていた煤を落としたら、いくらかの文字が残っていた。
肉眼では確認できても、今までの赤外線や紫外線、ポリライトなどではそれが画像として記録できない。
しかし諦めないで、翌日全く違う方法を試した。
私には凄い守護霊も付いているが、「優秀な指導霊」も付いているらしく、一晩寝ながら考えると、翌日には良い方法が見つかる。
結果、残っている文字を画像化することができ、本日依頼主の元へお位牌をお返しした。
(資)文化財復元センター おおくま