先日、地元の中学生が見学に来た時、復元中の絵馬の前で記念写真を撮った。
その時、復元中だったのが、facebookのお友達の佐野 和史さんhttp://www.facebook.com/kazumi.sano.75
から復元を依頼された江戸時代の大絵馬なのだが、佐野さんは横浜の瀬戸神社
http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/
の宮司をされているが、その佐野さんのノートの「森川五郎右衛門奉納絵馬について」
を、現在復元中である。詳細は佐野さんのノートをご覧いただくとして、復元する絵馬は2点である。
そのうちの文化大絵馬は、現状も絵の雰囲気をよく残しており、お受けした時点では、割と楽にできると思っていたが、いざ作業にかかると、すべてを1から描くわけでもなく、残っている部分を活かしながら、剥離した部分を描き加える形となり、思ったより手間がかかった。
それでも完成し、お披露目させていただきます。
現状画像 |
復元画像 |
さぁ、問題はもう一点の剥離のひどい明和大絵馬であるが、
現状画像 |
現在追い込みに入っていて、今週中には完成予定。
復元された絵馬は年末までに、横浜の瀬戸神社に納品予定となっており、ぜひお近くの方は、初詣に瀬戸神社へおいでください。
ご先祖様の戒名や亡くなった日付がかかれている御位牌、繰出し位牌は、お仏壇に置いておくと、いつの間にかお線香などの煙で黒くなってきます。
特に戦前のものは読めなくなっているものが多いようです。
状況や制作当時の素材にもよりますが、これら読めなくなったものを、最新の技術で撮影すると、魔法のように読めることがあります。
以前から、そのような撮影も行っていましたが、この度ホームページのぺージを追加し、本格的に依頼を受け始めることにいたしました。
お位牌の戒名復元します。
こちらより復元例をご覧頂き、お問合せ下さい。
11月の始めに、Facebookを始めた。
ツィッターなどの短文のやり取りはあまり好まず、Facebookも控えていたのだが、突然参加することにし、友達申請をこちらから多くの宗教関係者へと送った。
その中の一人から、「雪舟の龍図があり、それを復元したい」とメールが入った。
広島のある寺の住職で、寺に伝わるもので、どうも6代目の領主からの授かりものだという。
その寺の創建に関わったその領主と、雪舟は時代的に同じ時代であり、雪舟のパトロンである「大内家」とは、血縁関係もあるという。
つまり「状況証拠」としては、限りなく本物に近いと思われる。
しかし、ちゃんとした記録が残っておらず、2年前に京都の専門家に見せたところ、「紙は当時のものである」と言われたが・・・
肝心の真贋については「雪舟の龍図は見たことがないから、何とも言えない」と逃げられた様子。
で、今回の復元に当たり「大日本スクリーン」の文化財用の大型スキャナーを使い、「現状画像」と「赤外線画像」をスキャンしてデーターを得た。
すぐに作業にかかったのだが、来年は辰年であり、旧正月までには掛け軸を作りたいという。
1か月間、仕事場に泊まり込み、作業を行った。
ご存知の方は少ないと思うが、中国・新疆ウイグル自治区にあり、ベゼクリクは「柏孜克里克」と書くらしい・・・
僕はもともと写真をやっていたとき、モノクロ写真の現像法「ゾーンシステム」にのめり込んだ時期がある。
白黒写真の諧調をコントロールする方法であるが、一般的に「飛ばず・潰れず」というのが、技術の高さを物語る。
しかし、それを逆手に取り、水墨画の山水画の世界を、モノクロ写真で表現できる。
これらは中国の実在する世界であるが、当時はその「実在する水墨画の世界」に興味があったが、現在は中国の文化遺産に興味を持っている。
しかし、中国という国は、なかなか入り込める世界ではない。
たまたま、ある学者の研究の手伝いで、新疆ウイグル自治区へ行った。
当時、暴動の直後で、町の観光施設は閑古鳥が鳴いていた。
日本の研究者が中国で研究するには、現地の文物局の許可が必要で、事前申請しても、現地に行かないとなかなか許可が下りなかったりするらしい・・・
当時、現地の文物局の代表者は、その研究者の研究内容より、僕の復元技術に高い興味を示した。
ぜひ、「テストしてほしい」というのだが、彼らはお金は一切出す気がないらしい・・・
でも、こちらも実績を作る意味でこの「テスト復元」を引き受けた。
場所は、数年前にNHKの「新シルクロード」の目玉として「洞窟壁画の復元」が放送されたが、同じ場所だが、ベゼクリク千仏洞にはいくつもの洞窟があり、壁画が描かれていたのだが、そのいくつかは、世界各国の探検隊により剥ぎ取られ、持ち帰られたとのこと。
日本でも「大谷探検隊」も当時持ち帰ったとのことですが、現物は日本国内に無いのではないだろうか?
で、そのNHKの番組内で、復元を担当されたのが、龍谷大・岡田教授だが、教授が復元されたのは、各国に持ち帰られた壁画を「ジグソーパズル」の様に組み合わせ、現地の洞窟に描かれた居た様子を、デジタル復元されている。
ところが、現地の洞窟には、はがされずに、土に埋まったままの壁画がいくつかあり、現在そのいくつかは見学できる。
その洞窟の「31屈」と呼ばれる壁画の一部を、テスト復元した。
壁画は、剥がされたわけでも、消えかけているわけでもなく、まだ部分的に土がついた状態で、これ以上土を取ると、壁画が痛むのか?
土の下にはきれいな壁画が残されている。
それを土の上から画像だけで復元した。
当日の撮影時間も限られ、また機材も限られていたので、撮ったのは「カラー画像」と「赤外線画像」だけである。
赤外線は、薄いものは透過するが、土が厚く乗った部分は透過しなかった。
現状画像 | 復元画像 |
うちの仕事は、国宝や重要文化財など指定文化財が依頼されることはほとんどない。
なぜなら、指定文化財は所有者の意思だけで移動させることはできず、必ず教育委員会なり、文化庁にお伺いを立てる形になる。
手続きが面倒で、なかなかそんな作業はさせていただけない。
また、所有者にとっては大事な文化財だが、歴史上に登場するものも少ない。
ところが、この笠置寺は、1300年の歴史があり、弥勒磨崖仏はその当時彫られ、その磨崖仏が「弥勒信仰」の発祥の地となっている。
そして日本史に登場する数々の人が、この弥勒仏に参り、700年前の元弘の乱で、磨崖仏横の本堂が焼け落ち、同時に石に刻まれ、永遠の命を得たはずの弥勒仏の姿は、その戦火を浴び、表面に刻まれた姿は熱のため、ほとんど跡形なく剥がれ落ちた。
現在の姿は当時の姿は全くうかがえない。
僕の行うデジタル復元は、特殊撮影で、肉眼では確認できない「痕跡」を探す。
絵の具や墨で描かれたものは、何らかの痕跡が残るが、しかし石に刻まれ、剥がれ落ちたものは、赤外線だろうが、紫外線だろうが、ほとんど情報は得られない。
なのになぜ復元を引き受けたのか?
それは別に残された資料があるからと言える。
まず、大野の磨崖仏は、この笠置寺の弥勒仏を模彫されたものという話であったり、岩舟神社の磨崖仏もそうらしく、何より「笠置曼荼羅」に当時の磨崖仏が描かれている。
そういう資料と、超拡大画像から、残された痕跡を割り出した。
確認された痕跡 | |
台座2つの場合 | 台座1つの場合 |
それに対し、笠置曼荼羅に描かれた姿を重ねるとこんな感じで、蓮華座の位置が合わない。
どうも、説によると蓮華座は1つであるという話もあるらしい。
そこで蓮華座を一つで描き直すと、ほぼ全体の位置が収まる。
その線画をこの赤外線画像に重ねるのであるが、しかし墨線ではなく、線刻されたものであるから、それをどう表現するか?
幸い、東京のデジタル画像処理の専門家が協力してくれ見事、1300年前の弥勒磨崖仏は、700年の眠りから覚め、見事甦った。
現状画像 | 復元画像 |