この作品を見るのは2回目である。
以前にも触れたが、私の知人がこの作品の撮影現場で、ドイツ人スタッフとのドイツ語の通訳として参加していたらしい・・・
さて先日見た「二百三高地」は、日露戦争の話だが、こちらは第一次世界大戦の話だと言う。
ドイツ人捕虜を日本国内の収容所で収容した時の話しらしいが、どうもその板東捕虜収容所も所長の松江大佐も、実在するらしい・・・
二百三高地の時も、冒頭に日本人スパイ二人が銃殺刑に処せられるときに、日本人スパイはポケットの金を、ロシアの赤十字に寄付すると言い、もう一人は酒を呑みたいと言えば、ロシア側は酒を呑ませて処刑する。
別な作品で、同じ第一次世界大戦中のヨーロッパの飛行機乗りを描いた「レッドバロン」や「フライボーイズ」などでも、お互いに空中戦で相手を撃墜させるのが目的で、相手を殺すことが目的ではないらしく、撃墜されたパイロットの命を奪おうとしない。
ところが第二次世界大戦の「永遠の零」では、主人公は撃墜したパイロットがパラシートで降りているところを、射撃する・・・
何人に限らず、時代が進むにつれ、残虐性を帯びてくる。
さて、話を戻すと、収容所を脱走したドイツ兵を、地元の農家の人は傷の手当てをする。
その心優しさに触れ、脱走兵は自ら収容所へ戻る。
また、所長はそれをあまり咎めない・・・・
収容所では、地元民との交流も盛んで、音楽や体操をドイツ兵は教えたり、パン職人やいろんな職人は、自らの技術を収容所内に限らず、地元民にも提供する。
で・・・・
要するに、戦争に参加している「人間」でも、結局は互いに相手を理解することは可能であり、自分がまず相手に好意を示せば、相手も好意を返すが、逆に自分が敵意を示せば、相手も敵意を返す。
つまり、「国益」と言うものは、実は政府や国王や天皇にとっての利益であり、庶民にはそれらが還元されることはほとんどない。
しかし、逆に国益のぶつかり合いの戦争において、「犠牲」になるのは庶民ということになるが、この話でも分かるように、敵国の兵士と言えどもけっして相手国の兵士に敵意を抱いているわけではない。
この件は先日見た「アメリカ軍捕虜の生体解剖」の話で、日本を無差別爆撃したB29の機長でさえ、終戦後自分が日本を爆撃した話は、家族には一切話していないし、また日本の土を2度と踏めないという。
話を戻すと、所長の松江大佐は会津藩の出身だと言う。
知らなかったが、北の果てに追いやられ、随分と苦労をしている。
ネットで調べると、彼らは青森の恐山の周辺に強制移住をさせられている。
また、「北の零年」は淡路島の徳島藩が、北海道へ移住させられた話らしい・・・
勝てば官軍・・・何をしてもいいらしい・・・
このドイツ軍捕虜の少将は、ドイツ国王から功績に対して「ステッキ」をもらっているのだが、ドイツの敗戦と同時に国王は海外に亡命した。
なのに少将は敗戦を知り、銃で自殺を図るが、助けられる・・・
この話・・・日本の「東郷元帥」の話と似ている・・・
やはり一番の見せ場は、敗戦後解放されたドイツ兵たちが、世話になった地元の人たちのために「第九」を演奏する。
感極まるシーンとなる。
今朝6時ごろから、一行を受け入れるために、室内のレイアウトを変えた。
写真を撮っていないので、後の祭りだが・・・
事務所の半分が画像処理のスペース。
残りが復元のタペストリーを壁に掛け、打ち合わせや実際の撮影に使う。
その撮影スペースに、大型のインクジェットプリンターを置いているものだから、かなりの場所を取る。
そこでまずこの大型インクジェットプリンターを、奥のスペースに押し込みたいのだが、その境界に棚や本棚を置いて仕切っていて、その隙間を結局そのままでは通らず、朝から重たい本を本棚から降ろし、本棚を少し移動して、やっとプリンターを奥の部屋に押し込んだ。
さぁ、それから大型スクリーンと、ちょっと大きめのプロジェクターで、「テレビ東京の」「ワールドビジネスサテライト」の動画と、自作の動画を見せた。
滞在時間が20分と聞いていたので、2本だけにし、少し質問が出た。
どうも来られているメンバーか、上海の投資会社や企業の会長や、企業連合会の副会長であり、また上海市の副市長をされている人など・・・
要するに金持ちばかりで、日本の企業に投資しようとしている様子。
でもうちの技術は興味は示したが、なかなかお金に繋がらないから、期待しないことにしている。
ただ、それでも一人だけ文化やメディアの交流企画の人がいて、たいそうな黒い厚紙に金文字の名刺だったが、その人だけうちの復元した仏画に手を合わせていた・・・
連休前に問い合わせのメールが入った。
何やら30年前の高校時代のクラスの「文集」がある。
しかし、随分と薄くなっているページもあり、何とかデジタル化して、当時のみんなに配りたいと・・・
こういう「思いで」の復元を望まれる人は多いが、なかなか予算的に折り合いがつかない。
しかし今回、何とか折り合いが付き、復元することになったのだが・・・
思ったよりもページ数も多いのだが、実はこの文集は卒業文集じゃないらしい・・・
どうも1年何組とか書いてあるのだが、しかし各ページを読み込みながら、少し見ていくとどのページも文字が高校生にしてはとても纏まった字を書いていたり、また各ページに似顔絵や漫画が描かれているのだが、これもまたどれを見ても素人が書いたものとは思えない・・・
仕事を終え、データーを送るときに、依頼主にその件を伝えたら・・・
何やら当時のメンバーの中に、現在「絵本作家」になったものが居て、その人が中心に創られているらしい。
それにしていまどきの高校生や大学生より、よほど読みやすい文字を書いていると思う。
現状画像 | 復元画像 |
現状画像 | 復元画像 |
(資)文化財復元センター おおくま
本日facebookからのリンクで、あるタレントを写真をもとに鉛筆画で描いている人の動画を見た。
私自身も写真を始める前に、絵を描いていた時期があるのだが・・・
当時「写実画」に凝っていたのだが、しかしながらデッサン力が伴わず、結局は絵画を辞め、写真の世界にのめりこんだ。
写真は絵画と違い、シャッターを押せば、狙ったものが撮れる・・・
そう安易に考えての転向だったが、現実はそう甘くなかった。
つまりいくら「感覚」が鋭くても、それを「形」にするためには、ちゃんとした「写真技術」の習得を必要とした。
当時、特に「モノクロ写真」にのめりこんで時期があり、写真の諧調をコントロールする「ゾーンシステム」に、随分とはまっていた時期があった。
また、当時から、「人のやらないこと」をやることに、悦を感じる性格は、未だに復元の仕事を始めても変わっておらず、16年を過ぎた現在も、未だにこの復元技術は日本はおろか、たぶん世界的にも他に例を見ないものと思う。
さて、本題に入るが、私は何事にも「究極」と言う言葉を好み、どうせやるなら、写真で当たり前の「リアル」を超えた「スーパーリアリズム」ともいうべき写真を創っていた時期がある。
現在のデジタルカメラでいう「画素数」とは、アナログのフイルムでいう「解像度」と同じ意味を持つ。
つまり1つの銘柄のフィルムでも、35ミリ版と4×5版では単位面積当たりの解像度が同じでも、フイルム面積が大きく違うと、拡大率が変わる。
結果として同じ大きさのプリントの解像度は、違って見える。
また、そのフイルムの銘柄により、粒状性も変わり、解像度の違いが現れる。
まずこれを基本に考えてもらうと、フイルムは大きいほうがよく、しかもフイルムの粒状性は細かいほど、細部の解像度が高い。
とは言っても、フイルムには「粒子」があるから、限界もある・・・
ところが、「無粒子」と言われるフイルムの存在があり、新聞などの文字情報の複写用に「マイクロフィルム」と呼ばれるものがそれだが、このフィルム、一般的に「35ミリ版」が主となる。
同じ性質のフイルムが当時市販されていたのだが、富士フィルムの「ミニコピー」そしてコダックの「テクニカルパン」と呼ばれていた。
その中のミニコピーは「ブローニー版」しか存在しなかったが、コダックの「テクニカルパン」は、日本国内では「ブローニー版」までしか輸入されていなかった。
このフイルム、実は4×5版と8×10サイズまで存在していたので、当時「個人輸入」で取り寄せて、ゾーンシステムのフイルム現像で、本来白と黒しか写らないのに、「写真諧調」の表現を可能として使っていた。
実は4×5サイズのフィルムだと、3メートルほどのプリントを作ったが、全く粒子は見えなかったくらいの、高解像度フィルムであった。
そのフィルムを使い、知人の作品である「ホワイトキルト」を撮ったことがあり、それを思い出し、6切りのプリントと半切のプリントから、スキャナーで取り込んだ。
テクニカルパンは、一般的なフィルムと少し感色性が違い、トーンも独特であり、風景写真を撮っても、一寸雰囲気が違っていた。
そんな「究極」のアナログ写真に拘っていたから、今のデジタル復元でも「高解像度」のデーターを撮る技術があり、細部に残る「痕跡」から、当時の姿を再現することができている。