前回冨士を撮りに富士吉田市のほうへ行ったが、頂上に雪の無い富士山は絵にならない。
先週、飯山の周りの山に雪が降った。
すぐに解けたが、富士山にも雪が積もったはず・・・
そう思い、今度は静岡側から撮ろうと、撮影ポイントを検索すると「三保の松原」と「日本平」があり、翌日出発した。
約280キロほどを走り、翌日の朝「三保の松原」を撮った。
名前は有名だから、もっと絵になるところかと期待したが・・・
確かに富士は絵になるが、肝心な松林がイマイチだし、浜辺も流木や波除のブロックで思ったほど絵にならなかった。
ただ、これらの写真は【HDR】と呼ばれる露出を変えた複数の画像を合成して、トーンをコントロールしてある。
しかも【Aurora】という専用ソフトで、いろいろと味付けをしてあり、写真というより一服の【絵】のような仕上がりとなっている。
(資)文化財復元センター おおくま
飯山へ引っ越したのが、昨年5月1日・・・
それから7ヶ月が過ぎた。
飯山は豪雪地帯だと聞いている。
実際に去年の正月明けに、飯山を訪れたときもかなり積もっていた。
しかし、私は昔から白川郷の雪景色を撮りに行っていたので、雪景色は好きである。
もちろん冬の長野へは何度も来ているし、氷点下で車中泊も何度も体験している。
だから雪が降るのを待ちわびていたのだが、12月の6日に早くも少しだけ雪が降った。
その記事をブログにアップしていたのだが・・・・
どうも借りているサーバーの引越しで、いつの間にか消えてしまった。
そして1週間ほど前には、5センチほどの雪が積もったが、その後降り続くことも無く、解け始めていた。
で、昨日の大晦日に、かなり大粒の雪が降り出した。
本格的に今でも降っていて・・・・・
やっと、周りは雪景色となりそう・・・・
(資)文化財復元センター おおくま
私がもともと、写真スタジオの業務のいったんとして始めた「画像による文化財復元」は、「(資)文化財復元センター」として新たにスタートさせたのが、2004年の4月27日なのですが、当時から私の心の奥には、どういうわけか「長野の自然に囲まれた」中での作業が適しているという、思いがなんとなくありましたが、漠然としたもので、これといってあてのある話ではありませんでした。
ただ、この仕事の守護神は4つあり、その中でも一番強いのが長野の「諏訪大社」でした。
その後何十回となく、諏訪大社に詣で、エネルギーを貰って帰るのですが、今回やっとのことで、その長年の夢がかないます。
しかし諏訪大社の間近というのではなく、私は映画の「阿弥陀堂だより」のファンで、あの自然の中にゆっくりと流れる時間が、とても「癒し」があると感じていたし、またその撮影現場が「飯山市」であり、阿弥陀堂は映画のために建てられたもので、何度となく写真を撮りに行っていた。
今回、50年前に大工の作業場として立てられた、とても広い木造の建物を安価にて購入。
ただし豪雪地帯で5年以上、人が住んでいなかったので、屋根の一部が雪の重みに耐えかね、朽ち果てており、若干の雨漏りがありそう。
でももともと私は日曜大工が好きで、電気ノコや多くの大工道具を持っていましたが、生憎ビルのテナントでは役立てられなかったが、今回自分の建物であり、しかも木造なので、思う存分腕を発揮できる。
さらに、周りの敷地も広く、現在は雑草が生えているが、手入れをして自分の食べる分の野菜くらいは作ろうと思う。
今までとはずいぶんと環境が変わるが、元号も「令和」と改まり、新しい環境で「令和元年5月1日」をもって、再スタートいたします。
PS
実はその物件はあの「阿弥陀堂」から、5.6キロの距離にあり、周りは山に囲まれており、それも二重に囲まれ、手前の低い山並みにはこの季節ですから、「雪」はありませんが、その後ろの少し高い山並みには4/23日現在でも「残雪」が残っており、また今「桜」は満開となっています。
(資)文化財復元センター おおくま
最近は文化財の復元だけでしなく、テレビで何度も取り上げられているので、個人からの依頼が増えた。
お位牌の戒名がいちばん多いが、その次に多いのは「書類」の復元となる。
特に「裁判がらみ」の依頼が多いが、その中でも「遺言書」に絡むものも多い。
身内と言えども、遺産が絡んでくると・・・
争いごとになる。
そんな中で、ちょうど1年前の話しだが、暮れに「消された遺言状」
という、依頼が舞い込んだ。
遺言書の争いとしては、書き換えられていたり、あるいは消されたり、または偽造されていることが多いが、その話は実はすでに遺言書があるのに、別の遺言書が出てきたらしい・・・
相手側から提出された、裁判の証拠なので、遺言書の「原本」ではなく、コピーされたものであった。
本来、私の技術は「原本」に「残された痕跡」を探し出すもので、それがコピーされたものとなると、その痕跡までコピーされることは少なくなり、良い結果は期待されない。
しかしながら、私は「試行錯誤」でこの技術を磨いてきたので、可能な限り努力をし、上から消された文字を復元した。
たまたま、年末年始の忙しい時期であったので、復元費用も若干割増させていただいた。
個人としては、決して安い費用ではないが・・・
それでも「遺産」が絡んでくると、その復元が「証拠」として有利に働く。
これ復元の依頼主から、おかげで裁判に勝てましたと、丁寧にお礼状が届いた。
実はその1年ほど前には、同じ「遺言書」がらみでも、全く逆の経験をしている。
その話は、依頼人と弟の二人が、裁判で親の遺産を争っていて、相手が提出してきた「遺言書」の真贋を争っていた。
その依頼人はコピー紙ではなく、スキャナーで撮られた「デジタルデーター」を持っていた。
そのデーターからの復元だが、スキャナーは、正面から光を充てて撮るので、影ができない。
つまり、紙に残されて「痕跡」を読み取りにくくしている。
それでも苦労して、その遺言書が書かれた紙に、微妙な「凸凹」があるのを見つけ、その復元を試みた。
その凸凹にははっきりと・・・
ほとんど同じ内容の遺言書で、「日付」の違う「遺言書」の文面であった。
その日付は、数日前の日付となっていたが、痴ほう症でもない親がそんな数日の間に「同じ内容」の遺言書を2度も書くのはおかしい。
どうもその「日付」の違いに意味があるらしいのだが・・・
この復元作業の途中で、依頼人と費用のことでもめ事が起きた。
急に依頼人は態度を豹変し、「復元依頼などしていない」と言い出した。
おかしなことで、その遺言書が偽物であることを証明できる証拠なのに、それを依頼人は頑なに拒み始めた。
結局裁判で争ったのだが、その依頼人は、準備書面や答弁書で主張していることが、いくつも「矛盾」していて、それをいくら指摘しても相手には理解できないらしい・・・
まともな神経ではなく「偏執狂」的性格としか言えないほど、主張が偏っていて、いくら理路整然と理屈に合った説明をしても、全く理解しょうとしなかったが・・・
結局裁判官も相手の被告人尋問でも、相手の矛盾を指摘するありさまだった。
こちらがいくら努力して、良い復元結果を出しても、お礼状をくれる人もいれば、逆に逆恨みする人もいて、同じ「一つの出来事」も、当人が受け取り方を間違えれば、答は180度変わる。
(資)文化財復元センター おおくま