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プラス・マイナス・ニュートラル・・・・

数年前にも同じタイトルで、記事を載せている。
それは
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最近エハン塾の話が多いのだが、エハン・デラヴィ氏は、自らを「人類学者」と呼びながら、また「ジャーナリスト」だと言う。
 
彼はエハン塾の講義の初めに、「自分の立場」を説明するのに、三角形を書き、例えば左側に「プラス」と書いて、それを「マスメディアの報道」だと説明する。
つまり我々が普段耳や目にする「情報」はここから発せられるものを指す。
 
一方反対側の右側を「マイナス」として、それに対する反論だと言う。
 

つまり、われわれが普段マスコミから与えられる情報は、ずいぶんと与える側の利益になるものに限られ、それに反するものはけっして報道されることがないとはっきり言う。
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そして、それに対して、彼はどちらか側の話をうのみにせず、自分は「ニュートラル」な立場として、「自分の価値判断」で物事を判断する。
それを彼は別のことばで「独立個人」とも言っていて、何かの団体の一員として、他から指示されない「立場」を維持すると言う。

釈迦は「中庸」と言う言葉を使い、決して偏らないことを旨とした。

私も精神世界を旅するうちに、その意味するものを理解し、可能な限り「中庸」でありたいと願っている。

さて、今回同じタイトルを付けたのだが、最近ネットの情報を探すと、マスコミの話しと真逆なものが多い。

ちょうどエハン・デラヴィ氏の指摘通りなのだが、特に目につくのは「放射能」「電磁波」の影響についてのものが多い。

それを見ていると、それは正しいように思ってしまうが、今回この話をしようと思ったのは「電子レンジは体に悪い」というのが、ネット上ではとても多く書かれており、しかもそれにはいろんな実験データーまで添えられていたりする。

私は一人暮らしで特に最近は自宅にあまり帰らなく、仕事場で寝泊まりすることが多い。

そのビルには共同の給湯室は有るのだが、ガスレンジなども無ければ、自室にしている部屋にもガスも水道もない。

そんな中で外食をせずに自炊するには、どうしても「電子レンジ」と「電磁コンロ」のお世話になることは避けられない。

かと言って、両方を排除できないので、なんとか「改善策」をネットで探したが、電子レンジの代わりの調理器は有ることはあるのだが、とても高いし、電磁レンジの代わりの「遠赤外線レンジ」も国産のものはかなり高い。

そんな中見つけたのは「磁気製土鍋」と言うもので、ソレに入れてから、電子レンジにかければ、電磁波の影響はなくなると言う。

買っては見たものの、電子レンジでは使えても、電磁コンロでは使えない。

結局めんどくさいので、たまにしか使わない。

で、今回ネットで「電子レンジは本当に体に悪いのか?」と検索すると・・・・

確かに多くの記事では悪いとなっているが、http://www.global-clean.co.jp/col_health18.html「美しい地球を守る・地球再生計画」というサイトではそれを否定している。

ただそこに書かれている話もちょっと信じがたい。

でもそれとは別のサイトで、そのサイトの主は「電子レンジの水を与えられた植物は枯れる」と言われていることを、実際に自分でもテストをしたらしい。

https://tinyhouse-story.com/dennshirennzi-01

https://tinyhouse-story.com/dennshi-renzi02

この二つの記事では、水道水とやかんで沸かした水と電子レンジでチンした水を、3つに分けた植物で10日間テストしたらしい。

結果として、若干電子レンジの水の成長が悪かったらしいが、枯れるという事には程遠かったとのこと。

私もこのサイトの記事の作者と同じで、他人の話しは鵜呑みにしないことにしており、自分で確かめるか、または自分の判断基準に照らし合わせて、判断する。

正に独立個人であり、中庸であることを心がけているのだが、何故こんな話をするのか?

今、自分で物事を判断できない人がとても増えている。

そういう人は外からの「情報」をそのまま鵜呑みにして疑わない。

すると、情報には「プラス側」もあれば「マイナス」もあり、そのどちらを信じるかは、「個人の意識」の影響を受けるわけだから、両極端な考え方の人がいることになる。

ましては「常識」つまり、「自分の持っている常識」は誰にでも通じ、それに反する人を「常識外れ」と決め付ける。

そして非難するわけだが、その両極端なものは、それぞれ「自分の常識」を疑わない。

そこから「対立」が生まれるのだが・・・・

もうすこし深く考えてほしいのは「情報」を流すものは、必ず自分に都合のいい情報しか流さないという事。

もっと言えば明らかに情報には「利害」が絡んでいる。

それを「見抜く目」を自分自身で養わない限り、自分は他人から操られているという事に気づいてほしいと思う。

(資)文化財復元センター おおくま

皆神山の謎 第四部 一厘の仕組篇 序章

私は10年ほど前から、「目に見えない不思議な力」の正体を知りたく思い、精神世界を探求しはじめた。

元々、私は「自問自答」をするのだが、それを忘れたころに、その答が閃くことが多かった。
これはよく神の声を聴くと言うが、そういう具体的な声も姿も見ることはないが、しかし確かに「イメージ」として私の中に答えが返されている。

その正体を知りたいとおもい、精神世界に足を踏み入れたが、その間、数年間に数百冊の本を読んだ。
読書家にすれば、たかが知れた数だが、私は普段から本を読まない。
それは「知識」より「思考」を大事にし、「自分の頭」でモノを考えることを好んだ。
その私にすれば、数百冊の本を読むのは驚異的な話なのだが・・・・

その中にも、何人か、この目に見えない力が導いてくれた人がいるのだが、その一人がこのハリー山科氏なのだが、数年前にこの「皆神山の謎」のシリーズを一通り見た。
学ぶべきものが多かったが・・・・

その後、いゃここ2~3年は、「意識」が宇宙で一番大事なことを知らされ、また「」とは「宇宙の創造主」としての「意識」の存在だと知った。
それから、彼らは「高次元のETたち」で、次元が高いものは肉体を持たないこと、そしてチャネリングしてくるのも彼らだと理解した。
それからコブラや銀河連盟の話しも知り、彼らの話をそのまま「鵜呑み」にする人たちを見てきた。

で、今日、またこのシリーズを1から見始めたが、ここで山科氏が言っている事は、まさに現在「見えない世界」で起きている「世直し」そのものと言える。

彼はこの動画を2012年にアップしているらしい・・・
当時すでに彼はサイレントグループとして、偽ユダヤ金融グループが、我々を牛耳っていると言う話を、アダムスキーと言うUFO研究者の話を「宇宙哲学」と呼び、その話とすべては繋がっていると話している。
まだ第6話までしか見ていないが、ここで彼が言っている事は、まさしく今起きていることを、もっと幅広い分野から解説している。

たんにコブラや銀河連盟からの話を、そのまま信じるより「自分なりの理解」をするうえで、とても役立つものだと思う。

(資)文化財復元センター おおくま

YouTube Preview Image

諏訪大社本宮と前宮

いつも諏訪大社に行くときは、夕方に出発すると、夜遅く、その近くの道の駅に着く。

そこで一晩過ごし、早朝に諏訪大社につくのだが・・・

最近は、思い立ったら即出発することが多く、朝の8~9時ごろに発つことが多く、そうするとだいたい夕方くらいに着き、夜景が撮れる。

とは言っても、前回は真冬でさすがに車中泊では、寒さは何とかなっても、明け方起きたら、周りが雪で覆われていたりすると、さすがの4WDでも駐車場から出れなくなるので、前回は6時過ぎに着いたものの、すでに真っ暗だし、ホテルの到着時刻も迫っていたので、明け方撮った。

今回、夜の8時ごろに本宮に着いたものの、すでに陽は落ちており、電球の灯りだけでの撮影となった。

適正露出だけなら、ISO1600もあれば十分撮れるが、HDRで撮るためには

、オーバー気味のカットも必要であり、結局ISO3200まで上げないと撮れなかった。

若い頃は舞台写真を撮っていたので、増感現像は慣れているが、デジカメでこんな感度で撮ろうとは・・・

とは言っても、ちゃんと光の当たっているところは綺麗に写っているのだが、さすがに光の当たらない部分ともなると、かなりざらついたり、色が飛んだりしていて、かろうじて写っていると言う感じとなった。

ところで、諏訪大社の御神体は「山」だと言われているけど、実は本宮の拝殿は「前宮」に向いているらしい・・・

それだけやはり前宮の威力は凄いのだろう・・・

(資)文化財復元センター おおくま

 
 
   
   
   

 

皆神山

ここへも何度も行っているのだが、今回は桜が満開だった。

ここは大本の出口王仁三郎が建てた祠や、カゴメの宮などもある。

奥に出口王仁三郎ゆかりの祠があり、前回撮影中に数人の人が、その裏に回っていたのだが・・・

今回初めて裏に回ってみたら・・・

何やらお祀りをされている様子。

という事は、前回の人びとは大本の信者だったわけだ・・・

(資)文化財復元センター おおくま

 

阿弥陀堂だよりロケ地

ここにも数回行っているのだが、最初に行った時は、坂ノ下のところに立て看板があり、そこに車を置いて、撮りながら登ったのだが・・・・

その後は阿弥陀堂の近くに駐車場があることが判り、そこに停め、楽をしている。

でも、たしかに下からあがると、何か所か絵になる場所があるので、今回車を下に停めて撮りながら登った。

とは言っても、結構な距離があり、上り坂も急なので、ゼイゼイ言いながら登り終えたが・・・

降りてから看板を見ると、1.5キロもあったらしい。

とても疲れて、諏訪に帰ってから行きつけの温泉浴場に行ったら、「本日終了しました」と言われた。

でも車で呑むビールはうまかった。

(資)文化財復元センター おおくま

 

 

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