最近ネットで、写真と見間違えるほどリアルな鉛筆画などが話題になっている。
私も写真を始める前に絵を描いていた時期があり、こだわり性だから、油彩画の古典技術にのめり込んだ時期がある。
徹底的に「写実」をやりたかったが、生憎デッサン力の限界もあり、結局挫折した。
それから「写真だったら、押せば写る」と、隣の芝生は青い状態で転向した。
しかしどんな道でも、やりだせば奥が深く、写真だって「念写」じゃない・・・
ソレナリの「表現テクニック」を必要とした。
特に当時モノクロ写真にのめり込んでいたのて、暗室技術が無ければ、作品は「創れ」なかった。
それで、ゾーンシステムと言うものにのめり込んだのだ。
ゾーンシステムとは、アンセル・アダムスの提案によるもので、普通にフィルムを現像してプリントしても「自然界の諧調」はなかなか表現できない。
その諧調の幅をコントロールする現像法なのだが、それを用いると
こんな写真が撮れる。
つまり、人はたとえばレンズの味にこだわるものは、「それを活かした」写真を撮ろうとするし、また技術にのめり込むと、「それを活かした」写真を撮りたくなる。
これは、要するに「作例」であり、決して「作品」とは言えない。
作品とは自己表現である。
高校時代に、美術部の恩師が「絵なんてねぇ・・・」「描かなくてもうまくなりますよ・・・」と言う謎の言葉を残されたのだが、当時は美大をめざし一生懸命デッサンに励み、練習をすることで「うまく」なれると信じていた。
だけど・・・
その意味が数年後に突然わかったのだが、「作品」とは「自己表現」であり、「表現するべき自己」を磨けという意味なのである。
決して自己表現とは、テクニックではない・・・
で・・・・
思い出すのだが、私はモノクロを始めて、色んな写真を撮ってきたのだが、むしろゾーにシステムをやる前の方が「作品」と言えるものだった。
(資)文化財復元センター おおくま