この作品、見たのはたぶん四度目だと思う。
NETFLIXのメニューの中に、確か今月入ったように記憶している。
気になる作品ではあるが、何分戦争ものだし・・・
いゃどういう意味かと言うと、最近特に思うのだが、人の人生って、自分の「意識」の影響を少なからず受けるということに気が付いた。
つまり、物事を悲観的に受け取るか、楽観的に受け取るかによって、実は自分の人生が変わる・・・
その事に気が付き、本でもそうだし、こういう映画においても、気分が高揚するようなもの、胸にジーンときてカンドーするもの、あるいは単に楽しくしてくれるようなものを、好んでみるように心がけている。
だが、いくつもの配信サイトをハシゴしてきたので、その手の作品はほとんど見尽くしてしまい、他にもリストアップしたものが残っているのだが、なかなか見る気になれない。
この作品も何度も見ているのでストーリーは判っているし、夏目雅子のあの美しさがこの映画の一つの魅力となっている。
そんなことも有り、今日再度見たのだが・・・
私は常々「物事は受け取り方を変えれば、意味が180度変わる・・・」と、のたまわっているのだが、この作品1980年の作と言う。
つまりすでに37年前ということになる・・・
で、何度も見ているが、その37年間、私も中身も変わらぬわけではなく、随分と変化してきて、その見た時期によって受け取り方も変わってくる。
今回、オバマが広島に来たり、安倍が伊勢神宮でサミットを開催し、その裏に「日本会議」の姿が見え隠れする・・・
そんな時期にこの映画を再度見たわけだが・・・
感じたことは、まず最初の部分に、二人の日本の諜報部員が、ロシア軍に銃殺される場面があるのだが、その二人の日本人は、一人はポケットにあるお金をロシアの赤十字に寄付すると言う・・・
するとロシア軍は「感謝する」と言う。
またもう一人はいっぱい呑んでから死にたいと言うと、ロシア軍を酒を与えた。
そして彼は「満州、ハルピンはアジアだ」「君たち白人が支配するのは間違っている」「日本人はどんなに血を流してももロシア軍を駆逐する」
するとロシア軍将校は「我々も皇帝陛下に忠誠を誓った軍人である」と答え、互いに敵同士で有っても、太平洋戦争のような敵を「鬼畜米」とののしるのではなく、日本の「武士道」、そしてロシアの「騎士道」を互いに重んじ、正々堂々と戦う。
どちらが正しくて、どちらが間違っていると言う、勝者の理屈ではなく、互いに「国家」のために戦うと言う、相手を重んじた態度・・・
これって、明治時代だからか、それともこの作品の「主旨」なのか・・・・
決して自分達だけを正当化しょうとしないところは、最初から好感を持って見続けられた。
で、話はどんどん進むのだが、そこに描かれているのは、日本が正しくて、ロシアが侵略者だと言う図式ではなく、どちらも戦争と言うむごたらしい行為の犠牲者であると言う立場で、例え結果的に日本が二百三高地を落とせたとしても、その為にどれだけの犠牲を払ってきたのか?
どれだけ一人の兵士が「お国のため」と言う大義名分の陰で、犠牲となったか?
むしろ、その部分にスポットがあてられているように、今回は感じた。
同じ戦争ものでも、石原が関わった「俺は、君のためにこそ死ににいく」は、確実に死を意味する「特攻隊員」の姿を描いたものだが、そこでは特攻隊員を美化し、「お国のため」「日本国民のため」に自ら望んで死に行ったものとして「讃美」されており、これは明らかに本当に死に行った特攻隊員の気持ちとは相いれないものだと感じたが、37年前のこの作品では、決して戦争を美化することなく、日本人に対しても、敵であるはずのロシア軍に対しても、差別することなく、良いところは認め合った表現がされており、私は今回この作品は絶対に戦争賛美ではなく「反戦」を謳ったものだと受け取った。
そんなストーリの中で、やはり夏目雅子の存在はとても大きく、彼女の涙するシーンは、こちらもこみ上げるものがとても大きかった。
(資)文化財復元センター おおくま