今朝、またfacebookであの写真を見た。
そう・・・
死んだ弟を背負い、歯を食いしばる少年
あの写真、最初に民放の番組で見たことを、はっきりと覚えている。
しかしNHKの番組があったことは知らなかった。
撮影したのは、当時長崎と広島の破壊の現状を記録した、アメリカ軍の写真班のカメラマン、ジョー・オダネル氏。
彼は本来、軍から与えられたカメラで撮影し、すべて写真は軍に渡す規則であったが、密かに個人のカメラで30枚の長崎の写真を撮っていた。
この写真もその中の一つだが、少年は焼き場で、幼い死んだ弟を背中に背負い、直立不動で悲しみをこらえ、歯を食いしばり・・・
火葬の順番待ちをしている姿だと言う。
撮影者は戦後退役し、大統領の専属カメラマンとなったと言う。
担当したのは、アメリカが原爆を落とすことに直接指示した、トルーマンだったらしい・・・
そう、林田民子に投げ飛ばされた、あの男。
撮影者は被爆地の惨状に、戦後ずっとさいなまれ続け、それを忘れるために被爆地の写真をトランクに入れ、封印した。
仕事でトルーマンの写真を撮っているときに、一度だけトルーマンに聞いたらしい「貴方は原爆を落としたことに、罪の意識はありませんか?」
するとトルーマンは動揺し、顔を赤らませながら「罪の意識はあるが、しかし私は前任の大統領の決定を受け継いだだけ・・」と答えたらしい。
月日が流れ、撮影者は原爆症の症状が出始め、アメリカに補償を求めたが却下されたと言う。
ある時、反核運動の像を見て、彼は封印していたトランクを開けた・・・
そして、その写真を公開し始めた・・・
彼は愛国心のあるアメリカ人だが、原爆の投下は間違っていたとはっきりと世間に訴え、写真展を開こうとしたが、すべて退役軍人により妨害されたと言う。
彼の死後、彼の遺志を継ぐ息子により、その写真はネットで公開され、また日本でも何度も写真展が開かれたと言う。
この話を聞き、涙がこみ上げてきたのだが、確かにアメリカは日本を「人体実験の場」として利用した。
これはその後の処理から明らかであり、時代をさかのぼれば、白人は有色人種を家畜扱いし、植民地化や奴隷扱いした。
それに日本は立ち向かうための戦争を挑んだ・・・
それは確かかもしれないが、その日本軍だって、決して虐殺はしなかったと言えないはずだし、多くの軍人は武士道精神を持っていたとしても、一部の司令部のものに、我欲や権力欲が無かったとはとても言えない。
ましては現在の日本人、特に政治に携わる者、あるいは人としての良心より「金銭欲」にかられる者たちも居る。
また、中国や韓国のように、我々日本人から見ると、随分と我欲の強い民族もいる。
だけど・・・それらは全ての人に当てはまるものじゃない。
アメリカ人の中にも、自国のしたことをはっきりと間違っていると言える人もいるし、また中国人・韓国人の中にも「個人」としてみれば「良心」を持った人も大勢いる。
またNHKの問題でも、確かに随分と問題を抱えているが・・・
しかしながら、「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」のような素晴らしい番組だって作っている。
全ての事に共通することは、物事を「十束ひとからげ」に考えずに、敵だって素晴らしいものは認め、味方だって間違っていることははっきりと指摘し、改善していく・・・
その判断基準は「プラス・マイナス・ニュートラル」
つまり、すべての情報は、発信者に意図があり流されるものであり、それは反対意見も同じこと。
片方の意見だけを鵜呑みにすることなく、「自分の判断基準」で冷静に判断することが一番大事だと思う。
このことは今、アメリカの大統領選にサンダースのような人が登場した・・・
これもアメリカ人の「良心」だと私は思うし、ひょっとするとアメリカが変わるかもしれない・・・
アメリカが変われば、間違いなく日本も変わるし、世界も変わる。
また、facebookに彼の動画が貼ってあった。
なるほど、そこに書かれている「最後の言葉」はカンドーものだと思う。
また、彼の死んだ時も随分と信奉者が大勢いた。
だけど、彼がやったことは全て良い事ばかりではないと、私は思う。
私は元々写真の仕事をしていたが、随分と以前に「画像処理」を試行錯誤で始めた。
最初に手にしたパソコンは、NECのもので、当時まだまだ「画像」など扱える代物じゃなかった。
しばらくして「パワーマック」の時代になり、Macが安くなり、それを使い「葬儀の遺影」の合成を始めた。
で、確かに音楽や写真やDTPなどのクリエイティブ分野は、Macの独壇場だった。
ただ、一時「マック互換機」と言う他社製のパソコンが出回った。
アップルのものより、安くて性能の良いものがいくつもあった。
ところがすべて市場から消えた・・・
その上日本橋の量販店では、店によって価格が違い、大幅に値引きする店もあった。
ところがそれも市場価格の統制をMacが始め、値引きできなくなった。
これらって、明らかに「独占禁止法」違反じゃないの・・・・
それでも、まだMacは画像処理に優れていたので、何台も買い換え使い続けてきた。
ところが今度は「iMac」の登場である。
元々Macはクリエイターが使い、ウインドウズは事務系が使う。
そこに一般ユーザーが大事な顧客となり始めた時、iMackの登場は、我々プロからすると決して喜ぶべきものではなかった。
何故か?
それは斬新なデザインもさることながら、「カラフルな色」が問題であった。
一般のユーザーには関係ないだろうが、もともとパソコンは「グレー」系のボディカラーであったが、何故グレーなのか?
その意味を解る人はほとんどいないだろうが、我々画像をパソコンで扱うものは、「忠実な色」の再現に一番神経を使う。
俗にいう「キャリブレーション」なんだが、その機能は確かにMacの方が優れていた。
しかし私が言いたいのは、「18%のグレー」と言われる基準が写真の世界にはある。
それは世の中の目に見える明るさをすべてかき混ぜると「平均値」が18%のグレーとなると言うもの。
これは色に関しても同じことが言われており、まぜればグレーとなる。
このことはたとえば、ある色を正確に見る場合、そのバックが、黒なのか白なのか、あるいはグレーなのか?
それによって、その明るさは人間の目には違って見える。
同じように「色」に関しても周りの影響を受ける・・・・
その影響を受けにくくするために、モニターのボティの色はグレーであり、またモニターの画面の色は「グレー」で有るべきなのだが・・・
あのiMacはそれらを完全に無視し、一般受けするためにカラフルなボティと、モニターの画面の色を採用した。
確かにiMacはブームになり、よく売れただろうが、破壊したものも大きい。
またそれ以後もMacを使い続けたが、何分値引きをしないから、ウインドウズに比べ値段が高い。
逆にWindowsは各パーツを別々に組み合わせて、自作できるので、費用的には半分で済む。
またMacのコマーシャルはいいとこずくめな宣伝をするが、頻繁にフリーズして、作業を保存できずに最初から何度もやり直しを強いられた・・・
そんなことも有り、またWindowsが画像処理の性能も上がり、Macを自作のできるWindowsに切り替えた。
そして、iPhoneの登場は、人の連帯感を壊し、猫も杓子も、歩きながら・・・
あるいは電車の中で・・携帯とにらめっこ。
ましては携帯でネットが見れるようになると、一般人は携帯だけでネットを見る・・・
結果、ネットの情報の密度が低くなった。
iPadも携帯には向いているが、しかし彼は便利なものを作りすぎた・・・
人間、誰しも楽をしたいと思うし、便利なほうがよいと考える。
だけど・・・
それは本来人間が持っているいろんな能力を退化させることに繋がる。
私が一番危惧するのはそこなのだが・・・
私は「画像による文化財復元」と言う特殊な仕事をしている。
多くの学者は文化財を「物質」としか見ない・・・
しかし、それは「目に見える世界」の話しであり、本当の価値は「制作者の思い」だと思う。
よく言われるが、五重塔を解体修理すると、今の匠の技術以上の技が使われているとか、絵の世界でも今の絵師では真似できないほど繊細な技が使われている。
それらは「徒弟制度」により受け継がれてきたが、近代になり大工でも電気のこぎりや電気カンナの登場により、徒弟制度は潰れ、技は受け継がれなくなった。
それは単に「技術」の伝承だけの問題ではなく、親方は弟子を「人」として育てた。
つまり、ソレナリに常識や判断基準となるものも習得させたが・・・
世の中が便利になると、人々はそんなものに見向きもしなくなった・・・
そして文化はどんどん荒廃する。
何故朽ち果てた文化財を復元しなければならないのか?
それは「目に見える世界」が大事なのではなく、昔の人は「人」として明らかに今の人より優れていた。
それが人から人へと受け継がれなくなれば、当然人は「退化」し、いずれ自滅する。
それを先人の残した「文化財」から「読み取り」、後世に伝える。
それは物質である必要はなく、「その思い」こそ、残すべきものだが・・・・
スティーブ・ジョブズは、その破壊の一端を担っていたと、私は全く別の立場から言いたい・・・
(資)文化財復元センター おおくま
ネット配信サイトのNETFLIXは、他のサイトに比べ、オリジナル作品やドキュメンタリーなども豊富で、他では見れない作品が多い。
とはいえ、マイリストにいくつも登録し、順番に見ているのだが・・・
このサイト以前にも、他のサイトを随分と梯子しながら、見たいものはほとんど見ており、リストアップしてはあってもなかなか気乗りしないものが残っていた。
それでも毎月新しいものが加わり、それを楽しみに見ているが、この映画、1981年作の自主制作作品らしい・・・
モノクロの作品で、随分と暗いイメージが付きまとう。
時代的に昭和31年の大阪の川べりに暮らす、うどん屋の男の子と、ある日突然対岸に一隻の見慣れぬ船が停まっていた。
その船で暮らす、同じ年の男の子と、その姉を中心にした話なのだが・・・
最初から意味ありげな話だが、知り合ったうどん屋の男の子は、舟の男の子に誘われ船に遊びに行く。
途中足を滑らせ、靴が汚れるのだが、その船の男の子の姉が優しく、足を洗ってくれる。
舟の中に入ると
、一部屋なのだが、どうも奥から母親らしき女の声が聞こえる。
オンナは自分の息子に、友達に黒砂糖をお上げ・・・
そして、あまりここに遊びに来ないように言ってお上げと言う。
母親は声だけで姿を見せないのだが・・・
うどん屋の男の子と船の男の子は仲良くなり、父親に「友達を呼んでええか??」と尋ねる。
父親はその船がいわくつきの船であることを、客から聞いていたが・・・
母親は心配するが、父親は「呼んでいいよ」と言う。
後で母親が心配げに父親に話すが、父親は「子供に罪はない・・」「子供は親を選んで生まれてくることはできない」と、その船の姉と弟を店に遊びに来させ、差別することなくかわいがる。
しかしその姉は・・・
優しくされても、遠慮気味に、自分たちの立場を弁えた様な振る舞いをする。
ある日、うどん屋の男の子は船に遊びに行くが、友達はいない・・・
奥から母親の声がして、息子は水を汲みに行っているけど、こちらに遊びに来ないか?と、奥の部屋に招待する。
そこで初めて母親は顔を出すのだが・・・
実はこの船「廓船」と呼ばれ、母親は売春をして子供たちを育てていた。
で、初めて顔を出した母親を「加賀まりこ」が演じているのだが・・・・
仕事がら粋な浴衣を着て、きれいに化粧をしていてとても美人だった。
で、私もその加賀まりこのあまりにも美しい姿に、思わず見とれてしまった。
その日はそれで終わるのだが・・・
うどん屋の男の子と、舟の男の子は、うどん屋の母親からこづかいを貰い祭りに行くが、こづかいを落とし、その船に戻って少し遊ぶのだが・・・
その男の子は船の子の母親が、男に抱かれている姿を見てしまう・・・
悲しくなって家に戻るのだが、涙がこみ上げる・・・
当然、舟の男の子も、その子が何を見たのか判っているし、少し離れた橋の上で母親の客引きをしていた姉も、その事に気づく。
翌日その廓船は、舟に引かれてそこを出て行く・・・
大人に取ってはさほど問題でもない出来事が、小学3年生の男の子にしてはとても悲しい出来事であり、またその船の姉と弟にとってもやっとできた友達と、母親の仕事の件で別れなければならないと言う、物悲しい物語であった。
この映画、自主制作だが、最終的に東映系列の映画館に6000万で買い取られ、また国内や海外でも多くの賞を取っているらしい・・・
で、この映画の子役たちは、言葉数は多くないが、独特の物悲しさをうまく出しており、ETを作ったスピルバーグが、子役の使い方が旨いと、監督を訪ねてきたらしい・・・
余談だが、加賀まりこは当時大変な売れっ子でスケジュールの調整が付かず、すべてのシーンを6時間で撮り終えたと言う。
(資)文化財復元センター おおくま