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「林田民子」の話は、実話か??

昨日、facebookで「林田民子」と言う女性が、トルーマン大統領を投げ飛ばしたと言う、痛快な話が有り、私もシェアさせてもらった。

内容的には
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熊本県に林田民子という女性がいました。


明治37年生まれの民子は25歳の時に、ピクチャーブライド(アメリカに移民した男性と写真だけでの結婚)でアメリカに渡ります。


渡米の船の中で、講道館柔道から派遣された太田節三と出会い、渡航中と渡米後に柔道を習います。



当時は排日運動の激しかったアメリカで日米友好のため必死に働きますが、世界情勢は徐々に日本を開戦に追い込んでいきます。


太田節三と林田民子等は世界平和基金財団をつくり、敗色濃厚になった故国日本の今後のために、アメリカ政府に一生懸命働きかけます。


やがて、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をします。


その年の9月2日、ホワイトハウスに招待された林田民子はトルーマン大統領に小さな声で語りかけます。…



「大統領閣下、何故広島と長崎に原爆を投下されたのですか?」


「20万人を超える若いアメリカ兵の命を救うためです。」


「日本は既に無条件降伏を決めていました。何故、20万人ものアメリカ兵が死ぬのでしょうか?」


「抗戦派の抵抗も考えられ、これ以上戦争を長引かせては、若いアメリカ兵の命が危ないと判断したからです。」


「大統領閣下、貴方は嘘を言われています。マリアナにある戦略爆撃司令部は、ポツダム宣言に対する返事があるまでは原爆の投下はあり得ないと明言していました。」


「それは若いアメリカ兵20万人の命を・・・」


「大統領、貴方は日本が無条件降伏することを既に知っていた。それなのに、何故、原爆投下を命じたのですか?ヤルタ協定で日本に侵攻することになっていたスターリンへの警告のためだったのでしょう。」


「そんなことはない。すべてアメリカ兵20万人の命を守るためだ。」


「大 統領、貴方には日本人の命などどうでもよかったのです。原爆投下によって20万人以上の人間が死傷することは、初めからわかっていたのです。貴方が虫けら 同然と思っている日本人が20万人死んでも、貴方にはどうということはなかったのです。あなたは人体実験をしたかっただけなのです。スターリンに、アメリ カに逆らうとこの原爆がモスクワに落ちるぞと警告をしたかった。
ただそれだけのために20万人以上の日本人を犠牲にしたのです。20万人のアメリカ兵の命を守るためなんかではない!
大統領、貴方は今世紀最大の悪魔です!」



民子は大統領の胸ぐらに手を伸ばすやいなや、綺麗な背負い投げで投げ飛ばした。


叫びとともに音楽が止んだ。



慌てて民子を取り押さえようとしたスティムソン陸軍長官も一本背負い で宙を舞った。


全員が立ちすくんだ。



突然「バン!」と乾いた音がして、民子の胸が赤く染まった。



民子は胸に手をやり、音のした方向に視線を向けながら崩れるように床に倒れた。


林田民子は一命をとり止め、太田節三とともに収監された。


日 本人ではあったが、林田民子はサザンパシフィック鉄道の役員であったこともあり、アメリカ独立戦争当時の功労者であるバニング家とのつながりもあり、世界 平和基金財団の代表理事でもあることから、強制収容所送りを免れ、OSS(米国戦略事務局)の研究員として終戦後の処理方法の研究に携わった。

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実に芯の強い大和撫子の鏡のような人だと思い、この「林田民子」の事をもっと知りたい・・・
そう思い、ネットで検索した。
いくつも出てくるが、その内容はほとんど同じものばかり・・・
その出所は前田秀峯著「夢の中に生きた男たちらしい・・・
それ以上の情報はほとんどない。

ただ、調べていくうちに、少し情報が得られたのだが、一つは大叔父・太田節三の慕情
と、言うサイトがあった。
ブログの主は戦前にアメリカに渡った柔道家の身内の人らしい

彼はアメリカの大富豪と結婚し、戦時中も収容所送りを免れ、日本の戦後処理にも携わった人らしいが、このブログの主は
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「1929年 25歳でアメリカへ渡った林田民子さん。
とてもきれいな方ですが、
花嫁写真・・・アメリカの男性が日本から花嫁さんを捜すため、
自分の写真を日本に送り、応募した女性が当時たくさんいました。
林田民子さんはその中の一人で生まれは、
熊本県。
生涯アメリカで暮らしたといわれております。
どなたかご存知でしょうか?
夢の中に生きた男たち著者 前田秀峯さん
著書の中では林田民子の名前で登場し、
1945年 アメリカが日本に原爆の投下を決断したトルーマン大統領を、
投げ飛ばしたと書かれております。
その女性に触れてみたくなりました」。

Mr.Toyoguchiは、太田節三氏甥子さん。なので、
ルーシー・バンニング(バニング)さんはMr.Toyoguchiの「義理の叔母」。
ルーシーさんに関する米国記事は数年前に彼女がモデルとなったノベルズが
発売でかなり増えている。
それでもそれらの記事は2004年の
某ページ(日本人の原文がもとになっている、と書かれている)
からの記述がほとんど。
日本人格闘家の先駆者・太田節三氏はルーシーさんの
「一目惚れ」以降、米国マスコミの嵐に吹かれていた。
米国ページで太田節三氏関連の記事がほとんど出てこないのは、
「米国人と外国人の恋愛を良く思わない傾向」が米国に現在もあるからだろう。
Ad Santel アド・サンテル氏との対戦記事も出てこないのだ

一昨年の夏、「林田民子エピソード」が日本中のTwitterで大ブーム。
そのエピソードでは、太田節三氏と林田民子女史がホワイトハウスへ
招かれたことになっている。
太田節三氏が著名な方であっても、政界関係者ではない日本人を
ホワイトハウスに招くだろうか。
その林田民子女史に柔道を教えたのが太田節三氏で、
林田女史は太田氏の秘書だったという。
「夢の中に生きた男たち」、夢が感じられる著書名だけども。

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{toyo0181}
上記ブラウンカラーは私が書いた記事の抜粋を読者が自分のブログに、
英語と日本語で転記したもので間違い無く、
英語版も読まさせていただきました。
又、記事の一部への返信は幾度か書かせていただきました。

林田民子さんの記事は2日前に書きました。
林田さんのことは私は否定するために、知りたくなったのでは無く、
ただ「夢の中に生きた男たち」の中では林田さんと節三が、
ありえない想定で描かれ、読者を喜ばせ、ブログでは相当話題になった、
著者が知る林田さんはどんな方か、他意なく知っておきたい願いだけだったのです。

残念ながら、太田と林田さんの接点がないのです。
節三は秘書を傍らにする仕事ではなかったと・・・。

私が今缶詰状態になっている、1930年前後アメリカと日本の時代背景、
それは、食べ物・交通手段・着物・建造物・貧民街と、富裕層の生活・人物像・・・等
能力以上の資料の収集とまとめに鉢巻をしているわけですが・・・
これこそ、帰国後の節三の足跡を知る手掛かりと思っております。
この調べで「夢の中に生きた男たち」の著書を云々するつもりは
毛頭なく、帰国後節三を取り巻く、政界等その苦悩に身を焦がした心情を
つい・・・。

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と、書かれている。

一方「肥後の猛婦 武者んよか 林田民子
と、言うサイトがあった。
その中に
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3年前、九州熊本の友人から肥後の猛婦「林田民子」の話を聞いた。林田民子といっても歌手の水前寺清子さんの本名ではない。 彼女について書かれた本をずうっと捜していたが、見つからずにいた。先日、その本について書いた友人の2年前の記事を覗いてみて驚いた。著者からのコメン トが入っていたのだ。早速連絡を取り、さきほど著者から本を譲っていただけることになった。著者は日本にいる事はあまりなく、本当に偶然の出会いに感謝し たい。
 友人は移動中なので連絡が取れないが、事後承諾をもらうことにして、彼の記事を転載しよう。
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として、例の内容が転載されている。

で、面白いことにその記事に対して、その本を書いた著者がコメントを返してきたと言う。
そして、その本を著者が送ってくれたらしい・・・

それで終わったわけではなく、夢の中に生きた男たち
には、そのブログの主はその著者と会ったらしい。
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実は、飛行機の最終便搭乗までの約2時間、このことを書いた「夢の中に生きた男たち」の著者前田秀峯氏と面談していた。林田民子のことはもちろんのこと、 彼女に柔道を教えた講道館の太田節三のことについても伺うことができた。著者の前田氏は長崎県島原市生まれで71歳になる。1979年渡米し1994年に はアメリカンシルバーウッド社の会長に就任。阪神大震災のときは、建設省の要請でアメリカの建設業界を代表して、約100人のボランティアとともに復旧に 協力している。
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と、書かれていて、詳細はそちらを見ていただければわかるが、その中に
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林田民子はトルーマン大統領とスティムソン陸軍長官を一本背負いで投げ飛ばしたあと銃で撃たれたが、一命をとり止め、太田節三とともに収監されたという。


民子は日本に戻ることなくアメリカで生涯を閉じたが、太田節三は日米を行き来し、戦後の日本復興のために尽力した。田中角栄氏ら多くの政治家も彼のお世話になったようだ。


今や90歳を越えているであろう女性から林田民子は、あのユル・ブリンナー主演の「王様と私」に出演しているかもしれないと聞いたが、まだ確認していないそうだ。彼女が映像を見ればどれが民子なのかわかるはずだと言うのだ。

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と、言う情報があるが、このサイトには民子の話が実話なのか?著者に会って話を聞いたはずだが、そのあたりの記述が無い。

で、あるサイトで、この話は著者がその時近くにいた人から聞いた話だと言う書き込みがあったが、そのサイト、再度探しても出てこなかった。

で、この話を作り話だと言う人が多いが・・・・

しかし、先ほどの著者に会った人の話では、この著者はアメリカ在住で、かなりの財力があり、
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ロサンゼルス大地震の後、日本のお役人が講演し、日本の建設技術の自慢話を聞かされたアメリカの関係者は、阪神大震 災の被害が同じ震度にもかかわらずロサンゼルス以上のものであったことにあきれたそうだ。各国が救援隊を送ってきている中、アメリカがまったく動こうとし なかったわけはそこにあったそうだ。(地震の強さはロスの10倍だったと後でわかった)

前田氏がアメリカの建設業界を代表して救援活動に参加したのは、建設省から「お前がアメリカ国旗を携えて救援に来い」との要請を受け、それに応えたものだった。

 

当時は村山富市社会党党首が総理大臣だったときで、軍用機での資材輸送はできず、JALを借り切っての支援だった。JALからきた1億8千万円の請求は自社で負担したそうだ。そんな氏であるから本の売れ行きなどまったく無頓着なのもうなずけるというものだ。

 

林田民子や太田節三も凄いがこの前田秀峯氏もこの二人に勝るとも劣らない豪傑だった。
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と、書かれているのだが、そんな男が果たして本を売らんがために、どこかの慰安婦問題や南京大虐殺をでっち上げた男みたいなことをするだろうか?確かに、民子とトルーマンとの言葉のやり取りは、そこまで近くにいた人が詳細に覚えているとは思えないので、いささか脚色されているものだとしても・・・
たぶん林田民子と言う大和撫子が、トルーマンを投げ飛ばしたと言う話は「実話」ではないかと、私は信じる。

(資)文化財復元センター  おおくま

 

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