本日facebookからのリンクで、あるタレントを写真をもとに鉛筆画で描いている人の動画を見た。
私自身も写真を始める前に、絵を描いていた時期があるのだが・・・
当時「写実画」に凝っていたのだが、しかしながらデッサン力が伴わず、結局は絵画を辞め、写真の世界にのめりこんだ。
写真は絵画と違い、シャッターを押せば、狙ったものが撮れる・・・
そう安易に考えての転向だったが、現実はそう甘くなかった。
つまりいくら「感覚」が鋭くても、それを「形」にするためには、ちゃんとした「写真技術」の習得を必要とした。
当時、特に「モノクロ写真」にのめりこんで時期があり、写真の諧調をコントロールする「ゾーンシステム」に、随分とはまっていた時期があった。
また、当時から、「人のやらないこと」をやることに、悦を感じる性格は、未だに復元の仕事を始めても変わっておらず、16年を過ぎた現在も、未だにこの復元技術は日本はおろか、たぶん世界的にも他に例を見ないものと思う。
さて、本題に入るが、私は何事にも「究極」と言う言葉を好み、どうせやるなら、写真で当たり前の「リアル」を超えた「スーパーリアリズム」ともいうべき写真を創っていた時期がある。
現在のデジタルカメラでいう「画素数」とは、アナログのフイルムでいう「解像度」と同じ意味を持つ。
つまり1つの銘柄のフィルムでも、35ミリ版と4×5版では単位面積当たりの解像度が同じでも、フイルム面積が大きく違うと、拡大率が変わる。
結果として同じ大きさのプリントの解像度は、違って見える。
また、そのフイルムの銘柄により、粒状性も変わり、解像度の違いが現れる。
まずこれを基本に考えてもらうと、フイルムは大きいほうがよく、しかもフイルムの粒状性は細かいほど、細部の解像度が高い。
とは言っても、フイルムには「粒子」があるから、限界もある・・・
ところが、「無粒子」と言われるフイルムの存在があり、新聞などの文字情報の複写用に「マイクロフィルム」と呼ばれるものがそれだが、このフィルム、一般的に「35ミリ版」が主となる。
同じ性質のフイルムが当時市販されていたのだが、富士フィルムの「ミニコピー」そしてコダックの「テクニカルパン」と呼ばれていた。
その中のミニコピーは「ブローニー版」しか存在しなかったが、コダックの「テクニカルパン」は、日本国内では「ブローニー版」までしか輸入されていなかった。
このフイルム、実は4×5版と8×10サイズまで存在していたので、当時「個人輸入」で取り寄せて、ゾーンシステムのフイルム現像で、本来白と黒しか写らないのに、「写真諧調」の表現を可能として使っていた。
実は4×5サイズのフィルムだと、3メートルほどのプリントを作ったが、全く粒子は見えなかったくらいの、高解像度フィルムであった。
そのフィルムを使い、知人の作品である「ホワイトキルト」を撮ったことがあり、それを思い出し、6切りのプリントと半切のプリントから、スキャナーで取り込んだ。
テクニカルパンは、一般的なフィルムと少し感色性が違い、トーンも独特であり、風景写真を撮っても、一寸雰囲気が違っていた。
そんな「究極」のアナログ写真に拘っていたから、今のデジタル復元でも「高解像度」のデーターを撮る技術があり、細部に残る「痕跡」から、当時の姿を再現することができている。
数年前から、精神世界の本をたぶん300冊ほど読んだと思う。
いゃ、数を自慢するわけではないが、それまで私は「知識」より「思考」を大事にし、自問自答をすると、答えが本や他人に聞くことなく、自分の中に返った。
つまり、潜在意識なのか、あるいは守護霊なのか、はまたま魂からか、内なる神からかは判らないが、答えが閃いたり、あるいは気が付くと自分の中に答えがあった。
そういう経験をたくさんしているもので、わざわざ知識を本から仕入れる必要が無いと思ってきた。
ただそれでも、自問自答の答えが、見ていたテレビ番組の中に有ったり、たまたま開いた本に書かれていたことも無いわけじゃ無かった。
ただ数年前から、この復元の仕事の状況が変わった。
何度も言うが、私は不思議な出来事を多く体験しているが、もともとは無信心であった。
にもかかわらず、そんな出来事を体験すると「目に見えない不思議な力」と言う「存在」を、否定できなくなった。
それがいずれ「信仰心」へと繋がるのだが、数年前に初めて仕事場に神棚を作った。
神棚とは言ってもまともなものではなく、仕事の机の上の棚に簡単なスペースを作り、伊勢神宮のお札を張った。
その後毎日洗ったお米や塩などをあげ、祝詞をあげる・・・
そんな習慣を欠かさなくなったが、さりとてそれからよくなったとも思えない。
そこであげるべき祝詞は何なのか?が気になり、いくつもの祝詞をあげていたのだが・・・
ある旧知の占い師から「神棚に問題があるような気がする」と言われた。
神棚と言ってもちゃんとしたものじゃなかったから、Amazonで安い神棚を買い、鏡は少し上等なものを買った。
さて・・・
問題なのは「のりと」なのだが・・・
果たしてどれが本当に効果のある祝詞だろうか?
今までネットを見て、効果があると言われるものをいくつもあげていたのだが「大祓い祝詞」の中に「太祝詞」と言う言葉がある。
にもかかわらずその部分が抜けている・・・
そこに不信感を抱いていて、何となく神社神道を信じきれない気持ちも、正直あった。
それが効果をあげない原因だとは分かっていたのだが・・・
そこでまた自問自答で「祝詞はどれにすべきか?」と問いかけて、ネットで検索した。
本来「太祝詞」を探していたのだが、納得のいくものが無い・・・
すると http://www.pikakamo.com/index.php?%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%81%AE%E5%A4%AA%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%80%8D と言うページを見つけた。
それを読んでいくと、なかなか面白い・・・それを読み終え、その元になるページも読んでいたら、何やら本を出したらしい??
ということで、さっそく3月に出された本なので古本も無く、Amazonで新刊を取り寄せた。
(資)文化財復元センター おおくま
HPを読むと、何やら「弥生語」と言う言葉と「倭人天族」と言う言葉が出てくる。
よくゴダイゴ!!じゃなかった、古代語と言うものがあると言う話は聞くのだが・・・
この弥生語と言うのもその一つらしいが・・・
それを記した文献は世の中に出ていなかったらしいが、実は1つだけ記紀以前に書かれたものが、ある神社の神官の家系に伝わっているらしい・・・
そんな話の断片がネットでわかったのだが、その一族は「倭人天族」の王に仕え、天の声を聴くことが仕事だったと言う。
そして「倭人天族」とは???
九州の五島列島から博多のあたりに勢力を持ち、航海術にたけて大陸との貿易で勢力を伸ばした弥生人だと言う。
しかも彼らが稲作や鉄器を仕入れ、日本の他の一族に普及させたと言う。
それが実は今の「天皇家」の祖先だと言う・・・
何やら今までの古代史を根本から覆すような話なのだが、それについて本では詳しく書かれている。
つまり、九州が発祥の地であり、それがある出来事を機に「本土」へ出てきて、奈良の三輪のあたりに政権を築いた。
「天孫降臨」とは、大陸から日本に侵略してきた他民族ではなく、もともと九州に住む、日本人だと言う。
ここに興味があるのだが、実は私の生まれたのはその博多の近くの「甘木」と言うところなのだが、数年前にそこが邪馬台国の候補地だと知った。
また、よく行く「宗像大社」は、宗像家の氏神であり、また宗像家も玄界灘の海洋族だと言う・・・
かなりの勢力を持つ一族だったらしく、たぶん倭人天族の流れを汲んでいるのではと思う。
また変な話だが、あるチャネラーから私の過去世の一つに「ニニギ」の名が挙がっていたが・・・
まさかそんな神様が前世の訳もないし・・・・と信じ切れなかった。
しかし、天孫降臨が実は九州に住む「倭人天族」だとしたら・・・
ニニギもまた、実は「九州人」だということになる。
そうなれば・・・・可能性も無くもない??
で、話を戻すとその「弥生語」と言うのが何故重要か?
それはもともと天皇家が使っていた言葉であり、その言葉の多くが「神道」の神の名や祝詞の「元形」になったものだと言う。
また、祓い祝詞も実はその弥生言葉から創られ、日本の神々の神話も、そこから派生したものだと言う。
で、肝心な「祝詞」をその中で見つけた。
これがその原型になるもので、私はこの祝詞に導かれたものと信じている。
(資)文化財復元センター おおくま
連休前に問い合わせのメールが入った。
何やら30年前の高校時代のクラスの「文集」がある。
しかし、随分と薄くなっているページもあり、何とかデジタル化して、当時のみんなに配りたいと・・・
こういう「思いで」の復元を望まれる人は多いが、なかなか予算的に折り合いがつかない。
しかし今回、何とか折り合いが付き、復元することになったのだが・・・
思ったよりもページ数も多いのだが、実はこの文集は卒業文集じゃないらしい・・・
どうも1年何組とか書いてあるのだが、しかし各ページを読み込みながら、少し見ていくとどのページも文字が高校生にしてはとても纏まった字を書いていたり、また各ページに似顔絵や漫画が描かれているのだが、これもまたどれを見ても素人が書いたものとは思えない・・・
仕事を終え、データーを送るときに、依頼主にその件を伝えたら・・・
何やら当時のメンバーの中に、現在「絵本作家」になったものが居て、その人が中心に創られているらしい。
それにしていまどきの高校生や大学生より、よほど読みやすい文字を書いていると思う。
現状画像 | 復元画像 |
現状画像 | 復元画像 |
(資)文化財復元センター おおくま
2002年の邦画である。
私は昔、NHKの「プロジェクトX」の大ファンであった。
NHKは本来、企業のPRはしない・・・
だから過去何回と私の技術をNHKで紹介されたが、一度も「(資)文化財復元センター」として紹介されたことが無く、常に「大隈 剛由」と言う「個人名」での紹介である。
ところが、この「プロジェクトX」に限って、企業名が紹介された。
それは、日本の企業の製品開発や、独自のシステムを持つ、企業や個人の紹介番組であったが、常にこの番組を見て、私はこの番組で私の「デジタル画像による文化財復元」と言う技術の紹介されることを夢見ていた。
しかし、実現する前にこの番組は終わった・・・
また、この番組のテーマソングもとてもとてもお気に入りで、以前に何度も枚方の地元のFM局にゲストで呼ばれたが、その時に私のリクエストを聞かれると・・・
迷わず、このテーマ曲をリクエストした。
いゃ、今回はその番組の紹介ではなく、「VHF」と言う、家庭用のビデオデッキの規格を全世界の統一規格にまでした、一人のビクターのビデオの開発部長の話を、映画化したものである。
この男、もともと製品開発に携わっていた高卒のオトコだが、ある意味「左遷」に近い形で、ビクターの赤字のビデオ事業部の責任者となる。
会社は人員削減を促すが、彼は誰一人首を切らずに、新しく「家庭用ビデオ」の開発に乗り出し、苦労の果て、製品化のめどを立てた。
ところがすでにソニーのベーターが統一規格の候補に挙がっていたのに、ビクターの親会社の松下の相談役、つまり「松下幸之助」の心を動かし、逆転{で「}VHF」を統一規格へ持って行った、一人の男の「おもい」の物語である。
で、ここでその男もすごいが、なにより「松下幸之助」と言う男の偉大さを、感じずにはいられない。
いゃ、実は私は6人兄弟の下から2番目なのだが、私はとても貧しい家庭に育ち、上から働いで、家庭を支えた兄や姉に助けられて育った。
その2番目の姉は中卒で、地元の「松下」の工場に勤め、そして職場の同僚と結婚した。
その姉もそうだが、私は復元の仕事を始めて、「元・松下電器・社会貢献事業部部長」と言う方から、仕事を紹介いただいたことも有るのだが・・・
その人もそうだし、私の知る他の松下の社員の方も、誰一人「松下幸之助」を悪く言う人は居なかった。
何やら戦後GHQから財閥扱いされて、解体されるところを、逆に松下の「組合」がGHQに働きかけ、難を逃れたと言うくらい、彼は自分の資産を増やすことより、社会のため・社員のためを考えた人らしく、そんな彼をこのビクターの「VHF」の開発部長は「熱意」で、幸之助を動かした・・・
私はそこがこの映画の味噌だと思う。
少し話は変わるが、私は写真を職業としていた頃、葬儀の「遺影」を作っていた時期があるのだが・・・
いくつかの葬儀社と付き合ったが・・・
ある葬儀社など、社員の誰一人として「自社」を良く言うものが居なかった。
それを考えると、幸之助有っての松下であり、またビクターであったわけだ。
最近、こんな、骨があって、そして「情」が解る「CEO」は居ないように気がする。
あぁ、「VHF」の開発者の映画を見たのに、その裏に幸之助の偉大さを感じてしまった・・・
(資)文化財復元センター おおくま