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ジャンヌ・ダルク 失われた真実・レオン・ドウニ著

彼女の名は知っていたが、あまり詳しくは知らなかった。
その後Wikipediaに「キリストに次ぐ聖人」と書かれていたので、がぜん興味がわき、3冊ほど本を買った。

そのうちの二冊は、タイトルとして「ジャンヌダルク」と言う名は有れど、ほとんどは当時のフランの「様子」が書かれているだけで、その中に時々彼女の名前が出てくる程度で、とても彼女の事を知るには程遠い。

当時のフランスは1つの「国家」として纏まっていたわけではなく、どちらかと言うと、日本の戦国時代的に、地方の領主が競い合う状況だったらしく、その中に突如一人の少女が登場し、国を一つにまとめた。

彼女は文盲で、教育も受けておらず、ましては軍を率いる「戦略」などは知る由もない。

そんな彼女が何故、荒くれ男を率い、勝利に導けたのか?

そこに興味があるのだが、彼女は「」からのイメージを常に受けていたと言う。

で、3冊の内でただ一つ、彼女を生き生きと描いているのが、この本なのだが、実は著者はフランスのスピュリチュアル界の大御所で、「降霊会」で彼女から真実を聞き、「彼女の立場」としてジャンヌダルクの生涯と、神や天使や妖精などの高位の霊たちと常に繋がっていたと書かれている。

日本においては、高橋信次が「人間・釈迦」のシリーズを、守護霊が当時の釈迦の姿を再現して見せ、それを文章にしたと言うが、ジャンヌダルクもまたこの著者に霊となり、直に話しかけてきたものと言う。

確かにジャンヌダルクの置かれた立場は捕えられ、半年にも及ぶ、ローマ教会の悪意のある高僧や、彼女を死刑に処したいイギリスの企みの犠牲になり、ある意味キリストははりつけにされただけだが、彼女はそれ以上の肉体的、そして精神的な苦しみを味わう形となった。

確かにあそこまでの苦しみを19歳の少女に味あわせた教会と、シャルル7世の無責任さを考えると、彼女がキリストに次ぐ聖人であることに間違いはないだろうと、私も思うし、彼女はかなりのレベルに合った霊能者だからこそ、それに耐ええたものと思う。


(資)文化財復元センター  おおくま
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永遠の〇・百田尚樹 著と映画版「永遠の〇」

先日ネット配信で「テレビ版・永遠の〇」を見た。

感動ものなのだが、しかし3夜に及ぶドラマ化ともなれば、当然原作よりは中身が濃いものと思い、何が原作に付け加えられているのか?

また、映画版ではどうなのか??
が、少し気になり、Amazonで原作を検索すると、さすがに古本では「1円」で大量に並んでいた。

まぁ送料は掛かるが、「いいかぁ・・・」と思い注文したのだが・・・・
映画版の作品は、さすがにネット配信には出ていない・・・
やむなく、またAmazonの中古DVDを注文した。

で、原作が届き読み始めたのだが・・・
結構分厚い。
50ページほど読んだが、結構緻密に当時の様子が描写されており、ある意味映像化されたものよりも生き生きとしていたのだが、さすがに1日で読み終える量では無さそうと、ページ数を見ると450ページほどある。

で、どうせストーリは知っているし、読むのを諦め、映画版の作品を見た。

で、感じたのだが、原作の最初の部分を読んだ印象から、テレビ版のドラマの方が、むしろ映画版より原作に近いのではないかと思った。

つまり映画版は当時の関係者の話をずいぶんカットされていたり、特に何やら大手企業の会長に話を聞く場面も、弟一人で行ったことになっているが、テレビ版では姉と、また姉の上司にあたる新聞記者も行ったことになっている。

で、問題なのは、その新聞社をその会長は信用していない。
だからその記者に話す気が無いとはっきり断り、孫だけに話をする。

つまりもここが大事なのだが、たぶん朝日新聞をイメージしているような感じで、戦時中に国民をあおっておきながら、戦後手のひらを反す。

そんなところにも著者の「反戦」の思いが詰まっているように感じた。

またテレビ版を作ったテレビ東京の社長も「骨太のドラマが作れた」と述べているように、あれをテレビで流すことはとても勇気がいったとおもう。

そういう意味において、むしろテレビ版の方が、映画版より霊的レベルは高いと私は思う。


(資)文化財復元センター  おおくま
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