先日久しぶりに4冊の「こころのチキンスープ」のシリーズを買った。
さらに続けて、以前に買って読んだが手元に残っていない本を含め、また4冊買った。
「その2」を現在読んでいるのだが、「その1」を以前に読んだ時、「その1」が一番感動的な話が載っていると思ったのに、今回読むと、2~3話はこみ上げるものがあったが、それ以上に「その2」はグッとくるものが多い。
その中の1話を紹介したいのだが・・・
私は自問自答をして、返ってきた価値観で物事を考える。
その一つに「人は人生から多くを学ぶ」と言うのがある。
生まれながらに変わらない人は一人もいない。
人生において、家族や環境や教育がその人を変えていく。
そのよい例がこの話だと思う。
パパは何でも知っている。
4歳・・・僕のパパは、なんでもできるんだぞ。
5歳・・・僕のパパは、何でも知っているんだぞ。
6歳・・・僕のパパは、君のパパより頭がいいんだぞ。
8歳・・・僕のパパにも、知らないことがあるんだね。
10歳・・パパが育ったころと今とは、だいぶ違うんだよな。
12歳・・あぁ、しょうがないさ。 知らなくても無理ないよ。 だってパパは歳だもの。 自分が子供だった頃の事なんて覚えていないのさ。
14歳・・パパの言うことなんか、気にしなくてもいいんだよ。 古いんだから。
21歳・・えっ、僕の父さん?もうどうしょうもなく時代遅れさ。
25歳・・父さんにも、少しはわかっているみたいさ。 でも、そんなの当たり前だよね。 あれだけ長生きしているんだもの。
30歳・・父さんの考えも、きいたほうがいいんじゃないかな。 何と言っても、経験があるからね。
35歳・・父さんに聞くまで、僕は何もしないからね。
40歳・・父さんならこんな時どうしただろう? すごく知識も経験もほうふだったものな。
50歳・・もし父さんを生き返らせることができるなら、何も惜しまない。 そうすれば父さんに相談できるんだがな。 父さんがあれほど賢い人だったなんて、むかしはまるで気が付かなかった。 もっといろんなことをおしえてもらえたのに。アン・ランダース
(資)文化財復元センター おおくま
「こころのチキンスープ・その1」の中の話の一つなのだが、身体障害者が通う施設に掲げてある言葉らしい・・・
苦しみを超えて
大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶように弱いものとされた。より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良いことができるようにと病気を頂いた。幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧しさを授かった。世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
神を求め続けるようにと弱さを授かった。人生を享楽しょうとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと命を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。神の意に添わぬものであるにも拘わらず、
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。
南部連合の無名兵士
(資)文化財復元センター おおくま