先週の土曜日に、諏訪の伊藤千代子の関係者と会ってきた。
ある知人も言っていたし、ネットを見ると「共産党が伊藤千代子を利用している」と言われている。
ちょっと心配だったが、その関係者宅には確かに共産党のポスターや資料があった。
ただその方も諏訪の市会議員をされていたが、若年性痴ほう症と言うのか?
物忘れが少しずつ進行するようになり、議員を引退されている。
しかし、彼は地元の「伊藤千代子」を全国に紹介し、広く市民や議員たちから寄付を集め、記念碑を建てられた。
それは伊藤千代子の墓のすぐ近くにあり、その碑には恩師であるアララギの土屋文明の直筆の短歌が刻まれている。
そして彼女ゆかりの学校跡地なども見学させてもらったが、正直言って現在ではその跡形もない感じである。
ただ、今回の諏訪行は、いくつも不思議な経験をした。
まず、ルイーダでの初めての遠出だが、事前にクーラーの調子が少し悪いことが判っていたので、コンプレッサーを替えてもらっていたのに、それでも途中から炎天下で、クーラーが効かなくなった。
でも、夕方涼しくなると、またクーラーは効きだす。
翌日はその関係者の車で、墓参りや図書館へ行ったので、助かったが、その日も帰りにクーラーが効かなくなった。
で、不思議というのは、今回α7を持って行って、赤外線で彼女ゆかりの場所を撮ろうと思った。
ところが墓を撮ろうとしたら・・・・
シャッターが下りない。
最初はバッテリー切れの様子だったが、入れ替えてもシャッターは切れずに、結局いつものコンパクトカメラで撮る羽目になった。
そして、実は今回の諏訪行は、北海道から問い合わせがあった「伊藤千代子の手紙4通」のコピーが、諏訪の図書館にあるらしく、それを見るのが一番の目的であった。
で、実は図書館について、車を降りた途端に、何か頭に気持ち悪いものを感じた・・・
何も霊気とかいう話ではなく、頭に蜘蛛の巣のようなものが付いたような感じで、すぐに振り払って図書館の中に入った。
そして手続きを取って、その手紙のコピーを見ながら、関係者と2時間近く話をしていたのだが・・・
ふと自分の手元を見ると、そこに小さい蜘蛛が居た。
慌てて振り払ったのだが、どうもさっきの頭についてものの正体らしい・・・
ただ、これだけのことだが、それを「たまたま・・・」と普通の人は考えるだろうが、私は明らかに「共時性」が働いていると直感した。
カメラのシャッターが下りなかったこと、そして図書館に着き、彼女の手紙を見ようとしたとたんに、蜘蛛と出くわしたこと。
なにか意味があると私は思う。
さて、問題の手紙であるが、閲覧はできるがコピーも取れないし、持ち出しもできないらしい・・・
その関係者は北海道の実物はそれ以上に厳しい状態で、復元のための持ち出しなど絶対に許可が下りないはずと言う。
すると・・・
北海道からの問い合わせは単なる「願望」だけなのか??
もう一つ大事なことは、その問題とされる消された場所は、4通の中の1通だけで。その他にもところどころ本人が誤字を訂正した箇所があるだけ・・・
そうすると、果たしてその問題の個所は権力側が検閲で消したものか?
あるいは彼女自ら、その部分を書き直すために消したのか??
そこは復元してみないと何とも言えない。
ただ、北海道の問い合わせしてきた人とは連絡がなかなか取れず、昨日催促のFAXを入れて、やっと本心を聴けたのだが・・・・
結果として諏訪の関係者も、北海道の関係者も、共産党の人ではあるが、宣伝目的で利用することは考えておらず、彼女の「手紙」との関わり合いから、彼女のことを知らしめようとしているとのこと。
まぁそれが判り、諏訪の神様が私を彼女の手紙に導いた意味が、やっと理解できた。
(資)文化財復元センター おおくま
よみがえりマイスターが終わった時点で、すでに385件のアクセスになってる・・・
記録を100も突破・・・
(資)文化財復元センター おおくま
さすがにNHKのゴールデンタイムの特番らしく、終わった時点で、わがHPはアクセス数が、過去の最高記録を一気に100も超える「385」を記録。
最終的に昨日の12時の時点で「612」となった。
そして本日、現時点で「256」となっている。
しかも面白いことに、うちのHPは外国からのアクセスも多いが、昨日と今日は5か国ほどのアクセスが一気にあった。
これはたぶん海外に住む日本人が「オンデマンド」で、あの番組を見たものだろう・・・
で、検索のキーワードも、ほとんどが私の名前に関わるもの。
で、放送ではずいぶんカットされていたが、2枚目のはがきの下半分・・・
テレビクルーが帰った後も、何度も何度もやり直している。
番組の中で紹介されている復元画像は、ほとんどが最初にα7Rで撮って作業を行っていた時のもので、このカメラ3600万画素だから、はがき1枚の面積を撮るには十分すぎるクォリティがある。
ところが・・・
今回それでも解像度が足らず、結局1億3千万画素の4×5のスキャナー型のデジタルバックを使って、途中からすべてやり直している。
放送ではカットされているが、スタジオでのやり取りで梅沢さんが、「なんで最初からそれでやらないの?」と言う話が出た。
しかし、私のこの技術は「唯一無二」つまり、前例の無いところから「試行錯誤」で、ここまで技術をしんほさせている。
3600万画素でも普通だったら十分復元できたわけだが、よりベストを尽くすために、一からすべて撮りなおしている。
さらに、あの2枚目の読めなかった部分に関しては、実は1億3千万画素のカメラで、6分割して、細部を撮影し、それを繋ぎ合わせて作業をした。
そのデーターの大きさは、過去に最高データー量の「法輪寺・虚空蔵菩薩像」の復元に使った、複雑なレイヤーをいくつも重ねた復元画像のデーター量を、超えた大きさとなっている。
片方は直径1メートルの細密に描かれた仏画、片方はたかが「はがき1枚」の復元である。
それでも結局あの部分に読み取れるほどの情報は確認できなかった。
で、放送でも出てきたように「今回読み取れなかったが、父親の思いはまだここに残っている」「あと10年すれば、さらに技術を磨き復元できるかも・・・」 といったのは、まさに前例の無いところからすべて人のまねをすることなく、試行錯誤で技術を積み上げてきたからこそ、言える言葉である。
そして。もう一つ大事なことなのだが・・・
私は1年ほど前から急に「霊」的な話を表に出し始めた。
それは何度も言うが、随分と不思議な出来事を経験し、そしてこの仕事に導かれた。
犯人は「目に見えない不思議な力」なのだが、それはたぶん、宗教の枠を超えた「宇宙の創造主」だと思う。
私は若いころから「自問自答」をしていると、気が付くといつの間にか自分の中にその答えがある。
でも、その答えは我々が考える「常識」と随分と違ったりする。
でも私はその答えは絶対に間違いないと思う。
ユングという心理学者が「集合的無意識」や「共時性」と言う話を唱えている。
我々が目にする世界は実は「幻」であり、実は物質も人の思いも「波動」であり、本来は目に超えないものだという。
私が復元しているのは「デジタル画像」としての「視覚化」なのだが、デジタルは「物質」を伴わない。
本来「文化財」と言う「特別な物質」など、この世に存在しない。
学者は「分析」結果でものをいうが、分析できるものは物質に限られる。
しかし、たとえばどんな絵の具を使ったか分かったところで、それが「文化財」であるとは言えない。
文化財であるためにはそこに「作者」の意図や思いが込められ、それが「文化的に高いレベルにある」からこそ、それは「文化財」と呼ばれる。
ただ、それだけの話でしかない・・・
つまり、本当に価値があるのは「ナカミ」なのである。
これは「自問自答」して得られた結果であり、その答えは「集合的無意識」つまり「宇宙全体」のものの考え方だと思われる。
こんな話を私はHPでしていても、だれも見向きもしない・・・
だけど今回「よみがえりマイスター」の話は、まさにシンクロニシティしたもので、子供たちははがきに込められた「父親の思い」を知りたいと思い、また父親はそのはがきに「家族への思い」を綴っている。
この両者が「互い」に求め合った結果、シンクロニシティが起きて、今回の復元結果へとつながったという事。
一方のフジテレビの特集は、そのはがきに込められた「父親の思い」に比べ、受け取る側の「おもい」が希薄だったから、こんな結果となっている。
昨日facebookで、ある動画と巡り会った。
「1700人の教え子たちが亡き先生へ捧げるハカ、その踊りの迫力に圧倒される」http://grapee.jp/72640
最初は「ハカ」と言うから「墓」の事かと・・・
いゃ、全く無関係ではないのだが。ハカとは、ニュージーランドの原住民の戦意を盛り上げるための踊りで、高校で数学と体育を教える教師が、そのハカも教えていた。
その教師が亡くなり、葬儀の車の前で、教え子1700人が、そろってハカを踊り、その教師を見送ったという。
その踊りの息の合っていること、そして教え子たちの悲しげな表情。
まさに尊敬できる「恩師」に対して見せる振る舞いだと思う。
今の日本にそれに値する教師が、果たしてどれだけいるだろうか?
私はデジタル画像として文化財を復元している。
文化財保護と言えば、研究者や文化庁でさえ「物質」として保護することを考える。
しかし「文化財」と言う特殊な物質など存在しないし、作者の意図や思いが、文化的に高く、それを「形」にしたもの、あるいはそれを「記録」した物質を意味する。
つまり、本当の価値はその「ナカミ」こそ、残すべきもの、伝えるべきものである。
しかしながら、なぜ昔の人の思いやあるいは技術を残さなければならないのだろう。
単純に人は現代の方が科学が進歩し、生活は楽になり、明らかに現代の方が「進歩」し、そして「優れている」と思うだろう。
だったら・・・
そんな古臭いものなど、残すのは無意味だと言える。
ところが、現実は、よく言われることだが、千年以上前に建てられた寺の五重塔などを解体修理すると、明らかに現在より優れていたという。
しかしおかしいと思わないか?道具も現代のものの方が、精密に作られているはず・・・
なのに、当時の人はそれを差し引いても余りある技術を持ていたし、また精神性を持っていた。
それを弟子に受け継がせるのに、今のように「教える」という事をしなかった。
「教える」のではなく、自ら「学ぶ」ことの大切さを、身を以て学ばせた。
それが現代は死語と化してしまった「徒弟制度」であるが、まず叩き込まれるのが「辛抱」と言う言葉。
辛抱できなければ、何を教えても途中で挫折する。
むしろ辛抱することを教えこめば、「技術」など、教えなくても自然に身に着く。
現代の日本の教育制度は完全にこれと逆行している。
そしてさらに現場の「教師」の質は、代を追うごとにどんどん低下していると私は思う。
そんな教師に「知識」を教えることはできても、「人を育てる」ことはできない。
現代の子供は「自分の頭で考える」そして「自分の価値観で判断する」ことを、教えられていない。
教育制度の問題もあるが、それ以上に現場の教師そのものが、自分で考えられない、自分で判断できないものが、教壇に立っている以上、その教師を超える次の世代を支えるべき人材は、決して生まれてこない。
私は自問自答する。
すると答えの自分の中から返ってくる。
これこそ「自分の頭」で考え、自分の頭で「答」を出すという事であるが、こんな私にもただ一人「恩師」と呼べる人と出会えた。
その人の話を、ずいぶん以前に書いた文章で紹介する。
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僕には人生で影響を受けたヒトが何人かいる。
いい意味でも「反面教師」としても、自分がそこから学ぶ気が有れば、いくらでも学べる。
僕に一番影響を与えたヒト、そしてその人との出会いが無ければ、間違いなく今の自分はいないと思う。
僕は高卒である。
しかも、アホの集まる職業高校の卒業である。
だけど・・・
その高校の美術部は、僕が在籍していた頃、大阪府下の百何十校という高校の中で、ベストテンには入っていた。
元々絵を描くのが好きで、アホだから普通校にはいけないし、そこに「デザインコース」と言うのが新設されて、そこへ入った。
すぐに美術部に入ったんだけど、動機は不純だったと思うよ・・・
早い話が、例えば花瓶に入ったバラの花なんかきれいに描けたら、女の子にもてるだろうなぁ・・・っう程度だったと思ったりする。
で、最初はそんな動機だけど、僕は根が真面目で・・・・・イャホンマ
毎日、クラブに行っていたわけ・・・
同期に同じ中学をでて入った友達がいて、実は彼のほうが絵は旨かった「はず」。
ところが余り顔を出さない・・・
で、2年生になって、真面目がとりえの僕は部長になった。
実は当時、夏休みに大阪府下の百数十校が集まって、天王寺美術館で「高校展」と言うのをやっていた。
そこでは優秀な高校ほど、作品を展示する壁面の割り当てが多いわけ・・・
それが僕の時代にベストテンに入っていた。
で、僕は真面目なんだけど、顧問の先生は余りクラブに顔を出さない・・・
美術の先生で、当時でも小柄で男勝りで、授業中騒ぐ男子生徒に「ばかもーーーーん、でていけぇ・・・」と怒鳴るくらいの先生なんだけど、ほとんどクラブには顔を出していなかったわけ。
で、僕は絵を描いたから見てくださいと、職員室に呼びに行くと来てくれる。
で、先生は僕の作品を見て・・・
僕の製作意図とは、まったく関係ないところを褒めてくれたりする。
その姿を見ていると・・・
「なんや、この先生、何にもわかっていない」と思ったわけ・・・・
作品なんて、自分の「思い入れ」をいっぱい詰め込むのが、当然だと思っていたわけ・・
そして、それは「見ているヒトに伝わるもの」だと思っていたわけ、わけぇもんで・・・・
それを、この先生はなんにも解かっていないと思ったわけよね。
その姿を見て「アカン・・・」「こんな先生をあてにしていたら、高校展でいい成績が取れない」「しゃーないから、部長の僕が頑張るか!!」と発起したわけ・・・
で、僕は部員を引っ張ったわけ・・・
で、夏休みも終わり、高校展では、ここ数年先輩の努力もあり、成績が上がって壁面数が増えていた。僕はその年に賞を貰ったし、クラブとしても評価された。
で、卒業して数年たったある日「フト」気がついたことがあるわけ・・・
それはその顧問の先生のこと。
ひょっとしたら・・・と思ったんだけど、当時先生がクラブに余り顔を出さなかったのは「自主性」を育てる為・・・
作品を見て、まるで違うことを言ったのは・・・実は「作品なんて、見るヒトによって見え方が違うんですよ」と暗に教えてくれたのでは?
と、気がついた。
高校生の頭では考えられないことだけど、歳とともに、「一言」の重みが違ってくる。
もう一つ先生から当時言われた言葉で「謎の一言」がある。
「絵なんて・・・描かなくっても旨くなりますよ・・・・」
まったく謎であった・・・
だって、当時一生懸命デッサンに励み、いっぱい描くから絵は上達するわけやん??
そう思っていたわけ・・・
でもねぇ・・・ホントはちがうんよ、テクニックがいくら上達しても、ヒトには「感動」は与えられないっう事。
作品って、「自己表現」でしょう?
早い話が、表現すべき事故の・・またちごた、「表現すべき自己の質」なんよね、大事なのは・・・
言い換えれば、ヒトの「ナカミ」の問題だと言うこと。
それは何も絵をかかなくったって、色々なものから学べるし、その結果が絵に出るわけ・・・
さっきの「絵なんて、見るヒトによって色々代わりますよ」ということも、まさに「人生そのもの」だったわけ・・・
同じ一つのことを取ってみても「受け取り方」が違えば、結果も違う・・・
で、ぼくはそのとき学んだのは、作品は「思い入れを詰め込む」モノじゃないと言うこと。
いくら自分の思いを詰め込んでも、決して相手に伝わるものじゃない・・・
じゃ、作品って何なの??と考えると「客観視」だと思ったりする。
自分で作った作品を「第三者の目」で見てみること・・・
すると、思い入れの詰まったものは、見ていてしんどい・・・
でも、「いろんな受け取り方」が出来るくらいさらりとしたものほど、見ているヒトは自分なりにイメージを膨らませることが出来る。
逆にその感想を聞いて「なるほど・・・」と自分自身にフィールドバックするわけ、僕は・・・
そう言う先生の一言が僕を変えたと思う。
で、その先生と僕が30歳を過ぎてから、仕事の件でお付き合いを再開したことがある。
僕が高校時代でもすでにおばあちゃんだったけど、その当時その先生は大阪の私立短大の理事長をされていた。
もう70歳は過ぎていたと思う・・・
その先生に、僕は言ったわけ・・・
「先生から、昔こんなことを言われました」とさっきの話をしたら・・・
その先生、なんと返したと思う??
僕はそれを聞いてさすがだと思った。僕が恩師と仰ぐヒトだと思った。
「そんなこと、ありましたっけ・・・」
ただそれだけ・・・
この一言の重みは解かるヒトにしか解からないわけ・・・
実はその先生、当時高校では美術を教えて、夜間にその短大で「哲学」を教えていたわけ・・・
そう言う裏地を持ったヒトだから、言えたんだよね・・・
けっして「やっと解かりましたか?」ではなく、「それは、貴方の受け取り方なんですよ・・・」と言う言葉が裏にあるわけ・・・
その先生、それから10年くらいかけて、今度は4年制の大学を作り、そこの学長と、短大の理事長をかねている。
とうに80歳をこえて・・・
まさに「四十・五十はハナタレ坊主」
くまさん