正月にYouTubeでいくつかの映画を見ていたら・・・
なんと「あしたのジョー」が有った。
アニメでやっているのは知っていたけど、まさか「実写版」が2011年に作られているとは知らなかった。
この漫画、私が若いころにずいぶん話題となっていたものだが、全然はやりものに興味がないもので、当時もほとんど見てはいないが、何となくストーリーだけは知っている。
マンガの実写版と言うと、昔は迫力不足で評判が悪かったが、あのマンガの個性的な登場人物を、イメージを壊すことなく、うまく作っているのに感心した。
特に、あのドヤ街のセットなんか、実物以上にリアルだし、ジョーや力石のボディもよくあそこまで作っているのに感心した。
役者もずいぶん体を鍛えたのだろうが、あの筋肉の付き方は、ちょっとやそっとではあそこまでつかないだろうから、特殊メイクか3Dをうまく合成したものだろうが、見ていてマジに惹きつけられた。
(資)文化財復元センター おおくま
実は昨日、易占で、応えを返してくれる「目に見えない存在」とやりやった・・・
確かにいつも返ってくる応えを信じているのだが・・・
しかし、時々ムカッ!!と来ることがある。
当然、わたしより上の存在から返る応えだから「上から目線」なのは仕方がない。
しかし、時々悪い卦を出して、脅されていると感じることや、上から抑えられていると感じる時もある。
何分逆らうと、運が悪くなるかも?と思って、おとなしくしていたが、昨日はその押さえている気持ちを発散させた。
つまり、私の性格は自分で物事の判断をするタイプで、他人から押し付けられるのを嫌うし、またそういう場合は梃子でも動かない頑固な面が有る。
しかし、逆に自分が納得できることは、他人の何倍も努力を惜しまない・・・
そういう性格だと、易の問いで何度もやりやった。
一度言い出したら聞かないタイプだから、こっちが納得できるまで問答したら、なんとか理解してもらえたと思う。
年も明け、試練を受け3年目に突入したが、その間に今まで本を読まない男が200冊を超える本を読んできた。
霊的な話やニューソートとか、精神的な話など、ずいぶんその手の本を読んで学んできたが、とうとう「論語」にまで繋がってしまった。
元々アホな高校しか出ていない私としては、まさか漢文などこの歳で読もうとは思っていないのだが、この本「中国の思想シリーズ」の一つで、以前に「易経」を読んだ。
易経についてもいろいろと読んで中では、結構わかりやすい本だったので、これも買ってみた。
この本、本文としては「現代語訳」がメインで、漢文と読み下し文が付加されていると言うものである。
漢文は無理でも、読み下し文程度なら読めなくはないが、しかしその意味はと言うと、ちょっとわからないものも多い。
ところがこの本、メインが「現代語訳」なので、まったく違和なく文そのものは読めた。
私は「論語」と言う言葉は知ってはいたし、それが孔子と関係あるものであることも知ってはいたが、それが弟子たちによって書かれたものであることや、何が書かれているのかまでは知らなかった。
今回初めて、孔子の言葉を中心にまとめられたものであることを知ったのだが・・・・
渋沢栄一の本は3冊目である。
この本も、「講話集」らしい・・・
最初に読んだものが、あまりにも読みやすく、古さを感じなかったから、当然本人がそう言っているものと思ったら、2冊目はそれより若干読みずらいが、読みにくいと言うほどでもなかった。
ところが最初の「論語と算盤」を読みだすと、それらと違い、口語体で書かれていると言う割には、古いタイプでとても読みづらい。
このまま読み続けても、理解しにくいと思い、再度Amazonを検索すると「現代語訳」と書かれた本を発見。
再度注文したが、読み始めると、さすがに読みやすく、理解しやすい。
この本には渋沢栄一の人生で得た体験をもとに、「人生訓」が述べられているのだが、確かに「論語」の引用はあるが、しかしそれを用いなくても、渋沢栄一の「経験談」だけでも、十分に説得力がある。
ただ、読み進めていくと、だれの著書にもあることだが、やはり他の著書と内容がダブる部分もあった。
しかし、同じ孔子を引用しても、北尾氏はあくまでも「論語読みの論語知らず」の域を出ない、私利私欲の人であるのに対し、渋沢栄一は、私心を持たず、私利私欲に走らず、「公共の利益」や「国の利益」を優先する人らしく、自分では取るべき利益も取らずに、財閥も作らなかったらしい・・・
まさに「君子」の鏡と言うべき人であったと思う。
この本、年末に一度読んだものである。
最近「易経」を使い、自分の運勢の流れを見る。
するとたびたび「君子」と言う言葉と「無心」と言う言葉に行き当たる。
何となく、ニュアンスは解らないでもないが、しかし具体的に説明できない。
元々理屈で考える性格なので、そこのところが気になる。
そこで、この本の存在を知り、一度読んでみたが、何分戦前のものであり、無心と言う形のないものを言葉で説明するものだから、「たとえ話」となる。
なんとか言わんとするところは判りはするが、読んでいて何度も眠くなる。
今日もまた読み直しを始めたが、すぐに眠気が襲い、何度読み進めてもすぐに眠くなる。
ただ、本日はその「無心」ということを、著者はどういう例えで話をしているか?
それがこの本の最初の部分でもいくつも出てくる。
1.木々の木の葉の影が大地にできるが、その影が風で揺れても、地面のチリ一つ動かないとか、月が水面に映ってキラリと光っても、水面は動かない・・・・
2.今、神が現れ、海辺にある櫂も帆もない小舟に乗り、大海に出よと命じたら、何の躊躇もなく、出て行く。
3.神を信じるとは、信じられる証拠があるから、信じるのではなく、信じるからそこに神が存在する。 また、神は奇跡をお越し、助けることができるかと問われれば、答えは「お前は助けられたことがないからそんなことを言う」と応える。