私が彼の名を初めて知ったのは、2~3か月前から、「祝詞」を神棚にあげはじめたのだが、その中でまず「大祓い祝詞」を練習しょうと、ネットで調べたり動画を見て見本を探していると、大祓いの祝詞の中に「太祝詞」という言葉があるのだが、ネットを調べるとその部分は「空白」として間を置くとある。
あれっ?なんで????
と、思って太祝詞を検索すると、「にっぽん文明研究所」というのが出てきた。
そこの代表者らしい・・・
結構難しそうなことを書かれていた。
そして、Amazonで神道関係のいろんな本を検索していると「神道よ! 今こそ《古来の本物の道》に戻るのだ!」という過激なタイトルの本の著者の一人として、名が挙がっていた。
もう一人の著者は、先日から取り上げている「エハン・デラヴィ」なのだが、取り寄せて読むと、対談形式になっていた。
この本には私が日ごろ感じている「現代の神道」に対する疑問点に、ずいぶんと的確に応えられていた。
なるほど、そういう事情があるのか・・・・
と、納得したのだが、その奈良 泰秀氏の名前でAmazonで検索すると、もう一つの「陽の国の神道」という本が目に入った。
どんな評判かと、レビューを見ようとしたら・・・
一つもない・・・・
普通なら諦めるのだが、この際古本を買ってみた。
ところがここの本屋も、注文してから数日してからの発送となり、届くのが遅くなった。
さて、注文後なのだが、googleで書名を検索しても出てくるのはほとんど本の内容としてAmazonに載っているものと同じものばかり。
先ほど見ると、在日の外人がこの本について触れているのと、もう一つは「神道について書かれてる部分は説明不足で分かりにくいし、自慢と手前味噌のオンパレードであまりの酷さに腹もたたへんかった… 最後まで読んだけど入門とは程遠い内容に思わす放下。 」と、悪評であった。
ただ、私が読むと、ずいぶんいろんなことが書いてあり、内容は濃いと感じた。
ただ雑誌に連載されていたものを加筆してまとめたようで、確かにいろんな話が入っていて、まとまりは悪い。
ただ、彼も異質な世界から神道に飛び込んだ人らしく、エハン・デラヴィ氏同様にヒッピーみたいに海外をヒッチハイクした経験を持つ。
彼は「溝口似郎」という霊能者に師事していたらしく、その当時の話や、また彼自身が南洋の島で大祓い祝詞をあげていると、戦没者がそれを聞いていたという話や、悪霊退治なども頼まれるとか、神社本庁の神職では体験しないような話がいくつも出てくる。
彼はたぶん神道界のアウトローなのだろうと思うが、しかし彼は神道はもっと海外にアピールしないといけないとか、なかなか頼もしい人だと感じる。
(資)文化財復元センター おおくま
この本の存在は「神道よ!今こそ,《古来の本物の道》に戻るのだ!」の中で「エハン・デラヴィ」氏が紹介していて知ったのだが、また彼は「エハン塾」の動画 https://www.youtube.com/watch?v=R3nmjDf1NbE の中でもそれに触れているので、興味がわき、これはまだ新しい本なので、新刊を取り寄せた。
昨日から今朝にかけ一通り読んだが、この本の著者は脳神経外科医であり、「意識は脳が創りだす」とずっと信じてきたのが、自分自身が脳がメルトダウンした状態で1週間を過ごす羽目になった。
ところがその間に「天国」と思われる世界を体験していた・・・
著者自身が一番信じられない体験をしたのだが、それはちゃんとみんなに知らせる義務があると考え、本を出した。
しかし、どこの世界もそうだが、「唯物論」者の集まりである医学界で、「神」や「天国」の存在、ましては「意識は脳以外で創られる」なんてな話をすれば、誰も相手にしないことを彼自身解っていたが、しかし「自分がそんな経験をしたということの意味」を考えると、自分にはそれをみんなに知らせる義務があると考え、あえて本を出した。
するとその本はアメリカで200万部のベストセラーとなったという。
で、紹介したエハン・デラヴィ氏は、先ほどの動画の中にもう一つ、最先端科学者「ロバート・ランザ」教授により「死後の世界はあり得る」という説を唱え、それが今科学者の間でも支持されつつあるという。
以前からスピリチュアル系で「アセンション」という言葉が頻繁に使われてきたが、それが「精神世界」の支持者だけではなく、唯物論者である科学者や医学界でも、神や天国や死後の世界や「意識が先にある」ということが、科学的にも証明される時代となり、明らかに我々人類は「アセンション」に突入したと言えるのではないだろうか?
著者自身が脳神経外科の権威なのだが、ある日突然背中の痛みを覚え、緊急入院する羽目になる。
そして意識不明でまったく脳が機能しない状態で6日間を過ごすことになるのだが、彼自身が病院に運ばれて、意識を失う前に最後に発したのが「神さま、助けてください」だったという。
しかし普段は彼はあまり熱心な信者ではなかったという。
それでも最後に頼るのは「神さま」だった・・・
彼は昏睡状態で、脳が機能しない状態であったにもかかわらず、その間の「意識」があり、それをちゃんと「記憶」していたという。
最初に彼は暗い泥の中の世界のように感じたという。
やがてゆったりと回転する光体が現れ妙なる調べも聴こえてきたという。
そして隙間が現れ、そこへ向かって猛スピードで上昇はじめたらしい・・・
そしてその隙間から別の世界に出た。
そこは下に田園地帯が広がり、その上を飛び続けたのだが、とてもリアルな感覚だったという。
しかし彼は一人ではなく、そばに美しい女性が付き添っていたという。
その彼女は著者に言葉を介さずに「安心」を与えてくれたという。
また彼はその昏睡状態にある間に「神」の存在を感じたという。
その神は極めて間近に感じられ、自分と距離がないにもかかわらず、無限に広大であると感じたという。
その神を彼は「オーム」と呼んだ・・・・
彼はその世界をいろいろと見学して回ったが、付き添う女性は「いずれ帰ってもらいます」と言ったという。
彼は奇跡的に7日目に目を覚ます。
そしてその間の出来事を後日分析しはじめるのだが
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脳が介在しない精神活動とは、瞬時にすべてが繋がり合う世界に入ることだ。
そこで普段の思考(物理的な脳、光の速度などによって制限を受ける面を指す)が絶望的なまで鈍重に感じられる。
人間の最も深いところにある正真正銘の自己は、完全に自由である。
過去、地位やアイデンデンティティといった要件に歪められたり、型にはめられたりはしない。
正真正銘の自己は、この俗界におそれるものはないことを承知していて、富や名声、支配などに頼って自らを構築する必要性を認めない。
これぞが純粋な霊的自己、人類がいずれ立ち返る定めにある姿なのだ。
だがその日が来るまでは、できる限り努力してそのような素晴らしい側面に触れ、それを育み、引き出すことに力を尽くさなければならないだろう。
“それ”はたったいまも我々の内に息づき、人類に対して神が真に意図する姿に他ならない。
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そして
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神を人間味の無い存在と想像するのは、われわれがおかしやすい最大の間違いだ。
確かに神は、科学が解明に務めながら明らかにしている、完璧な宇宙を表す数字の向こうに姿をひそめている。
しかし逆説的ではあるが、オームにはそれと同時に豊かな情緒が備わり、その人間味は我々以上であるとさえ言ってもよい。
オームは我々の想像を絶するほどの深さと感心をもって、個々人の置かれている状況を熟知し、共感を寄せている。
我々が忘れてしまったものの喪失を承知していて、わずかな間でも神聖なつながりの記憶をなくした状態で生きることがいかに過酷であるかを、よく理解しているからなのだ。
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この本は脳科学者である著者が、臨死体験をし、そして今まで言われていた死後の世界の存在を体験し、自分の間違いを受け入れ、科学的に解明しようとしたものである。
(資)文化財復元センター おおくま
最近エハン・デラヴィ氏の「エハン塾」での講義の動画を続けてみているのだが、彼の「知識の広さ」、「技術の高さ」、そして「中庸」というべきか、彼は「ニュートラル」と呼んでいるのだが、物事を正しく「判断する力」、そして「精神性の高さ」には、とても驚かされる。
そして、その講義からは学ぶべきものがとても多い。
ただ動画1本が80分と長いために、多分「Facebook病」の人々は、そんなもの見る暇がないというだろう・・・
しかし、「自分を磨く」気持ちのあるものは、SNSにアクセスする暇があるのなら、ぜひ自分のために見るべき動画が多い。
この動画もその一つだが『ヨーロッパ中世期の「天使学」紹介 』と題した動画なのだが、彼はニュースの正しい読み解き方や、リモートビューイングの技術を持っていて、それのセミナーも開いているらしく、トレーニング法までそのシリーズで紹介しているのだが、今回は「天使」についての講義である。
西洋の天使はキリスト教・イスラム教・ユダヤ教ともに、共通して存在するものらしく、天使は実在するか否か?という話になるのだが、後半に入ると彼の実際の経験を踏まえて、天使は存在するという。
具体的に彼はペルーのジャングル「マドレー・デ・ディオス(神のお母さん=マリア)」という地名のところで、彼は地元のシャーマンが植物を用いて行う治療の研究のために行ったのだが、彼自身その植物を使っての治療中に、幻覚というか、「別次元」を体験したという。
そのとき、大天使(?)ガブリエルという美しくとても魅力的な声で話しかける女性と遭遇したという。
彼女と数時間コミュニケーションを取るのだが、彼は「光の浮き船(UFO?)」に乗せられて、銀河系を見学したらしいが、彼はそのガブリエルという天使に魅了され、「どうしたら貴女と共に居られるのか?」と聞いたという。
すると彼女は2つの条件を出したという。
1つは「平和を感じなさい」
そしてもう一つは「美しさを感じなさい」といわれたという。
ただここでいう平和とは我々が考える戦争と平和というようなものではなく、「宇宙の調和のとれた何も問題の無い状態」だという。
彼はガブリエルから「平和」という言葉を聞いたが、「プルーフ・オブ・ヘブン」の著者はオームと呼ぶ神の存在から「愛」を感じたという。
たぶん、これは同じものだと思う・・・・
高橋信次にしろ、他のスピリチュアル系の導師にしろ、よく「愛」という言葉を使う。
私はなかなかその「愛」を理解できない性分なのだが、どうも将来人々が行く世界は、まさに「争いのない調和のとれた、平和と愛にあふれた世界」の様である。
そしてもう一つの「美しさを感じなさい」とは、何を見ても美しいと思いなさいという意味らしく、これは別の言い方をすると日月神示の
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何事が起こっても、そなたはまず喜べよ。 それが苦しいことでも、悲しいことでも、喜んで迎えよ。 喜ぶ心は喜び生むぞ。 人民喜べば、神喜ぶと申してあろうが。 天地晴れるぞ、輝くぞ
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と、言うことにも通じるし、また、それは「何が起きても感謝しなさい」と言われていることとも共通するものだろう・・・・
それと、「プルーフ・オブ・ヘブン」の著者も、そしてスピリチュアル系の人々も、またエハン・デラヴィ氏も、天使ガブリエルから「この世は幻であり、映しの世界である」と聞かされたというし、実際に今の最先端の科学者の中には、その説を唱える人も出てきたらしい・・・・
と、言うことは、我々が「物質世界」として、目に見え、触り、味わったりする五感で感じる世界は、実は「実在しない」「幻の世界」であるということは、疑いのない事実であると言える。
私はそれを理解できたが、世の中の99.99%の人々は未だにそれを理解できない様である。
だからこそ、エハン・デラヴィ氏の講義の動画を見、多くの本を読むことを私は薦める。
さもないと、いずれ自分は取り残され、世の中の多数派をそれを理解する時代が来るのは、時間の問題だと思う。
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先日も以前に書いた「インチキ霊視鑑定」が、結構反応が多いと述べたのだが、その後も実は二人の人から相談めいたメールをもらった。
どうも、ネットで霊視鑑定を依頼する人がとても多いらしく、人の弱みに付け込んだ悪徳霊能者が、ネットにあふれているようだが、1週間以上前には私より年上の人が、いきなり「友達になってくれ」とメールを入れてきた。
どうも若いころに、阿含宗の宝塔(?)か何かを、数十万で買ったらしく、その後もいろんな宗教を渡り歩いたが、結局自分の人生は最悪であるという。
いきなり友達になってくれと言いながら、私の助言を信じようとしない人だったが、今日もまたあの霊視鑑定に申し込んだ人から、私の書き込みで被害にあわずに済んだという話が有ったのだが、
その中で鑑定士の名前がみんな違うという問題についてなのだが、私も最初はネットで検索したが情報がなかった。
おかしいと思っていたが、後で気が付いたのは、結局「得体が知れること」を恐れているわけである。
つまりネットに名前が出れば、良い話ならともかく、悪評が出る可能性が高く、そうすると騙される人が居なくなる。
彼らはいくつもの桜のサイトを使い、そことリンクすることで、客を誘導する。
それともう一つおかしな話は、あのサイトは善意でやっていると言いながら「googleアワーズ」に広告を載せているわけだ???
おかしいと気が付くべきである。
それでも、溺れる者は藁をもすがる気持ちだから、結局そんなところまで頭が回らない。
そこまで彼らは人の心理を知り尽くして、悪用しているわけである。
くれぐれも騙されないように・・・
で、私は現在そんなところに相談するのではなく、自ら「神とはなんぞや?」「人生とは何ぞや??」ということに興味が移っていて、最近はエハン・デラヴィ氏の動画から、多くのことを学んでいるのだが、別に彼が独自の話をしているのではなく、昔からの宗教や哲学者や神秘主義者や古代の文明にも、すでに「神」とは何か?とか「宇宙とは何か?」とかの知識があったということを彼は言っているのだが、彼の本を2冊買ったが、さらにAmazonで彼の本と、彼が取り上げている問題に本を6冊買った。
とても興味がある話題であり、学習意欲がとても高まっている。
(資)文化財復元センター おおくま
私は時々、とてもリアルな夢を見る。
随分昔の話だが、知人と夢の話をしたとき、多くの人は「白黒」だという。
いゃ、私は当時写真をやっていたし、カラープリントを仕事で焼いていた時期もあり、結構モノクロにもカラーにもうるさいのだが、そのとき私は「真っ赤な夕焼け」の夢を見たと話した。
で、確かにその夢の中で、それが赤であることを「確認」している自分が居た・・・・
あるいは当時、時々なぜか空を飛んでいて、急に落ちる夢を見ることもあったが、その時もその落ちている感覚をずいぶんリアルに感じた。
それがいつの間にか、色を確認している自分の存在が、いつの間にか、夢のストーリーが何故か夢の中で「予測」した通りに進むことを発見した。
もう1年ほど前の話であるが、ある「古神道」の体験会に参加して帰った夜、夢の中でなにか長い廊下のようなところを歩いていたのだが、奥の部屋の襖をあけると、布団に誰かが寝ている・・・
近づいてその顔を見ると、なんともうひとりの自分がそこに寝ていた。
それを見ているのが自分自身なのだから、当然寝ている私は「偽物」のはず・・・・
そう思い、その寝ている偽物をたたき起こし、思いっきり顔を叩いた。
すると、確かに自分の手に「痛み」を感じた。
つまり寝ているもう一人の私は幻ではなく、肉体をもっていた。
結構そういう夢の経験が多いのだが、それを明晰夢とか覚醒夢と呼ぶらしい・・・
その特徴は、色にしろ、痛みにしろ、起きている世界以上にリアルに感じるのである。
昔、絵を描いていたのだが「スーパーリアリズム」といわれるジャンルがあったが、まさにそんな感じがする。
また、私はどういうわけか、自分の頭の中に「幽体離脱」した様な記憶を持つ。
いつ、どうして、そしてそれが事実なのかも全く記憶がないのだが、例えば部屋の中の天井付近に私の「意識」が浮遊しており、その天井付近の視線で、下に居るもう一人の自分を「覚めた目」で、じっと見ている。
そんな経験を何度か味わったような気がする・・・・
で、それは特殊な夢だと思っていたら、最近いろいろとスピリチュアル系の本を読んだりすると、「この世は幻である」という記述を多く目にする。
それが精神世界だけの話ではなく、最近読んだ「プルーフ・オブ・ヘブン」の著者である脳神経外科医も、自分が臨死体験をしてみた世界は「現実の世界以上にリアル」だと感じたという。
また最先端の科学者であるロバート・ランザ教授も、死後の世界はありうると言う。
そのあたりを考えると、スーパーリアルな夢というのは実は臨死体験などで訪れる世界となにか関わりがあるのではないだろうか?
つまり、この手の考え方で行くと、我々の物質世界そのものが、その本当の世界の投影にすぎないという。
幻だとか影だとか言われるが、やはり特徴は本当の世界よりクォリティが落ちるわけで、我々が五感で感じている世界は実のその幻に過ぎないからこそ、もとの世界はそれ以上にリアルに感じるのだということに、気が付いた。
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