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口語・神判記實

この本は、先日紹介した「霊能一代 砂澤たまゑ」という、伏見稲荷の直轄の講社の「三丹支部」の宮司である女性の自叙伝の紹介をしているサイトhttp://97331420.at.webry.info/201008/article_1.html を1年ほど前に「お気に入り」に入れておいたのだが、しかしかと言って、わざわざその本を読もうとまでは考えなかったのだが、先日仕事がらみの「不思議な出来事」を動画にしょうとフト思い立ったって、数日で5本の動画を作った。

 

後から思えば、それも不思議な事なのだが、よく「思いつく」のは実は、自分がそう考えたのではなく、守護霊が「そこ」に導いていることが多い。

 

で、それをYouTubeにアップして、facebookやミクシイに載せた。

すると特にミクシイの不思議系や、神社関係のコミュの人は見てくれたのだが、そのうちに私のプロフィールにアクセスする人が数人いたが、その中で特に気になる人にメッセージを入れたところ、案の定・・・・

 

霊能者だった。

 

私はその不思議な出来事の動画の中にて出てくるが、過去に何度もそういう霊能者とチャンネルが繋がり、その人から守護霊の「伝言」を聞いている。

 

ここ数年、そういう出来事が起きないので、少し気になっていたのだが、今回久しぶりにその霊能者から、「信心が足らないのではないか?」というニュアンスの言葉を言われ、守護霊にいろいろと尋ねれば、教えてくれるといわれた。

 

で、私も守護霊に尋ねたところ、「霊能一代」のあのページに目が行った。

つまり、そこに何らかの守護霊の伝言が絡んでいると思い、早速Amazonに注文した。

 

 

神判記録

 

と、前置きが長くなったが、その時、もう一度気になってそのサイトの他のページを見てみると「口語・神判記實」という、本が紹介されていてhttp://97331420.at.webry.info/200808/article_1.html その中に

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大祓詞を奏上して狼の難をまぬがれた話
紀伊の国の熊野に樵を業とする男があった。
・・・或る日ふだん行ったことのない谷間に迷い込んで、日影が西に傾いたけれど家路に出ることが出来ず苦しんで居ると、・・・その数もわからぬほどの狼が群れだって此方にやって来るのであった。
岩松は懼れ迷うて、今は避けるに道もないので、傍の木に攀じ登って、息を潜めながら、狼のなすさまを伺うていると、男を見つけた狼は、木の下に集まって来て、順々に背に乗って高く重なりながら、だんだん木の半分以上までになったので、男は懼れて・・・思い乱れて、不図心づいたのは、若かった頃、都に出てある家に仕えていた時、其の主人の常にいうていられたには
「祓の詞ほど尊いものはない。何事にせよ此詞を称えて神にお祈り申し上げれば、叶はぬことはないばかりでなく、大蛇の近づくのを遁れたことや、火の災いを避けたというような例は珍しくない。お前も常にお称えせよ」
といって慇懃に教えて下さって、平生暗称して来ていたが、近ごろは業に紛れてお称えすることもなかったが、こんな時にこそと思いを定めて、声高らかに祓の詞を称えたのであった。・・・二度ばかり称えおわった頃、(狼はどうして居るだろう)と思って見おろすと、背中の上に重なりあって居た狼どもは皆地に下り、打ち臥して称える詞を聞き入って居る様子である。此れを見て岩松は不思議に思い、いよいよ声を振り立てて称えて居ると、その木の片枝の朽ちたものが、ガサっと音を立てて落下した。其の音の烈しさに驚いて彼の狼どもは四方に逃げ散ってしまった。
男は・・・木を下りて朽枝の前に額づいて神恩を謝し奉り、其の所に居て終夜祓の詞を称え、夜が明けてから暫く家に帰ることが出来て、あった事の次第を告げて一家中悦びあったのであった。
其の後は・・・先ず祓の詞を称えてから万事を行うようになった。
若い時から称えて来た詞であるけれど、今は誠実なる心から称えるので、種々の奇特があらわれて、凡そ三年先の事は自然と心に浮かんで知られるような身になった。・・・

産土神が大祓詞をおすすめになった話
近江の国古賀という所に、善九郎という人があって、此の人中年の頃までは、それほど神を敬う人ではなかったが、・・・ある日、夕暮れに容貌のまことに物凄い老婆で十二三歳ばかりになる男の子をつれたのが家にやって来て、案内もせずに奥の方に入ろうとするので、家の者は皆恐れ戦き、善九郎も暫く黙っていたが、心を励まし進み寄って咎めようとすると、彼の婆と子供は煙が風に散るように忽ちに消え失せてしまった。
・・・其の夜は上も下も同じ間に寄り集うて、胸とどろかしながら打臥したところ、善九郎の夢に尊い姿をしたもうた神がお顕われになり、善九郎に宣うには
「我は汝の産土の神である。今日邪魅が汝の家に来たによって、汝に告げるために、かくは顕われて汝に示すのである。汝は心のまがったものではないけれども、神を尊むの心が薄いから、神達の御守りの薄いのを窺って常に諸々の邪魅が入って来たが、眼に見えるままではなかったのを、さきに来た邪魅は汝が心を乱し、此の家を亡ぼすために正しく眼に見えて入って来たが、我来たって門に入ろうとするのを見て、一度は彼のもの恐れて逃げ失せたが、再びやって来る事があるであろう。其の時若し罪穢れのある時は、我来ることはないであろう。故に神助を以って此の害を免れようと思えば、速やかに神の御棚を清め、都に出て祓の詞というものを求めて来て、毎日五度がほど怠りなく奉唱するがよい。彼の物ばかりでなく、諸々の邪しい者は皆逃れ去って二度と来る事なく、我も又常に御棚にあって守るであろう。」
と宣うと見て 覚めたのである。
それからというものは・・・祓の詞を手に入れ、・・・朝夕神明を尊み敬っていたが、何の災害もないばかりでなく、家業さえ次第に繁盛して、めでたく世を送ったということである。

「神判記実」山雅房より

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と、その内容を記された記事があり、この本も少し気になったので、一緒にAmazonに注文した。

 

霊能一代は、砂澤さんが語ったものを、どなたかが文章にしたもので、10年前の出版だから、日本語としても非常に判りやすかった。

 

ところが、こちらの「口語・神判記實」はどうも元は明治時代に書かれたものを、昭和47年に「口語体」として編集されたものと言うが、しかしその口語体と言っても、非常に判りずらい文章で、しかも書かれている話は、江戸時代の短編の話をいくつも集めているらしく、せっかく買ったのだから、最後まで読もうと努力したものの、結局1/3ほどで投げ出してしまった。

 

集められている話は、どれも似たように話が多く、もう少し一つ一つの話に詳しく充実したものがあれば、もっと読めたと思えた本であった。

 

(資)文化財復元センター  おおくま

 

再度・「霊能一代  砂澤たまゑ」

どうもこの本が一番気になるのだが、すでに4度ほど読んだ。

 

011

 

文章は女性の語り口で書かれたものだから、非常に読みやすい。

 

ただ、何度も書くのだが、1年前にこれを紹介したサイトを、お気に入りに入れたにもかかわらず、実際にはそれ以上の興味は当時なかった。

 

それが再度、守護霊にいろいろと教えを乞うていたら、なぜかそのサイトに導かれた。

 

それで、その本を注文し、読み始めると、守護霊が私に伝えたかったと思われる個所に何度もぶつかった。

 

彼女は戸籍上は「大正十一年一月三日」生まれとなっているが、実際は一月一日に生まれたらしく、すべて一並びだという。

 

確かにこんな人はなにか強いものを持って生まれてくるが、それ以上に波瀾万丈の人生経験をしており、小さい時から信心深く、神様が時々彼女に話しかけたり、いろんなことを教えてくれたという。

 

ちょうど私が創った不思議な話の動画https://www.youtube.com/watch?v=SIkDsbmnys4 にも子供のころに神様が来て、いろんなところに連れて行ってくれたという女性の話が出てくるが、その彼女よりも砂澤さんは霊能力が強かったと見えて、ずっと神様が彼女から離れなかったという。

 

結局、自分のおもう道に進んでも、思うように成果が得られず、結局は神様から「お代」になる道以外は塞がれたような感じがする。

 

 

実は私も、もともと写真が趣味で、それを仕事として長年やってきたが、結局その仕事で食えなくなった。

 

私は砂澤さんほどおめでたくはないが、「昭和二十八年五月三日」という、「ハタ日」の生れである。

そう「建国記念日」なのだが、おかげでまがったことが大嫌いで、自分に嘘が言えない性分なのだが、先日この本の紹介の時に、子供のころの交通事故にあった話をした。

 

私は福岡の甘木の生まれなのだが、すでに50年以上前にそこを離れて、その後まったく行きたいとも思わなかったのに、2~3年まえから、その近くに縁ができて、何度か生まれた場所を探したがその時は見つからなかった。

当時初めて判ったのだが、私の生れた「甘木」は、邪馬台国の候補の一つとして挙げられているらしい・・・

 

しかし去年、地元の資料館の職員に近くまで送ってもらい、やっと生まれた場所を探し当てた。

 

その目印は子供のころによく遊んだ、「小さな神社」だった。

それがやっと見つかったのだが、それが「権現さん」と昔言われていたもので、確かに幼稚園に行くころまでそこの敷地で、塀に上ったりして遊んでいた記憶があった。

 

 021

 

それが、結局「お稲荷さん」というものだったことが解ったのだが、その時点ではそれ以上何も考えなかったのに、この砂澤さんの話は「お稲荷様」を神として仕えてきた話なので、それでその子供のころのお稲荷さんを思い出してしまった。

 

これもたぶん守護霊の導きなのだろうが、幼稚園のころに、このお稲荷さんの横の道を走って出て、バイクとぶつかった。

相手はお寺の息子さんの豆腐屋さんだったらしく、入院をしたり、唇を少し切るという後遺症は残ったものの、比較的軽症で済んでいる。

 

普通だったらそれ以上に何も考えないのだが、この本を読んで、ひょっとしたら子供のころの、その交通事故が軽症で済んだのは、そのお稲荷さんの「おかげ」だったのではないかと、フト気が付いた。

 

砂澤さんの話を聞いていたら、それくらいの事が起きても不思議でないことがわかる。

 

そんな感じで、そんな「加護」を子供のころから私は受けていたことに気が付いた。

 

 

 

で、話を元に戻すのだが、砂澤さんも戦後お菓子屋さんをやったが、赤字続きで儲からなかったらしい・・・

 

私も、写真の世界に入ったが、結局食えなくなって、この「復元」の仕事に導かれた。

 

ただ、砂澤さんの場合は、神様から「お代になれば、衣食住の面倒は見る」と言われて、厳しい修行をされたようだが、私の場合は、この仕事を始めた当初、ある神社の関係者から騙されたり、スタジオに泥棒が入り、撮影機材をごっそり盗まれたこともあり、とても苦労をした。

 

ただその後、自分一人でネットを使って得た仕事が、「宗像氏貞公」の掛け軸の復元だったし、その後真面目に関係ある神社にお参りに通うと、不思議と仕事に繋がった。

 

そのころから、不思議な出来事を多く経験し、何か「目に見えない不思議な力」の存在を意識しだした。

 

 

私の創った動画にも出てくるチャネラーからは、「前世」の行いが災いしているといわれたのだが、しかしその私の御魂の遍歴として挙がっていた名前は、とんでもない人々だったので、「半信半疑」でその話を受け止めていた。

 

その中に「ニニギ」という名前があり、私はどこの国の人かな??と、外人だと思ったくらい無知なのだが、とんでもない名前だった。

 

確かにその後、ニニギを祭った高千穂の「くるふし神社」と、鹿児島の「霧島神宮」に最初に参った時に、不思議な経験をしている。

 

 

ただ、私はそれでも、そのチャネラーの話は半信半疑にしか受け止められなかった。

何故なら、その中に出てくる名前が、あまりにも偉大なものだったから・・・

そのチャネラーは、私が神社の関係者にだまされたり、泥棒に入られたのは、前世の「贖い」だと言っていた。

 

でも、砂澤さんのこの本に書かれている話を読むと、実際に神はいるし、神は間違ったことを言わないし、何より神を頼り切ってお任せすれば、神様は絶対に救ってくださるという。

 

まずその事を守護霊は私に伝えたかったようである。

 

そして砂澤の話には「バカになれ、何も考えるな・・・」という話が出てくる。

つまり「無我」になれという。

そうしないと神様は出てこれないという。

 

口で「無我」というのは簡単だが、しかし「無我」とはどんな状態か?

実際に自分がそれを体験しないと解らない・・・・

 

 

で、フト気が付いたのだが、私は自分で言うのもなんだが、とても学習機能が働き、そしてとても努力家だと思う。

これって、一般的にいうと、良いことなのだが、努力して自分で何とかしようとすることは、実は「神さま」からすると、「任せて」くれないと、でてこれないということでもあるみたいに、最近いくつかの本を読むと思える。

 

しかも、人の「顕在意識」なんて、「潜在意識」に比べると、たかが知れていて、その努力なんて、神様から見ると微々たる力にしかならないという。

 

そして、自分で努力することは、言い換えれば「我」が強いということにも繋がる。

 

そのよい例が、私は思いついたことはすぐに実行するし、積極的にいろんな方面に売り込みを掛けたり、資料を全国の社寺に何度も送ったりした。

 

しかし、それらの行為で、仕事に繋がったことはほとんどない。

 

で、実際に仕事に繋がったものは、ほとんど依頼主の方から、ネットのサイトを検索して連絡を入れてきたものである。

その結果、仕事のしたものの中には、いくつも不思議な経験をしている。

 

今までは、その因果関係は不明だったが、どうも今回砂澤さんのこの本と出合ったのは、守護霊が、「自分で動くな、バカになれ・・・」と言っているように思える。

つまり、それらの縁を繋いだのは、「神さま」だったということになる。

だからそこに不思議な経験が絡んできた。

 

そうして「神様」を信じ切って疑うな!!

そうすれば、すべては神様が「縁」を繋ぐと言っているように受け取れる。

 

しかし、それって、簡単なようで私にはとても難しい。

無意識に「努力」してしまうから・・・・

 

そのあたりのことを、守護霊にいろいろと尋ねるのだが、あいにく砂澤さんのように、直接「ことば」で私は受け取れるほどの霊能力がないものだから、なかなか守護霊からの導きの意味が理解できない。

 

ただ、今回私の人生で最大の試練を与えられているようだが、しかし先日の「夢占い」の話に出てくるような、不思議な夢を2つも見ている。

 

その内容からどう考えても、守護霊のメッセージだとしか考えられないのだが、しかし今回の試練の「出口」が見つからず、絶体絶命のピンチを現在経験している。


何分以前にチャネラーから言われた「御霊遍歴」がとんでもない人々だから、もしそれが事実だとすると、今回の試練はとんでもなく、壁が高いと言える。

(資)文化財復元センター  おおくま

「〈神道〉のこころ・葉室頼昭」 と 「神道 見えないものの力・葉室頼昭」

この本の紹介サイトも、1年ほど前に「お気に入り」に入れていたサイトが取り上げていた本なのだが、当時はさほど興味が湧かなかった。

 

ただ今回、守護霊から「霊能一代 砂澤たまゑ」という本に再度導かれてから、この人の本が気になり、2冊Amazonから古本で購入した。

 

その中でレビューを読んで、読む価値がありそうに思った2冊を購入したのだが、まず最初に「<神道>のこころ」を読み始めた。

 

神道のこころ

 

 

以前に紹介されていたサイトで、著者が春日大社の宮司だと書かれていたので、逆に当時あまり興味が湧かなかったのだが、バリバリの神道一筋の人で、精神論的な宗教の本だと思っていた。

 

ところが読み始めると、作者は確かに公家の出だがそれとは関係なく、医者の道を進み、しかも当時ほとんどしられていなかった「形成外科」をめざし頑張ったという。

 

ただ、阪大の医学生の時に、肺結核と診断され結局吐血して、戸板に載せられて東京の実家に帰ったという。

その時知人から渡された「宗教」の本を読んでいたら、感激のあまり涙があふれて止まらなかったという。

 

その経験が、東京についてから少し休養して、再診してもらうと、肺結核が跡形もなく消えていたという。

 

 

 

砂澤さんの話もずいぶんと不思議な話があるが、結核が消えるという話もにわかには信じがたい話である。

 

ただ、最近スピリチュアル系の本を読むと、その手の奇跡がいくつも出てくる。

 

その葉室さんは「形成外科」という特殊な医療の専門家なのだが、彼は逆に西洋医学の考え方が間違っていて、東洋医学の考え方の方が正しいという。

 

彼自身、鍼を習得して、ずいぶんと治療に応用したらしいし、奇蹟的な回復をいくつも経験したらしい。

 

そんな彼が晩年、神道の勉強をして、宮司になったというから、最初は「家柄」もあるだろうし、何かの七光り的なもので「宮司」という職につけたのかと思ったら、さに非ず。

 

実際に試験を受けて、神職の最高階位「明階」を得られたとのこと。

それが縁で、自分の先祖とも縁の深い神社に次々に導かれたという。

 

この話で特に面白いのは、葉室家は女系であり、男が育たなく、過去ずいぶんと婿養子を迎えて血筋を保ったという。

公家であるが特に藤原家の血をひく家柄で、天皇と神社を結ぶ仕事をしてきた家柄なのだが、明治以後、公家の制度が廃止されたにもかかわらず、ひいおじいさんも、軍人であったおじいさんも、そして武家から養子に来て、銀行員であった父親も、すべて晩年には「宮司」という職に導かれているという。

 

しかし、すべて婿養子であり、遺伝ではないはずという。

 

その自分も結局最後には「宮司」に導かれたわけで、そこにまさに人の人生は神から導かれたものを感じるという。

 

 

そんな人が書いた本なのだが、「明階」は神社界でもなかなか得られないほど難しいものらしく、「神道」についてずいぶん勉強したといわれる。

 

その彼が書いたものだから、今までの古神道や神道でも、一般人には難しい話が書いてあるのではなく、医者としての経験や、「宇宙のしくみ」などが解りやすく説かれている。

 

特に神道バリバリの宮司なら絶対に言わない、「宇宙の成り立ち」について、最初は「無」から始まったものだが、そこに偶然ではない、明らかに「意識」が存在しなければ、無から「有」を創りだせないし、宇宙のすべてのものは「バランス」で成り立っていて、そこに人間の「我」が入り込むと、宇宙のバランスを崩し、結局は人類は破滅することになる。

 

ところが、宇宙を作った「意識」というか「こころ」は、実は人間を作ることで「自分」の姿を確かめたいと思っていると書かれている。

 

この手の考え方は、神道というより「スピリチュアル系」の考え方と一致するのだが、しかし面白いことに「<神道>のこころ」は1997年に書かれたものらしい・・・・

 

すると最近の「シークレット」や「神との対話」よりも古いことになる。

少なくてもそれらよりも、もっと古いマーフィ以前のゴダードやベーレンの考え方を葉室氏は学んだか、あるいはまったく独自に考えて、同じような結論に達したか?

 

 

いずれにしろ、「明階」を取られた方が、こういう新しい考え方をされているということが、素晴らしいと思える。

 

 

 007

 

で、実際に彼が春日大社の宮司になった時に、「ここは潰れる・・・」とおもったという。

それは「神道 見えないものの力」に書かれているのだが「不易流行ということ」という項目に

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私が春日大社にきていちばん最初に、この大社はつぶれるぞと言ったんです。 ここは不易だけやっていた。 昔の伝統をあくまでも維持しょうとしていたんです。 いまは地球の環境がすごく変わってきているでしょう。 世界がこんなにも急激に変わることはいままでありませんでした。 そして日本はいま、始まって以来の環境の変化の中にあります。 神社といえども、これに順応していかなければ滅びる。 だから流行をやらなければいけないと言い続けています。 祭りというのは、原点に返って、厳格に古式どおりやる。 一方ほかのことは、時代に応じて順応して変えていく。 そういうことでなければならないということで、いろいろと改革をやっているんです。

 

ところが、それにきがついていない神社もあります。 ただ昔のことだけ守ればいいと思っている人がいますね。 そうすると、どんな格式のある神社と言えども、だんだん落ちぶれる方に進んでいく。 ですから、不易流行というのはそういうことです。 逆に不易をやらないで、流行だけで変わるというのは変化です。 変化だけでも滅びるんです。 そこに伝統を伝えつつ変わるという矛盾したことをやるのが進化であり、これをやらなければいけないのです。

 

いま日本は歴史と伝統を捨てて、アメリカのものを持ってきて変化だけしたわけです。 だから、今のような国になってしまったんですね。 そうではなくて、伝統を伝えながら時代に順応していかなければいけないんです。 これをまったくやっていない。 だから滅びると言っているんです。 感謝しないと滅びると言っているわけです。 もう変化するのはいいんです。 今度は不易をやらなければいけない。伝統を伝えることです。 流行ばかりだったら、本当に滅びてしまうでしょう。

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と、言われていますが、まさにこの考え方は私の考え方と同じで、先日HPに付け加えたはじめにというページに

 

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しかし「目に見えないもの」はそういう「かたち」の在るものだけではなく、そこには「先人」つまり、それを残した人の存在があり、「何故」それを残したのか?

    

その「思い」こそ、残すべきものだと思います 。

    

そしてその先人が存在したから、現在のわれわれは「在る」のだと言うことを、私達は忘れてはならないと思いますし、そしてそれが本来その文化財の本当の価値だと「内なる存在」は教えてくれました。

    

先人とは、個人的に言えば、「先祖であり、社会的に言えば組織の創始者やその意思を受け継いできた人たちを差します。

    

そして、我々がその「先人」の残したものを、次の世代に繋がない限り、また我々の残したものも、次の世代に引き継がれないということです。

 

     

唯物論や科学というものを、我々の時代は信じ切っていますが、実はそれ以上に大きな「目に見えない存在」があり、それらが本当は我々を動かし、生かしているということを忘れていると葉室さんも説かれていますが、その「神」の意思を活かすために、私はこの仕事に導かれたと信じています。

 

 ずいぶん昔の話ですが、当社の技術をある社寺の出入り業者の方にお見せしたら、「なんや、実物が綺麗になるのと違うのか?」と、がっかりされたのですが、魔法でも使わないと朽ちたものは元には戻りませんし、また形あるものはいずれ朽ちて土へと還るのが、自然の法則です。


本当のモノの価値は、物質にあるのではなく、その中身こそ
本来の価値を持つものです。

 

ですから私は、デジタルは物質を有しておらず、朽ち果てることもありませんから、まさに「デジタル画像による文化財復元」は、その先人の「思い」を朽ちることなく、後世に伝えられる大事な技術であると確信しております。

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と、書いていますが、、大事なのは「残された物」ではなく、「残されたおもい」なのですが、この考え方を理解いただけないことは、とても残念ですね・・・・・

 

(資)文化財復元センター  おおくま

「こんなに面白い 日本の神話 ・ 蒲田東二」
神話

この本はAmazonで古本が「1円」で売られていたので買ったのだが、発行日の記載はないが、10年前に出された「霊能一代 砂澤たまゑ」が10年前の発行にもかかわらず、未だに1000円以上の値がついているのに、かわいそうなものである。

 

ただ「1円」と言えば、「雪舟の龍」も1円で出ていた。

 

 

で、届いてみるとやけに小さい・・・・

A6サイズのいわゆる「文庫本」なのだが、定価も「571円+税」となっているから、お手頃なサイズのお手頃な値段だと思う。

 

しかし、届いてからペラペラとめくると、何やらイラストなのかマンガなのか?よくわからないような絵が描かれていたから、子供向けの本だと思って、数日間放っておいた。

 

しかし、読まないものもったいないと、読み始めたら、これが結構面白い・・・

 

なかみは「古事記」をもとにした神話を、わかりやすく端的に解説したもので、素人の大人が読んでなかなかわかりやすいし、役立つ内容であった。

 

前半の半分はその古事記の解説で、後半はいわゆる「神道」についての興味ある項目を解説してあり、まぁ「1円」で買ったものにしては、十分役立つ本であった。

 

(資)文化財復元センター  おおくま

                   

学んだこと・・・・

何度もしつこく砂澤さんや葉室さんの話をするのだが、共通することとしては神さまは実在し、ちゃんと信じる者には「おかげ」を授けてくれる存在であり、信じない者にはむしろ罰を与えたりするのが、「日本の神様」という存在らしい。

 

一方、一般的にスピリチュアル系では、神さまはかわいい「我が子」に罰など与えるはずがなく、むしろ罰は自分で創り上げたものだという。

 

随分違う存在だと思うし、また「引き寄せ」の法則から見ると、すべての出来事は「自分の思考と行い」から生じるもので、すべての責任は「自分」にあるという。

 

だから、自分の思考を変えれば、「人生」は変わるという。

ただ、多くの場合、この手の話には「因果律」の話が出てこなく、すべては「現世の自分」だけの問題だという。

 

 

果たして、どちらが正しいのか???

 

 

 

私は十数年前に、今でいうチャネラーだと思うが、れっきとした霊能者から「前世」の因縁が、現世の私に災いをなしているといわれた。

 

無信心な私はそれをそのまま鵜呑みにはできなかったが、しかし私の守護霊からの伝言を伝えられ、それに従ったら少しは状況が変わったことは事実であるし、しかもその霊能者は守護霊がチャンネルを繋いだらしく、プロであるにもかかわらずまったくの「無報酬」で応えてくれた。

 

 

だからこそ、彼女の言葉に嘘はないと信じるのだが、しかしそれにしてもずいぶんと突飛な内容だったので、その後も「半信半疑」ではあった。

 

その話は4つの神社に絡んでいたから、「神さま」が絡んでいるとは思い、その後も何度もそれらの神社に足を運んだのだが、確かに地道を走って、とんぼ返りで返ってきているのに、疲れはまったくなく、むしろ「元気」をもらって帰ってくる。

 

しかも最近はその時のガソリンの燃費は、極端に普段よりは上がるような「現象」を常に経験するのだが、私のそんな「不思議な経験」をほとんどの人は信じないらしい。

 

特に宗教関係者は興味を示さない。

 

 

しかし、砂澤さんのあの本には、私の経験など足元にも及ばないような「ふしぎ」な話がいっぱい詰まっている。

 

葉室さんの書かれた本にも、そんな経験はたくさん書かれているのに、それを信じない人が大勢いることはとても残念だと思う。

 

砂澤さんは、実際に厳しい修行をされて、「神さまが見える」とまで言われる。

 

そして、砂澤さんも葉室さんも「感謝」が大事であり、例えば神社で「入学祈願」を親がする場合でも、それこそ入学させてくれたらお礼に来るが、受からなかったら来ないという。

 

それは「感謝」ではなく、神さまとの「契約」だという。

西洋の神は、まず「罰ありき」で始まる、契約の神だが、日本の八百万の神は、「感謝」の気持ちから始まり、「おかげ」を授けてくれるという。

 

 

 

こんなことを言われる葉室さんは、神道の実績が全くないにもかかわらず、神社界の最高階位の「明階」を実力で取られているし、実際に由緒ある二つの神社の宮司という職を、いきなり経験された。

 

そして、砂澤さんは、逆に昔の小学校しか出ておらず、神さまが小さい時から、付きまとい、「お代になれ」としつこく勧誘されたという。

そして、その修業は、だれかについて学んだわけではなく、直接「神さま」がつきっきりで教えてくれたという。

 

そして、いつの間にか、お堂を立ててくれる人が集まるようになり、衣食住に不自由しなかったらしいが、その代わりその修業はとても厳しいもので、真冬の雪の積もる夜中に自宅のそばの川に浸かって、一心不乱に「祝詞」を上げたという。

 

また伏見稲荷には「お山」に何度も行って、つららの下がる滝に打たれたり、「百日間の断食」を達成したという。

ただ、その時も断食だけじゃなく、いつものように「お山」をして歩き回ったらしいが、さすがに80日を過ぎると、這って上ることもできなくなったときに、神さまが白馬に乗せて、道場まで送り届けてくれたという。

 

普通の人にはとても信じられないような話だが、彼女にとっては伏見稲荷のあの山には、たくさんの神様がいて、それがすべて見えるという。

 

その彼女も、伏見稲荷の関係者から「直轄の講社」に入るように勧められ、最初に3年間の講習を受けて、「四級教師」になり、「扱いどころ」を作ったが、最終的には扱いどころは「特級支部」にまで昇格し、自分は「一級教師」にまでのぼり、「仁階」を授けられたというが、しかし仁階がどれくらいの階位なのかは調べても判らない。

 

そんな、対照的な二人が、ともに神は存在し、奇蹟も実際に何度となく経験されたというのに、そんな出来事に興味を示さない人が大勢いることは、そりゃ、日本も滅びるよ・・・・

 

そんな人は、一度お二人の著書をちゃんと読みなはれ!!

人生変わるから・・・・

(資)文化財復元センター  おおくま

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