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日本民族と文化
と、いきなり大きなタイトルだが、私は文化財の価値は物質にあるのではなく、その「ナカミ」こそ価値があるという持論を持っている。
 
多くの研究者は、絵の具の分析で、色を特定し、その顔料の産地を特定して「歴史的」にみてどうこう言ったり、どんな技法で描かれているか?を研究されるが、しかしその作者の精神性やそのものの必要性などを研究される人は、とても少ない。
 
 
 
じゃ文化財の中身って何?と自分自身に問いかけても、現時点において明快な答えは得られない。
 
そうすると、文化財というより、まず「文化とは何か?」という問題から解決しないと文化財の中身なんて解からない。
 
 
 
文化とは、民族や集団というある「くくり」に共通するものだと私は理解しており、それはその文化を比較して優劣をつけるものではないと思っている。
 
言い換えると、それらの文化を本当に理解しているのは、そのくくりに属する人々、あるいはそれを生み出した人々だと思う。
 
 
私は約2年前からfacebookをはじめた。
その目的は「文化財のデジタル復元」の普及のためであるが、その目的を達成するために多くのfacebookでいうところの「友達」を、宗教関係者に求めたのだが、友達の半数がその関係者となると、集まる記事も偏ってくる。
 
と、言うか、共通する意識がそこにあることに気付いた。
 
その中心に「天皇」があり、そして日本人特有の「道徳観」だったりする。
 
 
 
人は良く「常識」という言葉を使うが、万人共通ではなく、人ぞれぞれだったり、せいぜい文化と同じように「くくり」にしか通用しないものだったりする。
 
そうすると、我々日本人にとって「常識」だと思っていることが、他の民族にとって常識として通じないことに驚きを覚える。
 
 
 
少し話は変わるが、その常識だと思っていることの大半は、教育や報道の影響を受けているわけで、今まで見たり聞いたりしてきたことが「普通」だと信じてきたのが、この歳になり随分偏ったものであったことを、そのfacebookの書き込みから知らされることとなった。
 
 
 
その最たるものが、中国や韓国人の意識と我々日本人の意識の違いである。
 
よく「差別」という言葉を耳にするのだが、しかしそのほとんどの場合は、「差別」と「区別」の区別がつかない話だったりする。
 
我々日本人にとっては「当たり前」に思えることが、通用しない民族がいるとしたら、それは「区別」して考えないといけないのではないだろうか?
 
 
 
facebookの書き込みの中で、偏見交じりの人種差別と感じる書き込みも少なくない。
しかし今回「柿澤紀子」の引用されていた文章を読んで、これこそ、日本人と中国人の違いなんだととても納得できた。
 
 
その文章は「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)さんのものだが(転送転載自由)とされているようなので、そのまま引用させていただくが、この文章は単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」という本の中の文章らしく、興味が湧いたので、作者には申し訳ないがAmazonで古本を注文した。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 
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以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。

 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)

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(転送転載自由)

きれいに死のうとする日本人と死なないようにする中国人

   

●桜に投影される日本人の死生観

 日本人と中国人の決定的な違いはどこにあるのかといえば、それは死生観にあるといってよい。死に対しての考え方や死に直面したときの態度は明らかに違う。日本人はきれいに死のうとし、中国人はいかにして死なないようにするか、という考え方に歴然と現れている。

一九八七(昭和六二)年四月一日に日本にやってきたときの東京は桜が満開の時期で、私は日本人が花見をする光景を初めて目にした。当時の東大病院に通じる道の両側は桜並木で、日本人は病院の前の桜の木の下でさえ花見を楽しんでいた。この光景を見て、日本人がいかに桜を大切にしている民族であるかを肌で知った。

 日本人がなぜこれほどまでに桜を好きなのだろうと考えたとき、日本人は、パッといっせいに咲いて、短い期間に咲き誇り、パッと散ってしまう、この桜に一種の哲学を感じ、日本人の生命観、哲学観はこの桜のサイクルによって生まれてきたのではないかと思った。

 いっせいに咲いて、きれいに散る。これはある意味で非常に心地よい光景であり、潔いと言った方がより適切かもしれないが、この桜が日本人の死生観、命に対する考え方を象徴しているのではないかと私には思われたのだ。

 つまり、日本人にとって命というのは、長さではなく、美しさにあるのではないかと思ったのである。命永らえることに執着するのではなく、その瞬間に全身全霊を傾けて美しさを表現し、それを終えたら潔く散っていく、そういう死生観を持っているのが日本人ではないだろうか。

    

●日本の葬儀に参列して感心したこと

 私は大学病院で七年間研究に没頭し、外来や入院患者への治療も経験したあとで、栃木県の片田舎に移った。ここに来て驚かされたのは、日本人の生活のなかでは死に直面する機会が多いことだった。

 栃木県の田舎にはいくつもの集落があり、その集落のなかに数戸で構成する班や組がある。当初、職員が「お葬式ができたので休ませてください」と申し出てきたので、私はてっきり身内の方が亡くなったのだと思った。台湾では、家族が亡くなったのでなければ休むことはあり得なかったからだ。しかし、その職員は「組内にお葬式ができたので、手伝いにいかなければならない」と言う。つまり、組や班は自分の家族のような考え方なのだった。このように、日本人の生活のなかには死に直面する機会が少なくない。

 私自身も医者という仕事柄、葬儀に参列する機会はかなり多い方かもしれない。そこで、「なるほど」と感心したことが一つある。

 日本では通夜でも葬式のときでも、最後のお別れということで、故人の顔を見させてもらう機会がある。これは台湾ではなかったことだ。台湾では、死人の顔は家族かごく親しい人以外に見せることはない。しかし日本では、すべての参列者に顔を見せ、触らせもする。これが故人とのお別れの儀式となっている。そして、遺族に「ああ、いいお顔ですね」と慰めの言葉をかける。この言葉は、遺族にとっては最高の慰めのようである。

 あるとき、私の友人だった市議会議員が忘年会に行く途中、誤ってトンネルの壁に衝突して亡くなり、顔も体もめちゃくちゃになった。もちろん、葬儀の前に顔をきれいにして死化粧を施してはいたものの、顔にはそれなりの傷が残っていた。それでも、その葬儀に参列した人々は「ああ、いいお顔ですね」と遺族に声をかけ、お別れをしたのだった。「ひどいお顔ですね」という人はいなかった。
「いいお顔ですね」というのは、その死顔に事故などの傷痕が残っていたにしても、苦しんだ痕は残っていないということなのだろう。苦悶せず、従容として死んでいった様を確かに拝見しましたということを遺族に伝え、遺族にとってはその言葉が最高の慰めとなる。それが日本人のお葬式のようだ。

 このように、私は栃木県の田舎に来て、日本人がきれいに死のうということを大切にしているのを改めて感じた。

    

●武士道がいまも生きる日本

 めったに死に直面したことのない台湾社会で育った私からすれば、日本人は日常的に死に直面しているように見える。

 たとえば、日本の新聞の地方紙には必ず訃報欄がある。大手新聞は著名な方ばかりだが、地方紙には亡くなった方がすべて紹介されているようだ。著名人であると庶民であるとを問わず、名前、年齢、亡くなった原因、お通夜や告別式の日時、葬儀の場所などが網羅されている。だから、故人とご縁のあるなしにかかわらず、誰でもこの訃報欄を見て葬儀に参列できる。

 しかし、台湾の新聞には著名人ならいざ知らず、名もない庶民が亡くなったことを伝えるこのような訃報欄はない。また台湾では、葬儀に参列できる人間は遺族から招待された人間に限られる。だから、日本のスタイルを知ってしまった私から見ると、台湾では意図的に死を避けているように見えてくる。

 たとえば、台湾のホテルや病院には四階という表示はない。だから、エレベーターにも四階はなく、三階の上は五階となる。これは、「四」が「死」の発音に似ているということで、意図的に避けているのである。それくらい死というものを日常生活から遠ざけているのが台湾社会だ。

 確かに日本でも「四」は「死」に通じるということで避ける傾向はあるものの、台湾の徹底ぶりには及ばない。日本社会は死にあふれていると言っても過言ではない。死という自然の摂理が生活のなかに生きているのである。

 台湾では、亡くなってからお葬式の日までは二週間ほど間があるが、日本のお葬式は非常に早いペースでおこなわれる。亡くなってから、通夜、告別式までほぼ三、四日でおこなわれる。また、お葬式は台湾と比べて非常に質素で整っており、美しささえ感じる。

 葬式というセレモニーは、その民族の文化の根本をもっとも表しているといってよい儀式である。日本人は、死を日常の一部として組み込んでいる民族であり、恥の文化、すなわち他人を意識し、自分の死顔や死様が他人からどのように評価されるかを意識しながら死んでいくように、台湾人の私には見える。

 死につながる概念は、生につながる概念でもある。日本人はこの世の無常、つまり人はいつか必ず死ぬということを意識するがゆえにきれいに死のうとしているのではないだろうか。その極めつけが武士の切腹である。

 新渡戸稲造の『武士道』にもあるように、切腹は単なる自殺の方法ではなかった。切腹は「武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法で」あり、また「それが法律上の刑罰として命ぜられる時には、荘重なる儀式をもって執り行われる」という。

 私は映画のなかでしか見たことはないが、切腹の儀式やそれに臨む武士の服装は日本人の美学そのものではないかと思う。しかし、不思議だったのは、切腹は練習できるものではなく、誰一人として体験できるはずがないのに、なぜ日本の武士はあのように冷静沈着な態度でその場面に臨むことができたのかということである。ひょっとすると、あれは映画のなかだけのことだったのかもしれないとさえ思っていた。

 しかし、この原稿を書いている最中の二〇〇五年一二月一〇日、保守派運動家の三浦重周氏が故郷である新潟市内の岸壁で、皇室典範を改正して女系天皇を容認することに抗議し、皇居に向かって割腹して自決した。現場に駆けつけた三浦氏の親友である評論家の宮崎正弘氏は、次のようにその模様を伝えている。

 驚天動地の衝撃が走りました。

 十二月十日午後九時半頃、政治思想家の三浦重周(本名 三浦重雄、重遠社代表、三島由紀夫研究会事務局長)は郷里の新潟市の岸壁で寒風吹きすさぶなか、壮絶な割腹自決を遂げました。遺体の発見は翌日(十二月十一日、日曜日)午前九時頃で、直ちに近くに住む兄上が立ち会われて検視の結果、心臓部は肋骨に達し、咽喉部を切ったので喉に刃物がつきささったままの状態でした。

 三浦代表は皇居遙拝のかたちで正座したままうつぶせの状態であったことが判りました。菩提寺の三浦家代々の墓には本人が前日に訪れた足跡がありました。

 壮絶にして見事な割腹を遂げた大西中将の最後を思い出させてくれます。

 三浦氏の切腹は諫死であった。私はこの報に接し、切腹という荘重な死に方は映画のワンシーンではなかったことを強く思い知らされた。

 日本人は死を意識しながら生きている民族であり、日常的に経験する死の場面を文化にまで昇華させているように思われる。そのせいか、世界第二位の経済力を持ちながらも、日本人一人ひとりの現世に対する執着心はそれほど強くないように見受けられる。日本人は常に無常観を抱えて生きているようだ。それはまさに、人間はいつか死ぬ定めにあり、命には限りあることを意識しているがゆえの日本人の死生観となって現れてきているようだ。

 日本人は生きているうちに一所懸命に仕事をして世界最高レベルの技術を創出しつつ、一方では、自然の摂理に融け込みながら、死を生活の一部として淡々と取り入れ、自分が人生の最終局面に向かい合うときにはいかにしてきれいに死ぬのかを考えているようである。

 少なくとも、日本は他国の文化と比べた場合、死をかなり強く意識しているように思われるのである。それが桜を愛でる花見となって現れているのではないだろうか。

    

●中国人の死生観を見落とした石原慎太郎

 石原慎太郎氏は産経新聞に「日本よ」という連載を執筆している。その二〇〇五年一二月五日付の「アメリカは勝てまい」のなかで、「アメリカは中国とまともに戦争をしたら決して勝てることはない」と論じている。石原氏はその理由を次のように説明している。

 前にも記した通り毛沢東が対アメリカ戦争を想定してポンピドーに明言した、千万単位の人命の損失を決して恐れはしないという、市民社会を経験したことのない中国伝統の、人命に関する我々とは百八十度違う野蛮な価値観が発露してくる限り、アメリカの市民社会の世論は中国との全面戦争を許容する訳がない。

 果たしてそうだろうか? 保守派、それも中国に批判的な保守派論客といえども、中国あるいは中国人の本質についてはさほど知らないのではないかという印象を持った。

 石原氏はアメリカが勝てないのは「人命尊重という市民社会の当然な世論希求の前にアメリカは手を引く」からだと言うのだが、それを理由にアメリカが勝てないというのはどうにも腑に落ちない。少なくとも日本人より中国人の本質を知り得る立場にある台湾人にとっては説得的ではない。これだと、人命を尊重する市民社会を持つ国家や民主主義の国家は、独裁国家に勝てないという結論になりそうだ。

 しかし、今、私が言わんとしているのはそのような政体の違いからではない。アメリカという国家は確かに人命を尊重する国家である。ただし、一方で信仰心の強い国であって、価値のある死と認められるならば命を捨てることをいとわない国でもある。また、中国人の死生観からすれば、いかに死なないようにするかが大事なのであって、理念や国家のため、あるいは他人のために自らの命を差し出そうとするような考え方はしない。まず頭にないといってよい。

 だから、もし中国人が死ぬことを恐れない人間ばかりだったら、確かに今の兵器の量や質のもとでは非常に恐ろしい軍隊であって、アメリカの苦戦を予想するのは難くない。

 しかし、くり返して言うが、中国人にとっては、いかに死なないようにするかが大事なのであって、大義のためや、国家あるいは他人のために自らの命を投げ出すことはあり得ないといってよい。

 それゆえ、石原氏が指摘するように、毛沢東などの指導者が国民の生命を鴻毛のごとく軽く見ていることは疑いようのない事実だが、中国人自身がそもそも国家のために死のうとしないのであるから、石原氏の結論には大いに疑問なのである。

    

●中国人の死生観に発する督軍隊

 また、石原氏はこの論考のなかで、アメリカが敗北する理由として朝鮮戦争の例を引いて次のように書いている。

 思いなおせばアメリカは太平洋戦争以後の主な戦争で勝利したことはない。朝鮮戦争は痛み分け、ベトナム戦争は実質敗戦でしかないし、人命の損失を恐れる限りイラクでの膠着の行く末にはなんの保証もありはしまい。朝鮮戦争できりなく押し寄せてくる中国軍の兵隊がほとんど丸腰のままだったという、迎え撃つ側にとっても悪夢に似た実態の暗示するものは、たとえ次の戦争が核を伴ったものだろうと彼我の実質はかつてと全く変わらないということだ。端的にいって中国はたとえ上海を丸ごと失っても動じることはないだろう。

 朝鮮戦争で中国人民解放軍はいったいどのような戦法でアメリカ軍と戦ったのだろうか? 石原氏が南京事件について触れた論考ですでに指摘していたように、中国軍には独特の組織がある。督軍隊である。督戦隊ともいわれるが、自軍の兵隊が逃げ出さないように戦場の後方から見張る部隊のことである。もし逃げ出したら容赦なく射殺する役割を担う部隊である。恐怖心を植えつけて逃げ出さないように見張っている中国特有の組織である。

 つまり、武器を捨て丸腰のままで逃げ出そうとしていた中国兵にしてみれば、退くにしても進むにしても死ぬだけの状況ならば、前へ進むしかなかったわけで、「きりなく押し寄せてくる中国軍の兵隊がほとんど丸腰のままだった」というのは、まさにこの督軍隊の存在が後ろに控えていたからにほかならなかった。

 中国軍になぜこのような部隊が存在していたのかといえば、軍事訓練をへた正規軍が少なく、農村部などから青年を狩り集めてきて兵隊にしているという状況もさることながら、自分の命は犠牲にしたくなく、他人の命は尊重しないという中国人の特質を知っていたからである。

 実際、中国軍と戦ってきた日本軍の資料のなかには、このような中国人の性質を描いた記述がたくさん見受けられる。支那兵がいざ戦闘となったとき一目散に逃げ出すとか、支那兵は強い相手にぶつかるとすぐ逃げ回るとか、支那兵のエピソードは掃いて捨てるほど残されている。

 戦前の日本軍人なら、このような支那兵の実態はよくわかっていたことであり、石原氏もすでに南京事件でこの督軍隊の存在に触れているのに、なぜ朝鮮戦争の場面ではこのことに触れなかったのか、残念としか言いようがない。

 朝鮮戦争における中国兵は強かったから「きりなく押し寄せてくる」のではなく、自分の命が惜しいため「きりなく逃げ出そうとしていた」にもかかわらず、督軍隊が控えていて退くことができなかったため、アメリカ軍の正面に出ざるを得なかったのである。
 アメリカ軍にとっては確かに次から次へ雲霞のごとく押し寄せてくるように見えた中国兵は「悪夢」でしかなかったかもしれないが、実態は督軍隊に追い出されていたのだ。だから、「悪夢」を見たのはアメリカ兵ではなく、自軍の督軍隊に追い出されてやむなくアメリカ軍の前に出ざるを得なかった丸腰の中国兵だったともいえるのである。

 石原氏ほどの保守派の重鎮が朝鮮戦争における中国軍の実態やこのような中国人の性質を知らないとはとても思われないが、このような一面的な記述を見ると、果たして本当に知っているのかと疑問がわいてくる。実際、日本の保守陣営にしても親中国的なリベラル陣営や左派陣営にしても、果たして中国や中国人の本質を踏まえているのかと疑問を持たざるを得ない論考や発言が少なくないのである。

    

●中国人の死生観とは「死なないようにする」こと

 中国人の死生観というのは、実に簡単で「死なないようにする」、これだけである。中国人は非常に世俗的で現実的、実利的な民族である。ほかの民族と比べても、そのような傾向は顕著である。だから、中国人は宗教心あるいは深い信仰心は持ち合わせていない。

 もちろん、中国にも宗教はある。中国生まれの宗教としては道教がある。しかし、道教の一番深い思想は「不死不老」、すなわち、死なないようにする、年をとらないようにするという神仙思想で、修行して仙人のようになるというのが道教の根本思想なのである。

 また、中国の宗教というのは民間信仰が中心で、関羽や媽祖を祀る廟がある。媽祖は航海や漁業の神様であるが、これらの神様は現世利益を得るための対象で、願いが叶えば生贄を献上して感謝を捧げ、叶わなければ破壊することにもなる。

 しかし、中国のこのような信仰には利益はあっても、善、美、絶対という概念は存在していない。願いが叶えばそれでよしとして、生贄を献上したり献金をしたりする対象でしかない。つまり、取り引きなのである。中国人の宗教とは霊のレベルまでであって、絶対や至上という「神」という観念はない。キリスト教やイスラム教、あるいは仏教のように絶対に犯してはいけないタブーというようなものはない。

 中国共産党が支配するようになってからは、宗教は人民の阿片だとして、あらゆるお寺や廟を破壊しつくした。しかし、この破壊活動を共産党だからやったと解釈する向きもあるようだが、その解釈は一面的で、しかも現実とかけ離れている。中国人はそもそも信仰心のない民族である。だから、死後の世界や永遠の命ということを信じていない。それゆえ、現世に災いをもたらすのが寺廟だと言われれば、平気で壊してしまうのである。

    

●故人の遺体をめちゃくちゃに砕く中国人

 その点で、中国人の死生観を観察するのに最適なのは香港である。周知のように香港は、一九九七(平成九)年に中国に返還される前はイギリス領で、ある程度の言論の自由があり、百パーセントの資本主義社会だった。だから、中国共産党による破壊活動から免れた地域であったため、宗教活動を自由に観察できるところなのである。

 香港人の死生観をどういうところから観察したらよいかというと、風水に対しての姿勢である。ここにもっともその特質が現れている。風水は日本でも流行ったことがあるが、まず風水には陽宅と陰宅という概念がある。陽宅というのは生きている人間が住む家のことで、陰宅というのは墓のことである。

 中国人のお墓の概念は、日本人のお墓の概念とはまったく違う。香港人のお墓は必ず風水の観点で造らなければならない。それはなぜかというと、お墓は死んだ人間のためではなく、生きている人間のためにならなければならないからである。

 お墓はもちろん死んだ人間が造るのではなく、生きている人間が造る。だから、まずお墓は子孫に福や富をもたらす場所に造られる。中国人は今でも土葬が中心で、土葬は一〇年あるいは二〇年後に場所を移す。そのとき、棺桶を開けて遺体が白骨化していなかった場合は、遺体をめちゃくちゃに砕くのが中国のやり方である。白骨化しない先祖の遺体は「蔭屍」(インスー)と言い、その「蔭屍」に福や富が集中してしまうと考えるからである。先祖が自分の親であろうと、これは同じである。

 このような中国人の習慣は、先祖を敬い、遺骨を大切に扱う日本人には理解しがたいかもしれないが、亡くなった人の福は残された子孫に残さなければ何の意味もないと考えるのが中国人なのである。生きている人間のことだけを考え、いかにして死なないようにするかを考える中国人の特質がよく現れている。

 その昔、秦の始皇帝は三〇〇〇人の男と女を派遣して不死不老の仙薬を求めたという伝説がある。彼らが向かった東の島「蓬莱」は日本だという説もあるようだが、この伝説にもあるように、中国人は死ということを頭では理解していても、心のなかでは理解したくないのである。というより、死を避けているといった方がよい。いかにして死なないようにするか、ともかく現世がすべてと考えている民族なのである。それゆえ、権力や富に対して執着心が強い。そのために、人を蹴落してのし上がるとか、借りたお金をなかなか返さないとか、日本人なら良心がとがめる事柄についても、平気でおこなえる民族なのである。

 中国人はいかにして死ぬかを考えない民族であるから、美しく死ぬとか立派に死ぬとかは眼中になく、ここが日本人と大きく違うのである。中国人を理解するためには、まずその死生観から知らなければならないのである。

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