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苦労は人を育てる

おはようございます。

先日の拿捕した研修生はまだ通ってきている。

洗脳は大げさだが、自らの意志で来ている。

   

   

給料は無し・・・

いまどき人道に反すると思われる人が大半だろうが、私はまるで別の考え方をしている。

    

    

化学が進み、人の暮らしは豊かになり、そして楽になることが世の中の進歩だと思われている昨今において、「文化財」とはいったいどんな意味を持つのか?

昔の人が作ったということは判っても、でもそれがなぜ「価値」があるのか?そんなこと、ほとんどの人は考えない。

いゃ、他人から「文化財を大切にしょう」と言われ、それをそのまま鵜呑みにし、自らは何の疑問も持たない人が多いと思われる。

    

   

美術品は、物質そのものが価値のあるもの。

しかし「文化財」とは、文化を形に留めたものと私は思う。そして「文化」とは、人の精神的な営みを指すとわたしは理解している。

つまり、本来「精神」は物質とは言えないはず。

物質、つまり形あるものはいずれ朽ちて、土へと返る。

私はそれが自然の摂理だと思う。

 

すると、その文化財とは精神性の高みや、そこに宿っている魂の値打ちを理解できなければ、文化財を次の世界に受け渡した時に、その価値は半減するのではないだろうか?

そうならないためには、まずその作業に携わるもの自ら、先人の思いが理解できるレベルにまで、自らを高めなければならないと私は思う。

  

  

すると、この仕事の後継者を育てようとするとき、それは「技」を受け継ぐ以前に、その考え方を受け継げるものでなければならない。

だから私は研修生にまずそれを叩き込む。

  

  

悪く言えば「洗脳」することにもなるが、しかしそれは「己」を磨くことの必要性を説いているわけで、人は苦労することにより成長する。

だからこそ、まず苦労を味あわせそこから何を学ぶか?

そのためにも、「食えない」状態からスタートさせるのが、本人のためだと考えている。

   

デジタルにおける「色」について

文化財のデジタル復元を始めた当初から、専門家もそして素人の方も、一番質問されることが「この色はどうやって調べたのですか?」と、まず「色」に興味を示される。

当初は、画像として撮影したものの、彩度を上げたり、濃度を調整したりすると、その消えてしまったような場所にも、わずかながらの「色の偏り」を感じることがある。

つまり「赤っぽい」とか「蒼っぽい」という感じなので、その部分にはそれらの色が使われていたことは、おおよそ判断できる。

つまりその程度の色の正確さでしかなく、その色の濃淡までは判断できたわけではない。

  

  

しかし、御存じだろうが「顔料分析」と呼ばれる手法がある。

つまり蛍光X線分析器などを用い、そこに残された元素を調べれば、成分から絵の具が判るといわれる。

ある研究者から「分析すらしていないものは、復元とは言えない」と言われたことがあり、この話はことあるたびに引き合いに出すのだが、分析で成分がわかっても、顔料は粒子の大きさにより濃さが変わります。

ましては同じ成分でも、まるで違う色の絵の具が存在するといわれる。

ましては、分析でわかる成分は絵の具の一部といわれると、果たして分析すれば正しい色が判ると言えるのか?わたしははなはだ疑問に思う。

もちろん、分析することで確率は高くなるのだが、しかしデジタルにおける「色」となると、もっと複雑な要因が絡んでくる。

仮に色を正確に定義できたとしても、その色単体では存在しない。

つまりその色は、光によって人間の目に感じているわけで、実はその光の種類によって同じ色でも違って見える。

ここに1枚のカードがある。 

演色性検査カード・表
フジ・光源の演色性 検査カード

  

これは写真で飯を食っていた時代に購入したものであるが、アナログフィルムの時代にカラーフィルムには、「デーライトタイプ」と「タングステンタイプ」と呼ばれる2種類があり、撮影時の光源が自然光あるいはストロボであるのか、タングステンライト、つまり「電球」であるのかにより、使い分けられていた。

つまり、光源が変われば、色は違って見える。

このカードは、中には似たようなグレーのパッチが2枚貼られている。

この2枚のパッチは実はそれを見る光源の質により、同じ色に見えたり違った色に見えたりする。 

演色性検査カード-2 演色性検査カード-1
自然光で見た場合 一般的な蛍光灯で見た場合

   

その違いを「演色性」と呼ぶのだが、色を正しく判断できる光の質の高さを意味する。

単純に言えば、電球や蛍光灯の下では、色は正しく感じることができない。

まずこれは色を判断する「光」の問題だが、実はアナログのフイルム時代から言われていたことだが、写真には「記憶色」と言われる言葉が存在し、人の記憶は実は実際の色より「鮮明」に記憶されるという。

青い空・赤いバラ・・・

そういう言葉から、イメージする画像は、現実の色ではなく、誇張されている場合が多いといわれる。

それを記憶色というのだが、実は写真に写る色は、現実の色を正確に反映していないことが多い。

その記憶色のように現実より色鮮やかに写るフイルムを素人は好み、また売れる。

そういう意識的に色を調整される場合もあれば、色を正確に写そうとしてもいろんな要因で色が正しく写真には写らないことも多い。

それはデジタルになっても同じことが言えて、誇張されていたり、一部の色が偏って、すべての色が正しく表現されなかったりする。

ましてはカメラの個体差だけではなく、モニターの個体差やプリンターの色の差もある。

そうすると、どこまで行っても、正しい色って、表現されないことがありうる。

しかし、仮にこれをアナログの「絵具」で描いたとしたら、そこには一つの「共通項」が存在する。

すなわち「成分」がおなじで、その2つの色はどんな光の下で見ても、同じ色に見える。

でもデジタルでの色となると、ある条件下では同じ色に見えても、違う条件下では、まるで色が違って見えたりする。

わたしはそういうことを知っているから、単純に「分析すれば色は正しくわかる」とは言えないと思っている。

研修生 曰く・・・・
先日土曜日に、就職試験を終えた私は、精華町という行ったことのない場所にある「文化財復元センター」へ赴きました。
いきさつは先だって大隈先生が投稿した記事に同じです。「文化財とは、先人の精神の営み、その中身にこそ価値がある」とおっしゃる大隈先生のお考えには、私が普段あーでもない、こーでもない、と理屈っぽい頭で考えていることに近いように感じました。
私がまだ子供のころ、高校生くらいのことです。染織家になりたいと思っていました。着物がとても好きだったからです。
それを手掛ける職人さんの思いを知れば知るほど、織り込まれた一目一目に魂が込められているような気がしたのです。

私は美しい美術品、工芸品、古き良きものの、一体何に魅かれているのだろうか。
大隈先生とお話しして、その問答がひと段落したように思いました。
つまり、そこに込められた魂のようなもの、人が生きてゆくうちに行われた精神の営みが、私を引き付けるのだ、と。

大隈先生はまるで禅問答のように、相手に答えを徹底的に考えさせます。
私はいつも考えていることを、もう一度よく考えることになりました。
わかっていたつもりだったのに、わかっていなかった・・
それは「つもり」でしかなかったのです。
常々頭でごちゃごちゃ屁理屈をこねる癖を何とかしたいと思っていた私は、一晩悩んだ末、GW期間中大隈先生の下で研修を受けることにしました。

徒弟制度の重要性を説く大隈先生のお考えは、屁理屈ばかりで実が伴わない私の根性を鍛えなおすには最適だと思い、しばらく頑張ってみようと思います。
もちろん、「これからずっと頑張ります!!」と自信を持って言いたいところですが、それを先に言っては、まさしく実が伴っておりません。
毎日頑張って、それを積み重ねて、初めて「ずっと頑張ります!」と自信を持って言いたいです。
技術を習得するのはもちろんですが、まず第一に人間を育てたいです。

永田千佳

研修記録1
天命に拉致されたように、文化財復元センターにて研修を受けることになって早5日。
   
  
何もできないので、基本的なところから一歩一歩覚えてゆくことになります。まずはフォトショップを用いて古写真の復元から。
パソコンに苦手意識があり、フォトショップを使うのもほとんど初めて。
  タブレット端末を使い、1ドットづつの作業で傷を消してゆきます。
   
   
1日やっても、ほんの片隅しか進みません。根気のいる作業です。
もともと編み物などの単調な細かい作業にはまるタチなので、集中力は途切れにくいと思います。
   
  
しかし、その単調さにはまって、創意工夫がなくなるのが悪いところ。
  飛ばせるところはササッと終わらせて、主要部に時間を割く、と言った作業効率も今後の課題です。
   
  
永田千佳
節約の勧め
先日拿捕した研修生に、無給とはいっても、そのまま放っておいては、どうして生活すればいいのか?とても不安に思うわけだ。
 
    
うちには、かつて二人の新卒の研修生が同時に入ってきた時期があり、彼女たちはまずいかに安い家賃の住居を探すか?
つまり、家賃は支出の中の一番大きなウエイトを占めるから、そこから節約しなければ、食っていけない。
 
    
当時、8年ほど前だが、枚方の駅前で1万円台のハイツがあり、女一人で暮すには十分なスペースであり、家賃から想像すると随分なあばら家を想像するが、しかし立派なものであった。
 
そしてもう一人も、確か2万円弱じゃなかったかな・・・
個人宅の庭に4戸一の借家があり、コストパフォーマンスはとても高かった。
 
    
昨年、けいはんなの近くで、大学院卒の男子が自分でネットで探したのが、確か3万弱と聞いていたが、ずいぶん安いと思っていたら、今回彼女のために調べると、いくつもの2万円台のアパートが近くにあるらしい。
しかも隣の駅の徒歩圏にあったり、探せば結構掘り出し物はある。
 
    
いずれも平均的な家賃の半分くらいと言える。
ただ、出費を抑えただけでは当然暮して行けず、どうすれば生活費を稼ぎながらこの仕事を続けるか?
それについても前例があるわけで、その方法を教えながら、実際の相場を調べたり、ハローワークにも連れて行き、求人先を見たり・・・
 
    
もう一つ経費を節約するものに「交通費」がある。
彼女も実は大阪市内に友達とシェアした部屋があるのだが、そこからの交通費と通勤時間を見直す必要がある。
往復の2時間強、バイトできれば家賃くらいは浮くし、交通費も原付で通勤すれば、経費は大幅に下がる。
 
    
そういう一つ一つのことを、実際に調べ、そして実現可能かどうかを自ら判断させる。
 
そうすれば、安心できるわけだが、給料は出さなくても、知恵を出すことで協力は惜しまない。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

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