2007年の話である。
二月の初めに福井県あわら市の浄土真宗・本願寺派「吉崎別院」より、伝「蓮如上人御親書の掛軸」二幅の復元依頼をうけ、約一ヶ月間をかけ原寸大で高精細レプリカ用の、「デジタル画像による復元」作業を行つた。
掛け軸であるが、現状はとても悪く、ほとんど文字が読めない状態であった。
当時・本願寺吉崎別院 輪番「佐々木大圓」氏の談
(吉崎と蓮如上人)
本願寺第8代目の蓮如上人は今から訳530年ほど前、文明3(1471)年にこの吉崎に足を留められた。57歳の時であった。以後61歳まで僅か5年くらいの滞在であったが、虎や狼が住むといわれた辺境の地吉崎は、やがて奥州・出羽・信濃・能登・など7カ国より群集する人々で繁盛する寺内町となり、後の真宗王国北陸の基盤となった。この間、親鸞聖人が著された正信偈を開版し、また日常の勤行としてこの正信偈を拝読唱和することを制定し、自ら「お文」「ご文章」とよばれるお手紙を大量に著されて、大衆に判り易い表現で浄土真宗の教えをひろめ、これまでの弱小な本願寺教団が飛躍的発展をとげてゆく基礎となったのが吉崎ということになろうか。
(掛け軸復元のいきさつについて)
吉崎別院に伝えられる資料等を保存、展示する「資料館」に、蓮如上人御筆とされる「六字名号」と正信偈の一部をうつされた「正信偈文」の2点の掛け軸が存在している。何分にも五百年の時を経過していることもあり、殆ど判読できない状態で今日まで伝えられてきたこの二幅の掛け軸が、往事の面影をしのぶ形で目にすることができないものかと常々思っておりました。時折テレビで遺物の復元された影像を目にする機会もあり、適当な機関があるのではないだろうかと調べてみた結果、今の「文化財復元センター」にお会いできたということです。パソコンでの復元というジャンルは民間では余り例がないのではと思いますが、できるだけ忠実に再現すること中心に、スタッフの誠心誠意の姿勢にお任せしながら、私たちの目に、何十年、否何百年ぶりかに表われる上人の息吹きを心待ちにしている。
・掛け軸に書かれた内容について
二幅の掛け軸はそれぞれ蓮如上人の御親(真)筆と伝えられているものであり、特徴もよく出ており今回の復元に伴う調査で、右下に5ミリほどの大きさの鑑定印らしきものも確認されています。
伝・蓮如上人直筆
六字名号(絹本)
「南無阿弥陀仏」と草書体で書かれています。吉崎以前は「帰命尽十方無碍光如来」の、十字名号が主でありましたが、比叡山延暦寺より「無碍光宗」として弾圧をうけたこともあり、吉崎に移られた頃、草書体の六字名号を書き始めたようです。
正信偈文(紙本)
「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斎廻入 如衆水入海一味」と書かれています。
意味は一例として「よく(能)一念喜愛の心を発すれば(信心よろこべば)煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり(煩悩を絶つことなく悟りを得ることができる)凡聖・逆謗ひとしく(斎)回入すれば(凡夫や聖者や罪の深いものも、阿弥陀仏の世界にうまれば)衆水海に入りて一味なるがごとし(海に入ればどのような水もひとしく塩水となるように)」ということとなります。
今回の復元の最大の特徴は、蓮如上人の筆はこびを最大限復元したことにある。
よく、発掘された木簡の文字が赤外線で読めたと話題になるが、赤外線撮影画像だけでは、コントラストが低かったり、画素数が少ないと輪郭がぼやけていたりする。
しかし、蓮如上人の筆の特徴は、何と言って筆の勢いにあり、かすれや墨の濃淡が復元できなければ、その勢いは表せない。
そこで文字の一文字一文字を拡大撮影し、微妙な濃淡とかすれを表現した。
現状画像 | 筆の勢い | 復元画像 |
2007年から2008年にかけての話である。
この復元の対象物の多くは、社寺などの宗教関係の所有物である。
12年前にこの仕事を始めた当初は、新しい技術であり、すぐに普及するものと考えていた。
しかし、なかなか普及せず苦慮しているのだが、もともと何百年も続くところが多く、保守的であるからこそ現在まで維持されたと思われる。
ただ、この技術を必要とされている社寺も多く、逆にネットからわが社へ問い合わせて頂くところと、こちらから資料を送っても何の反応もないところと極端にわかれる。
しかし、そういう寺社も、 間に「紹介者」があると、話がスムーズに進む。
この話も紹介者が居られ、副住職とよく「そば」を食べに行かれるらしい・・・
この虚空蔵菩薩像は、約1メートルほどの円形の板絵であるが、もともと空海も修業をしたといわれる「求聞持法」と言われる荒行のために、本来は行者自ら描き、これを前にして行を行うものとの事。
しかし、この板絵は、専門の絵師によるものではないかとの事。
また、絵の具のほとんどがすでに剥げ落ちていたが、これは昔法輪寺が火災に見舞われた折、燃えないように「水」をかけて持ち出されたようで、その熱のために剥げ落ちたものと考えられる。
状況がとても悪く、法輪寺から枚方のスタジオへ移動すれば、残った絵の具もはがれる恐れがあるとのことで、法輪寺内の建物の中で、約1か月をかけ、現状画像・赤外線画像・紫外線画像・遮光画像など、800dpiという超解像度の撮影をおこなった。
まず1200万画素のデジカメを、4×5のビューカメラの後部に取り付け、移動しながら撮影し、それをつなぎ合わせたが、とても手間のかかる作業であった。
分割撮影し、つないだ画像 |
現状画像 |
復元画像 |
この復元に置いて、当社が大事にすることは「先人の思い」であると、常に述べており、文化財の価値は物質に非ずと唱えているものの、多くの専門家と考えを異にしている。
さりとて、わが社も「分析」がまったく無意味というわけではなく、分析でわかることは、物質に関することであっても、「一部」の情報しかわからないと思っており、「分析すらしないものは復元とは言えない」とまで言われることに、非常に反感を感じている。
しかしながら、国の補助金を使われる研究者と違い、わが社は民間の弱小企業であり、とても高価な分析器など導入する予算を持たない。
また、一つの復元にかける費用は、研究目的で行うものに比べ、一桁も二桁も低い。
そんな理由もあり、分析器を導入できない面もあったが、今回京都府の「知恵の経営報告書」の知財活用企業の認証を得たのを機に、300万円の補助金を申請した。
すると、それが全額認められ、自費負担分と含め500万円の「蛍光X線分析器」を導入した。
「虎穴に要らずんば虎児を得ず」の喩のごとく、「分析もした復元」として認めてもらおうと、一つの報告書を作った。
当社の復元画像をお見せすると、多くの方は驚かれる。
そして最初に質問されるのが「こ の色はどうしてわかったのですか?」と聞かれる。
これは専門家でも素人の方だろうと、同じ質問をされる。
つまり、どなたも「色」というものに興味を示される。
しかし、復元された「かたち」には最初に興味 がいかないようであるが、じつは僕は写真の専門家として、「色」についてはまったく違う見解を持っている。
例えば、あなたの目の前に「赤いバラ」が有ったとする。
その同じ赤いバラを他の人が見たとき、 果たしてまったく同じ「赤」として感じているだろうか?
つまり、同じ赤でも、人により感じ方が違うこともあり得る。
それは「瞳の色」も 影響するし、あてられている光の影響もうけるし、はたまた日本で見た場合と、イタリアで見た場合では、違って見えるという。
さきほどの瞳の色と、緯度と光の色温度などの影響から、日本人に「純白」を選んでもらうと、実は「青白い白」を選ぶとの事。
それに比べ欧米人は「オフホワイト」と呼ばれる「少し黄色身を帯びた白」を純白と感じるらしい・・・
つまり、不確定要素がとても多く、ましては写真の世界では「記憶色」と呼ばれるが、たとえば言葉で「青い空」「赤いバラ」などからイメージする色は、実は自分が実際に見た以上に「鮮明」に記憶され、 色鮮やかなイメージが頭の中に描かれる。
そして、アナログ写真の時代、実は写真の色は、実物に忠実に写ることより、色鮮やかに写るように調整されていた。
でもそんなことは、ほとんどの人はご存じない。
つまり、僕が言いたいのは「画像」に置いて、色に拘っても絶対的な色は再現されない。
ましては「分析」に置いて、成分が判明したとしても、同じ成分を含むまったく違う絵具も存在するし、また岩絵の具の粒の大きさの違いが、色の濃度として影響する。
だから、分析の必要性を実はあまり感じていない。
しかしながら、色は不確定要素がとても多いが、「かたち」は違う認識の人はそう多くないと思う。
つまり「丸い形」に描かれたものを、「四角」と感じる人や、四角を三角と感じる人はまずいない。
そうすると、デジタル復元画像に置いて、果たして一番大事なものは何だろうか?
お分かり頂けると思う。
つまり「デジタル復元」はデーターであり、物質を伴わない。
だから、絵の具の色を忠実に再現しようとしても、複数の要因において、忠実な再現は不可能に近い。
当社は「痕跡」をもとに復元を試みており、写真は存在しないものは写らない。