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ユーザー車検と重量税

今日、私は「ユーザー車検」を受けるために大阪の車検場へ行った・・・

実はこれが初めてではなく、過去に数回、自分で車検を受けた。

その車種は「ボルボ850」そして「モビリオ」だったが・・・

いずれもガソリン車であり、運転席の前にボンネットのある乗用車だったが、今乗っているのは、4WDの20年前のディーゼルのワゴン車であり、大阪はディーゼル車の車検が取れないので、この車「京都ナンバー」である。

で・・・

京都の車検場での「ユーザー車検」の経験も無ければ、この車の整備を担当している修理屋も、逆に大阪の車検場の近くであり、京都で車検を受けるには不便であり、安い「車検代行」も考えていたのだが・・・

行きつけの修理屋から「大阪でも、全国の車検が取れるよ」と聞いたものだから、結局大阪の車検場で車検を取った。

それ自体は、若干のトラブルは有ったものの、午前中に車検は通った。

実はその話ではなく、車検を受けるために払う「重量税」の話である。

私の車は重量税が1.5トン~2.0トンの範囲に入る。、

なにやら「エコカー減税」があれば、逆に古い車は「増税」されるらしい・・・

確かに最近の車は「燃費」も良くなり、「性能」も上がったかもしれない・・・

その為のエコカー減税は、解らないことも無い。

しかしながら、古い車を大事に乗り続けている人に対して「増税」は、どう考えても納得できない。

で、私の車の「1.5トン~2.0トン」の重量税は「エコカー減税」で「免税」で「0円」もあれば、減税なしでも「エコカー」だと2万円だか、そうでなければ「32.800円」らしい・・・

ところが、「13年」を経過すると、「43.200円」も取られる。

これって、何か間違っているように思う??

つまり、数年前に「もったいない」と言って、ノーベル賞をもらった人もいれば、10年ほど前から「地球にやさしい」とか「エコ」とか、訳の解らん言葉がもてはやされ、「資源」や「環境」を大事にするとか世界的に言い出し、サミットなどで、これが話題にされる。

ところが・・・  ところが・・・・

おかしなことに「資源」を大切にし「地球にやさしい」はずの、「モノを大事に使う」ということが「悪」とみなされる世の中が出現した。

なにやら、古い車は「エネルギー」を無駄にしているらしい・・・

確かに最近の車は「燃費」がいいかもしれない・・・

だけど、その差は「1割~3割」程度じゃないかな?

仮にその差を数年間「金額」に置き換えたところで・・・

新しい車が買えるわけじゃ無ければ、古い車を廃車にしたところで、その車を解体するにしても「エネルギー」が必要であり、ましては新しい車を作るのにもエネルギーも要るし、ましてはそれ以上に地球の「資源」を「無駄遣い」することは明らかであるが・・・

その差額を現実的に計算すれば・・・・

まちがいなく、古い車を大事に乗ることの方が「地球にやさしい」事は、誰の目にも明らか・・・

なのに・・・

さらに古い車を大事に乗っている者に対して「18年」と言う、さらに「増税」がされる・・・

その金額「50.400円」と、さらに増税される・・・・

この税制で、いったい誰が喜ぶだろう?

少なくても「国民」にとっては、この税制は何のメリットも無く、得するのは「自動車メーカー」でしかない。

つまり、企業をもうけさせるために「国民」に「増税」し、「買い替え」させるための「税制」でしかない。

これって、本当に「エコ」や「地球にやさしい」と言えるのだろうか?

なのに・・・

巷ではそんな「国民」が選んだはずの「国会議員」が、国民を苦しめ、企業を喜ばせるために法律を変える。

なのに・・・

その儲けた企業は、タックスヘブンの海外に利益を隠す。

そんな輩のために、我々は犠牲を払っているのに我々はそろそろ気が付くべきだと思う。

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(資)文化財復元センター おおくま

陽はまた昇る」NETFLIX

2002年の邦画である。

私は昔、NHKの「プロジェクトX」の大ファンであった。

NHKは本来、企業のPRはしない・・・

だから過去何回と私の技術をNHKで紹介されたが、一度も「(資)文化財復元センター」として紹介されたことが無く、常に「大隈 剛由」と言う「個人名」での紹介である。

ところが、この「プロジェクトX」に限って、企業名が紹介された。

それは、日本の企業の製品開発や、独自のシステムを持つ、企業や個人の紹介番組であったが、常にこの番組を見て、私はこの番組で私の「デジタル画像による文化財復元」と言う技術の紹介されることを夢見ていた。

 

しかし、実現する前にこの番組は終わった・・・

また、この番組のテーマソングもとてもとてもお気に入りで、以前に何度も枚方の地元のFM局にゲストで呼ばれたが、その時に私のリクエストを聞かれると・・・

迷わず、このテーマ曲をリクエストした。

いゃ、今回はその番組の紹介ではなく、「VHF」と言う、家庭用のビデオデッキの規格を全世界の統一規格にまでした、一人のビクターのビデオの開発部長の話を、映画化したものである。

この男、もともと製品開発に携わっていた高卒のオトコだが、ある意味「左遷」に近い形で、ビクターの赤字のビデオ事業部の責任者となる。

会社は人員削減を促すが、彼は誰一人首を切らずに、新しく「家庭用ビデオ」の開発に乗り出し、苦労の果て、製品化のめどを立てた。

ところがすでにソニーのベーターが統一規格の候補に挙がっていたのに、ビクターの親会社の松下の相談役、つまり「松下幸之助」の心を動かし、逆転{で「}VHF」を統一規格へ持って行った、一人の男の「おもい」の物語である。

で、ここでその男もすごいが、なにより「松下幸之助」と言う男の偉大さを、感じずにはいられない。

いゃ、実は私は6人兄弟の下から2番目なのだが、私はとても貧しい家庭に育ち、上から働いで、家庭を支えた兄や姉に助けられて育った。

その2番目の姉は中卒で、地元の「松下」の工場に勤め、そして職場の同僚と結婚した。

その姉もそうだが、私は復元の仕事を始めて、「元・松下電器・社会貢献事業部部長」と言う方から、仕事を紹介いただいたことも有るのだが・・・

その人もそうだし、私の知る他の松下の社員の方も、誰一人「松下幸之助」を悪く言う人は居なかった。

何やら戦後GHQから財閥扱いされて、解体されるところを、逆に松下の「組合」がGHQに働きかけ、難を逃れたと言うくらい、彼は自分の資産を増やすことより、社会のため・社員のためを考えた人らしく、そんな彼をこのビクターの「VHF」の開発部長は「熱意」で、幸之助を動かした・・・

私はそこがこの映画の味噌だと思う。

少し話は変わるが、私は写真を職業としていた頃、葬儀の「遺影」を作っていた時期があるのだが・・・

いくつかの葬儀社と付き合ったが・・・

ある葬儀社など、社員の誰一人として「自社」を良く言うものが居なかった。

それを考えると、幸之助有っての松下であり、またビクターであったわけだ。

最近、こんな、骨があって、そして「」が解る「CEO」は居ないように気がする。

あぁ、「VHF」の開発者の映画を見たのに、その裏に幸之助の偉大さを感じてしまった・・・

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(資)文化財復元センター おおくま

「古事記、祓い言葉の謎を解く」萩原継男 著・その2

HPを読むと、何やら「弥生語」と言う言葉と「倭人天族」と言う言葉が出てくる。

よくゴダイゴ!!じゃなかった、古代語と言うものがあると言う話は聞くのだが・・・

この弥生語と言うのもその一つらしいが・・・

それを記した文献は世の中に出ていなかったらしいが、実は1つだけ記紀以前に書かれたものが、ある神社の神官の家系に伝わっているらしい・・・

そんな話の断片がネットでわかったのだが、その一族は「倭人天族」の王に仕え、天の声を聴くことが仕事だったと言う。

そして「倭人天族」とは???

九州の五島列島から博多のあたりに勢力を持ち、航海術にたけて大陸との貿易で勢力を伸ばした弥生人だと言う。

しかも彼らが稲作や鉄器を仕入れ、日本の他の一族に普及させたと言う。

それが実は今の「天皇家」の祖先だと言う・・・

何やら今までの古代史を根本から覆すような話なのだが、それについて本では詳しく書かれている。

つまり、九州が発祥の地であり、それがある出来事を機に「本土」へ出てきて、奈良の三輪のあたりに政権を築いた。

「天孫降臨」とは、大陸から日本に侵略してきた他民族ではなく、もともと九州に住む、日本人だと言う。

ここに興味があるのだが、実は私の生まれたのはその博多の近くの「甘木」と言うところなのだが、数年前にそこが邪馬台国の候補地だと知った。

また、よく行く「宗像大社」は、宗像家の氏神であり、また宗像家も玄界灘の海洋族だと言う・・・

かなりの勢力を持つ一族だったらしく、たぶん倭人天族の流れを汲んでいるのではと思う。

また変な話だが、あるチャネラーから私の過去世の一つに「ニニギ」の名が挙がっていたが・・・

まさかそんな神様が前世の訳もないし・・・・と信じ切れなかった。

しかし、天孫降臨が実は九州に住む「倭人天族」だとしたら・・・

ニニギもまた、実は「九州人」だということになる。

そうなれば・・・・可能性も無くもない??

で、話を戻すとその「弥生語」と言うのが何故重要か?

それはもともと天皇家が使っていた言葉であり、その言葉の多くが「神道」の神の名や祝詞の「元形」になったものだと言う。

また、祓い祝詞も実はその弥生言葉から創られ、日本の神々の神話も、そこから派生したものだと言う。

で、肝心な「祝詞」をその中で見つけた。

弥生言葉による祓い祝詞

これがその原型になるもので、私はこの祝詞に導かれたものと信じている。

(資)文化財復元センター おおくま

「古事記、祓い言葉の謎を解く」萩原継男 著・その1

数年前から、精神世界の本をたぶん300冊ほど読んだと思う。

いゃ、数を自慢するわけではないが、それまで私は「知識」より「思考」を大事にし、自問自答をすると、答えが本や他人に聞くことなく、自分の中に返った。

つまり、潜在意識なのか、あるいは守護霊なのか、はまたま魂からか、内なる神からかは判らないが、答えが閃いたり、あるいは気が付くと自分の中に答えがあった。

そういう経験をたくさんしているもので、わざわざ知識を本から仕入れる必要が無いと思ってきた。

ただそれでも、自問自答の答えが、見ていたテレビ番組の中に有ったり、たまたま開いた本に書かれていたことも無いわけじゃ無かった。

ただ数年前から、この復元の仕事の状況が変わった。

何度も言うが、私は不思議な出来事を多く体験しているが、もともとは無信心であった。

にもかかわらず、そんな出来事を体験すると「目に見えない不思議な力」と言う「存在」を、否定できなくなった。

それがいずれ「信仰心」へと繋がるのだが、数年前に初めて仕事場に神棚を作った。

神棚とは言ってもまともなものではなく、仕事の机の上の棚に簡単なスペースを作り、伊勢神宮のお札を張った。

その後毎日洗ったお米や塩などをあげ、祝詞をあげる・・・

そんな習慣を欠かさなくなったが、さりとてそれからよくなったとも思えない。

そこであげるべき祝詞は何なのか?が気になり、いくつもの祝詞をあげていたのだが・・・

ある旧知の占い師から「神棚に問題があるような気がする」と言われた。

神棚と言ってもちゃんとしたものじゃなかったから、Amazonで安い神棚を買い、鏡は少し上等なものを買った。

さて・・・

問題なのは「のりと」なのだが・・・

果たしてどれが本当に効果のある祝詞だろうか?

今までネットを見て、効果があると言われるものをいくつもあげていたのだが「大祓い祝詞」の中に「太祝詞」と言う言葉がある。

にもかかわらずその部分が抜けている・・・

そこに不信感を抱いていて、何となく神社神道を信じきれない気持ちも、正直あった。

それが効果をあげない原因だとは分かっていたのだが・・・

そこでまた自問自答で「祝詞はどれにすべきか?」と問いかけて、ネットで検索した。

本来「太祝詞」を探していたのだが、納得のいくものが無い・・・

すると http://www.pikakamo.com/index.php?%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%81%AE%E5%A4%AA%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%80%8D と言うページを見つけた。

それを読んでいくと、なかなか面白い・・・それを読み終え、その元になるページも読んでいたら、何やら本を出したらしい??

ということで、さっそく3月に出された本なので古本も無く、Amazonで新刊を取り寄せた。

 

続く⇒

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(資)文化財復元センター おおくま

永遠の〇・百田尚樹 著と映画版「永遠の〇」

先日ネット配信で「テレビ版・永遠の〇」を見た。

感動ものなのだが、しかし3夜に及ぶドラマ化ともなれば、当然原作よりは中身が濃いものと思い、何が原作に付け加えられているのか?

また、映画版ではどうなのか??
が、少し気になり、Amazonで原作を検索すると、さすがに古本では「1円」で大量に並んでいた。

まぁ送料は掛かるが、「いいかぁ・・・」と思い注文したのだが・・・・
映画版の作品は、さすがにネット配信には出ていない・・・
やむなく、またAmazonの中古DVDを注文した。

で、原作が届き読み始めたのだが・・・
結構分厚い。
50ページほど読んだが、結構緻密に当時の様子が描写されており、ある意味映像化されたものよりも生き生きとしていたのだが、さすがに1日で読み終える量では無さそうと、ページ数を見ると450ページほどある。

で、どうせストーリは知っているし、読むのを諦め、映画版の作品を見た。

で、感じたのだが、原作の最初の部分を読んだ印象から、テレビ版のドラマの方が、むしろ映画版より原作に近いのではないかと思った。

つまり映画版は当時の関係者の話をずいぶんカットされていたり、特に何やら大手企業の会長に話を聞く場面も、弟一人で行ったことになっているが、テレビ版では姉と、また姉の上司にあたる新聞記者も行ったことになっている。

で、問題なのは、その新聞社をその会長は信用していない。
だからその記者に話す気が無いとはっきり断り、孫だけに話をする。

つまりもここが大事なのだが、たぶん朝日新聞をイメージしているような感じで、戦時中に国民をあおっておきながら、戦後手のひらを反す。

そんなところにも著者の「反戦」の思いが詰まっているように感じた。

またテレビ版を作ったテレビ東京の社長も「骨太のドラマが作れた」と述べているように、あれをテレビで流すことはとても勇気がいったとおもう。

そういう意味において、むしろテレビ版の方が、映画版より霊的レベルは高いと私は思う。

(資)文化財復元センター  おおくま
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