- 【色心不二】
- 2014年02月03日11:27
先日インチキ霊視鑑定に見てもらい、全く当たらなかったもので、もっと信頼できる霊能者はいないかと、ネットで検索していると、あるサイトに数人の本物の霊能者として挙げられていた名前の中に「高橋信次」という名があった。
Amazonでまた数冊の本を買った。
最初に届いたのが「心の原点」という本なのだが、そのはじめの部分に「色心不二」という言葉が出てくる。
どうも仏教用語らしい・・・
さっそくネットで調べるとYahoo!知恵袋の回答に色心不二の色とは、形あるものの意で、認識の対象となる物質的存在をいい、心とは目に見えない精神を意味します。
そして不二とは、而二不二(ににふに)にといって、二にして二でないということで、差別即平等を意味します。 すなわち、色心不二は、物質的存在と精神が、仏の悟りの上では融合した不思議の法であることを明かしているのです。と、説明されていた。
その高橋信次の文中には「色」とは、私達の眼でとらえることのできる世界と言えよう。
虹の七色の世界、すなわち0.00004センチ~0.00007センチのサイクルが、私達の視界の限界である。赤外線も、電波も、紫外線も、X線γ線α線も、私達は見えないだろう。
万物は、何万色かの色彩によって包まれている。その意味で私たちの肉体も色であり、大自然も色と言えよう。と、書かれている部分がある。
また、先日facebookの友達の僧侶がお釈迦様は 三無記をおもちですが、それは失礼ながら、お釈迦様以外の人間には処理能力に限界があったためだと思っています。
よくよくかんがえてみれば大隈さんのしている仕事そのままですね。みえないものを見えるようにきえてしまったものをあらわしているのですから。
と、言われた。
しかしながら、色心不二と同じく「三無記」の意味が解らず、またネットで調べると
見えるはずがないものが見えたり(幻視)、聞こえるはずがないものが聞こえたり(幻聴)、‘金縛り’状態になっていたりするなどの奇妙な現象を正常な状態にある人はどう捉えるだろうか?ある人はそれは心霊現象であると大真面目に言うことだろう。
~中略~
しかし「仏教」では‘X’が私たちの脳との関わりの中で私たちの身体の外に「存在する」とか「存在しない」とか言ってあれこれ議論することを「無記」としてこれを禁じている。
一方で仏教では「①人格の主体として業(ごう)を保持している霊魂は過去世・現世・来世の三世を通じて存在する」
「②この霊魂は不生不滅ではなく輪廻の主体として業(ごう)や経験に従って常に変化しつつ連続する」と説いている。
私はこの霊魂を「意識」に置き換えて哲学的思索を続けている。私の「意識」は私が死んだら消えて無くなってしまうものだろうか?
仏教では霊魂(=意識)は三世にわたって輪廻転生すると説いている。私は仏教が禁じる「無記」の領域に入っていろいろ考えてみたいと思う。と、書かれていた。
私のやっいる「画像による文化財復元」は、確かにこの「目に見える色」の外にも、目に見えない情報が存在し、それを視覚化することで、肉眼では朽ち果ててしまった現在の文化財の「当時の姿」を復元(再現)しようとするものである。
そして、文化財関係の多くの学者は、文化財を「物」としてとらえ、分析結果で「同じ材料」そして「同じ技術」を使えば、復元できると思われている。ところが、私は「文化財の価値は中身にある」と主張している。
つまり、目には見えなくても、そこには「色心不二」で言うところの「心」というものが存在する。
つまりこれも、見えなくても「存在する」ということである。
「目に見える色=物質」だけでは不十分だと仏教でも説かれているようだが、あいにく唯物論者には、見えないものは存在しないものと思われていることが、とても残念である。
(資)文化財復元センター おおくま