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「聖なるあきらめ」が人を成熟させる・鈴木秀子
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彼女の著書は随分読んだ。
彼女も臨死体験を持ち、その後「死にゆくもの」とシスターとしての体験を通しての話も多いが、とても暖かい文体を書く人で、私が精神世界の本を読み始めたころに、潜在意識から導かれた人の一人である。


今回久しぶりに精神世界の本をまた購入した。

きっかけはAmazonがよくメールで送ってくる「おすすめの商品」の中に、久しぶりに彼女の名前があり、そのタイトルの中に「あきらめ」と言う言葉が目を引いた。

最近この手の本をほとんど読まない。
私自身はもっともっといろんなことを知りたいと思うのだが、しかし潜在意識はそれを良しとしないらしく、知りすぎることもまた「執着」に繋がるからなのだろう。

この「あきらめ」と言う言葉は、精神世界で最終的に、人生は自分でコントロールできるものではなく、こだわりや執着を捨て、「無心」で「ゆだねる」ことで、むしろ良い方向に向かうということと関わりが、「あきらめ」と言う言葉にはあるように思う。

つまり諦めることで、執着心を無くす。
執着心を無くせば、欲も無くなる。
欲を無くせば「無心」になり、自分でコントロールしようと思わなければ、「神にゆだねる」こともできる。

元々自分でいうのもなんだが、私は努力を惜しまず、思いついたことは即実行するタイプの人間なのだが、人間の一般常識からいうと、努力を惜しまず頑張れば、必ず良い結果が訪れるということになる。

しかしながら、私の人生を顧みると・・・・

必ずしてそうだとは言い切れない。

むしろ、何も考えない時期に良い結果が現れていたりする。

そのあたりの自分の経験と、いくつかの本に書かれている「無心」「ゆだねる」「あきらめ」と言う言葉は、確かに一致していることに気が付く。

思うのだが、われわれ人間の常識は実は「目に見える世界」で「顕在意識」の範疇で考えものに過ぎず、潜在意識ははるかに広く、はるかに深い・・・

あるいは「宇宙の常識」と言うものがあるとしたら・・・
それは決して我々が思っているような「常識」とは、はるかにかけ離れたものではないかと、私は思う。

「逆もまた真なり」と言う言葉があるが、人は自分の立場や育った環境、受けた教育、接した人の影響を受ける。
しかも「自分にとっての常識」は万人共通だと思いたがるが、全く逆の人もいるし、その人の立場で考えると、それもまた間違ってはいない。

「宇宙の常識」とはそういうものを超越しているように思う。


(資)文化財復元センター  おおくま
005

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