いい作品を見た・・・・・
感動したとか、泣いたとか、そういう作品ではないが、物悲しさとか、ある意味、温かさとか・・・ 2007年のイスラエルの作品らしい。
分類的には「コメディ」に入るらしいが、決して腹から笑えるようなものではなく、少しは滑稽だが、とても抑えられた表現だと思う。
ストーリーは、エジプトの警察音楽隊が、文化施設としてイスラエルに招待された。
ところがこの警察音楽隊、目的地をよく似た地名の場所と間違える。 到着はしたものの、向かうべき場所もわからず、その間違えた砂漠の中の街で迷子になるのだが、その町の食堂の女主人や常連客に救われ、一晩の宿を提供された。
私はあまりエジプトとイスラエルの関係を理解していない。 それがこの作品の鍵を握っているらしい・・・・・
2009年のアメリカの作品らしい・・・
最初にHuluの作品の説明に
世界中を涙で包んだ空前のベストセラー待望の映画化! 私の命はオーダーメイド。姉を救うために生まれた。でも今、私はその運命に逆らって、大好きな姉の命を奪おうとしている。ケイトに生きて欲しい―その想い は、家族みんな同じだと疑わなかった母・サラは、ある日、信じられない知らせを受ける。「もう姉のために手術を受けるのは嫌。自分の体は、自分で守りた い。」と、アナが両親を訴えたのだ。いったい何故、アナは大好きな姉を救うことをやめる決意をしたのか? そのアナの決断の裏には、驚くべき真実が隠されていた―。
なんてな意味深なことが書かれており、見たいものリストに挙げておいたが、なかなかそれを見る気にならなかった。
つまり、この説明からイメージしたのは、年頃の女性の話だと思っていたら、見始めてそうではなくローティーンの姉と妹という話であった。
一組の夫婦に生まれた赤ちゃんが白血病と診断された。
母親は弁護士だったが仕事を辞め、看護に専念した。
両親をはじめ身内にドナーの適合者がいない時に、医者から「試験管ベビー」の提案を受ける。
つまり「デザイナーベビー」というらしいが、受精卵の段階で姉と「適合性」を持った妹を創った。
妹は姉のために小さい時から多くの犠牲を強いられてきたが、ある日妹は敏腕弁護士を雇い、両親を訴えた。
つまり腎臓提供を母親から強要されたが、姉を救う気持ちはあっても、しかし自分の人生の負担も大きいとそれを拒否した。
それを訴えられた母親は、自分自身を弁護士として弁護し、妹の雇った敏腕弁護士と法廷で争う。
なぜ、敏腕弁護士は妹の弁護を引き受けたか?そしてそれに対する母親の言い分・・・・・
その対比が、この作品のテーマとなっている。
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205年に制作されたようだが、これはドキュメンタリー映画となっている。
アメリカには高校などで、授業とは別に「プログラム」と呼ばれる課外授業のようなものがあるらしく、それはいうなれば「非行防止」の意味合いが強いものもあるらしい。
以前に「レッスン」という作品を見たが、それは非行に走る生徒の多い地区の特に問題児を放課後に学校に居残りさせて、非行に走る時間を少なくする目的で、残された落ちこぼれの生徒に「社交ダンス」を教え、そしてコンテストに参加するという「目的」を与えることで、立ち直らせようとする物語なのだが、実は高校に限らず、ニューヨークの小学校の高学年を対象として「ダンス」を8週間かけて教え、6000人の子供たちが1つのトロフィーをかけてコンテストを行うらしく、その練習風景から決勝戦での特別賞を目指す彼らの姿を追ったドキュメンタリーとなっている。
最初にそのダンスの授業を始めた時は、全然サマになっていないのだが、それがどんどんうまくなり、決勝戦で特別賞を取った学校は、とても小学生とは思えないほどの「ノリ」のいいダンスを踊る。
なぜダンスをお教えるのか?
それは「レディース&ジェントルマン」としての「マナー」を教え、礼儀正しい行動を学ばせるのが目的らしい。
以前にも書いたのだが、私は若いころに「ライフワーク」として「舞踏」の写真を撮っていた。
とはいっても社交ダンスや日舞やバレェなどでは無く、どちらかというと始まりはアングラ舞踏なのだが、その後はインド舞踊・朝鮮舞踊・ バリダンス・フラメンコなどの「民族舞踊」が被写体となっていた。
別れた女房とも、バリダンスの教室の発表会の写真を撮った時に知り合った。
嫁さんは実はバリダンスよりもフラメンコを長くやっていて、何度か舞台を撮ったこともある。
私自身は音痴でもあり、踊ることもできないのだが、撮っていると被写体の踊り手がうまいかどうかぐらいはすぐに判る。
踊りは「間」だと思うのだが、動きには「溜め」というのか、必ず強弱があるし、たとえば腕を広げれば、いつか は必ずその手は反対に閉じる方向に動く。
素人が踊りの写真を撮ると、動きが止まらず、流れてしまう。
それを動きがあると思っている人がいるが、しかし本当はそうではなく、タイミングを合わせれば必ず一瞬「止まる」瞬間があ り、それをとらえるのがうまい写真といえる。
で、おかしな話だが、私はカメラのファインダー越しに舞踊を見ることはあっても、カメラを置いて「鑑賞」することができない性 格であった。
つまり「被写体」としてしか踊りを見れないのだが、たとえばテレビで踊りの中継などがあると、私はそれを鑑賞しているのでは なく、「カメラマンの目」としてその踊りを追いかけていて、私だったらこう撮ると思いながら見ていたりする。
だから、昔そんな勉強のためにハリウッドの黄金期のミュージカル映画を何本か見たりした。
さて、この「シャルウィダンス?」は邦画をテレビで10年ほど前に見た覚えがある。
ヒロインの踊りの先生を魅力的だと感じながら見たのだが、Huluの配信の中にハリウッド版の「Shall We Dance?」 があることを初めて知った。
邦画は1996年とすでに20年前になってしまったが、役所広司がずいぶんと若かったのにびっくりした。
いまの彼だったら、また違った味のある作品になったと思うのだが、今回最初にハリウッドのリメイク版を見たが、10年ほど前に邦画を見て、 電車の窓からダンス教室の窓に立つヒロインの姿・・・・
それと同じ場面がハリウッド版にあるのに驚いた。
で、Wikipediaを見ると、かなり邦画に忠実にリメイクされているという。
普通は日本が真似をするのだが、ハリウッドがそのまま真似るのは珍しいと思う。
ただ主人公の.リチャードギアがなんかおとなしすぎる感はあるし、最初にジェニファー・ロペスが演じているらしいが、ヒロインをあまり魅力 的とは思わなかったが、さすがに踊りのシーンとなると、鍛え上げた肉体が見ていて素晴らしいと思った。
で、音楽や踊りをテーマとした作品は当然「見せ場」が踊りであったり演奏会のシーンなのだが、その盛り上げ方はさすがに海外の ほうがうまい。
日本のものはどうしてもそこの部分が見劣りしてしまう。
先日も「カルテット!」という家族4人がピアノ・ビオラ・フルート・バイオリンのカルテットとして家族の絆を取り戻す作品な んだが、肝心の演奏シーンが貧弱で、4人とも役者自身がその楽器を実は弾けないというのが、すぐに判ってしまう。
少なくても海外のものは、少なからず弾ける役者を使っていると思われる。
そん言う意味で、元の邦画は物語の演出は優れているが、しかし舞台姿となると、明らかにハリウッド版に負けていると私は思う。
(資)文化財復元センター おおくま