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「ベルナのしっぽ」
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2005年の作品らしい。

盲導犬をテーマにした映画は以前にも見た覚えがある。

たぶん2~3年ほど前にテレビで見たように思う。
と、思いながら見ていたら、どうも同じような場面がいくつも出てきた。

もし、同じ物語のテレビ版が作られていなければ、同じ作品なのだろう・・・・

と、またWikipediaで調べたら、どうも元は作者自身の経験をもとにした小説だという。
しかも、先にテレビドラマが1998年に作られ、主演は大竹しのぶだというが、17年前ということになり、どうもそれを見ていたとは思えないから、やはり映画版を見たのだろう。

 

物語の始まりは「昭和56年の5月」という。
西暦に換算すると1981年となり、今から35年ほど前の話から始まる。

今だから「盲導犬」という存在は、ほとんどの人が知っているが、当時はまだ知られていなかったようで、電車につれて乗るのも駅員からとがめられたり、レストランや喫茶店に連れて入ることは、さらに断られた時代だという。


 

ところがこの主人公の女性は24歳まで目が見えていたらしく、普通の生活をしたいと望む、勝ち気な性格らしい・・・・

一方、亭主も目が見えないのだが、彼は4歳だったかな?で失明しており、鍼灸院を営むが、人との衝突を避けて生きてきたおとなしい性格だったという。

 

その勝ち気な主人公の女性は、どうしても犬を連れてお店に入りたいと、あきらめずに何度も試みるのだが認められずに、ある時、区役所のビルに入っている喫 茶店ならイヤとは言えないはず、つまり私は税金を納めている一般市民であり、その市民の利用を断れるはずがないと、しかし最初は断られたが、食品を扱うと ころでは動物同伴は、衛生上の問題で断る理由があると思い、盲導犬であるベルナをきれいに洗い、そして服を着せて、毛が落ちないようにしたうえで、再度区 役所の喫茶室を訪れた。

 

最初はまた断られるが、「私は税金を納めているから、ここを使う権利がある」と譲らず、コーヒーを飲んだ。
最初はウェイターも嫌がるが、いずれ文句を言わなくなる。

 

彼女は子供を作り、育てたいと願って、盲人二人の夫婦に子供ができ、やがて保育所に通わせるが、そこでも園長は最初は園内に犬を入れると、犬を怖がる園児や保護者が反対することを理由に、断るが、勝ち気な彼女はそれでは納得できず、再三園長を説得し、やっと子供を保育園に通わせることができた。


どんなことだって、始まりというものがあり、その先駆者は随分と苦労をする。

それは私の「画像による文化財復元」という特殊な仕事にも言え、この仕事を始めてからすでに15年が過ぎた。
最初にこれを始めた時、ネットで検索しても、赤外線や紫外線を使って、木簡の文字が読めたり、絵画の修復跡が判るという事例はあっても、それらを使い、当時の姿を「復元」したという例はなかった。

そんなん中、私は前例のない中で試行錯誤しながら、だれの真似もせずにここまでの技術を編み出した。
ところが、現在でもデジタルがここまで発達したにもかかわらず、他には同業者は日本はおろか、たぶん世界的にもまだ存在しない・・・・


つまり、デジタルは「道具」に過ぎず、問題なのはその作業者の「意識」ということになる。
私と同じ経験をしたものは、他にはいないのだろう・・・・
大事なものは、「作者の思い」であり、決して物質ではないということを理解していないと、本当に「復元すべきものが何か?」は理解できない。

話はこの映画に戻るが、ところがその子供は両親が「目が見えない」ことでいじめられ、母親に「ベルナと、目の見えないおかぁさんなんか、嫌いだ」と強く当たる。

すると、父親は

「お父さんもおかぁさんも目が見えない」
「でも、なんでも見えるんだ・・・」「りゅうたのこと、ちゃんと見てるんだ」


 

すると、子どもは

「そんなのウソだ、そんなのないよ」という。

 

そした父親は

「世の中には、目に見えないものだって、たくさんあるんだ・・・」
「目に見えるものだけが、本物だとは限らないよ」


 

さらに

「いいか隆太、目を閉じて、こころの目で見てごらん?}」
「いろんな目が見えるから」


 

子供は

「心の目??」
「何も見えないよ??」

父親は

「何かいい匂いがしないか?」

子供は

「ビーフシチュー・・・・」

父親は

「隆太の大好物だな!! 」
「だれが作っている??」

子供は

「おかぁさん・・・」

父親は

「どこで??」

子供は

「台所・・・・」

父親は

「そう、隆太も腹ペコだろう??」
「おかぁさんは隆太のこと、なんでもわかっているんだよ・・・」

すると子供は母親のもとに行き

「おかぁさん、ごめんなさい・・・」と謝ると

母親は

「それだけ??」

子供は

「ベルナも、ごめんなさい・・・」

つまり、この夫婦にとっては、ベルナも家族であり、ベルナがいるから子育てができることを、ちゃんと息子に伝えたかった。

 

その子も小学生となり入学式の日、教室で先生は後ろに立つ保護者の中に、盲導犬を連れた母親がいるので「隆太君、おかぁさんとベルナちゃんのこと紹介してください」というと

息子は

「僕のおかぁさんは目が見えません」
「だからベルナちゃんと一緒に歩きます」
「ベルナちゃんが、おかぁさんの目になってくれています」

そして

「おかぁさんは目が見えないけれど、なんでも見えています」
「おかぁさんは心の目で、僕を育ててくれました・・・」

母親は涙ぐみ、そして教室には拍手が沸き起こる。

 

この話の一番大事なところは、目の見えない夫婦だってベルナの存在のおかげで、ちゃんと子育てができるということなんだが、父親が息子に「世の中には、目に見えないものだって、たくさんあるんだ・・・」「目に見えるものだけが、本物だとは限らないよ」と教える。

 

そう、目が見えないから何も見えないのではなく、「目が見えないからこそ」真実が見える。

 

我々は「目に見えるもの」は信じるが、目に見えないものは信じない人が多い、
いゃ学者ほどその傾向が強いのだが、しかし最近は「物質は存在しない」「あるのは波動だけ・・・」ということが、科学的にも実証されている。


にもかかわらず・・・・

いまだに、それすら信じようとしない人が、世の中の大半を占める。

しかし、私はこの仕事に不思議な経験をいくつもしたうえで、導かれたし、またそれ以後も不思議な経験は後を絶たない。
つまり、「目に見えない不思議な力」の存在をイヤというほど体験しているので、その存在を否定できない。

「世の中には、目に見えないものだって、たくさんあるんだ・・・」「目に見えるものだけが、本物だとは限らないよ」という言葉の意味をちゃんと理解できている。

この物語では、息子も成長し、ベルナも歳を取り、やがて家族に看取られて往生する。

そして、父親も亡くなり、母と息子は力を合わせ、父親の鍼灸院の後を継ぐ。

 

(資)文化財復元センター  おおくま

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