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「フィンドホーンの花」アイリーン・キャディ 著
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001
先日、フィンドホーン創始者の一人である彼女が「内なる神」から得た「神は私にこう語った」と言う本を紹介した。
 
 
 
そこに書かれているのは、まさにニューエイジと言われる人々の書に書かれていることなのだが、しかし私はその神からのメッセージを彼女は最初にどういう形で受け取ったか?
 
つまり、私も「内なる神」からいろいろと教えられていて、そのほとんどは巷の人々の価値観と大きく違う。
しかし、私はそれを「ことば」として聞いた覚えは一度見なく、気が付けばその答えは自分の内にあった。
 
 
そして、私自身、霊感がなく、神が私に伝えたいことがあると、何度も「伝言の伝令」として幾人かの霊能者とチャンネルを繋がれた。
 
特に「不思議な話・その1」に出てくるチャネラーからの伝言は、とても信じ難いものもあったが、しかしその指示に従うと確かに奇蹟的なことが起きている。
 
 
 
ただ、そのチャネラーは、わたしの魂の前世として、幾人かの有名な人や神の名を上げた・・・
その名前があまりにも偉大だったがために、とてもそれを真に受けられなかった。
 
しかし、今となってここまでハードルの高い試練を経験すると、まんざらありえない話ではないと思えるようになった。
 
 
 
さて、話をこの著者に戻すと、彼女は最初からいきなり「」を聴いたと言う。
 
それが誰なのかはその時は解らないが、いずれ「内なる神」とその声は自ら名乗り、自分の指示に従うように何度も促した。
 
結局彼女はその後の人生を、「自分の意志」ではなく「神の意志」によって180度変えられてしまう。
 
 

 
5人の子供と最初の主人のもとを去り、別のまた結婚している男と暮らすことになるのだが・・・・
 
私はなぜこの本を読みたいと思ったか?
大事なことはそこなのだが、私自身、最近は「易経」を使って「」とのやり取りを経験するようになった。
 
しかしそのやり取りは、この著者のように「」として、ちゃんとした「文章」として受け取れるわけではなく、易経の64卦とそれぞれ6つの爻(こう)に書かれている「ことば」としてしか、応えは返らない。
 
 
 
確かに的を得た答えが返ることや、また何度易占してもその答えにつじつまが合ってはいるが、しかしすべてが当たっているわけでもないし、またこちらの問いに対して「比喩」や「抽象的」な答えしか返らないこともある。
 
するとどうしても信じ切れないときも多々出てくる。
 
 
それに比べて、彼女はどうしたのか?
そこに私はとても興味が有った。
 
また、私は自分が納得できれば、積極的に神だろうが、仏だろうが従うが、自分に納得できる説明がないと、梃子でも動かない性分である。
だからこそ、自分が納得できる「説明」が欲しかったが、易経の言葉にはそこまで期待できない。
 
 
それが、この本を読んでいて「神が何を求めているか?」ということが、少し理解できた。
 
それはとてもプラスになったし、先日も書いたが易占でよく神と喧嘩をする。
それは上から抑えられるのが嫌いだし、納得させてほしいと問いただしても、易占の応えはそれに対して「批判」するだけでしかない。
 
確かに神は我々人間の五感で感じられない者であり、また我々の思考をはるかに超えた存在であると言うが・・・・
それでも私は「納得」できる理由が欲しかった・
 
 
それは確かに彼女も同じように、何度も神に不信感を抱いて反発し、また神から優しく諭されて従うこととなる。
 
そのいきさつを個人的な話なのに、包み隠さずこの本には記されている。
それを読み、私も神が何を認めているかは理解できるようになった。
 
 
 
ただ、それでも彼女の過酷な運命を見せられると・・・・・
 
そこまで私は耐えられるだろうか??
正直、ある程度は耐える自信はあるが、もし彼女ほどの試練を与えられたら・・・・・
 
たぶん、従えないだろうと思う。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

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