この本、ネットで「無心とは」と検索した時に、どうしても辞書に書かれている程度「心のないこと」という程度の、判ったようで解らない答はあるが、もっと深く知ろうとすると、一つのサイトにたどり着いた。
そこに鈴木大拙が「無心ということ」という本を出していると有った。
さっそくAmazonで検索すると出てきたので注文をしたのだが、いざ届いて読み始めると、どうもある宗派の人々に対する「講演」を本にしたものらしい。
しかしたった「無心」と言う一言をテーマに数回に及ぶ講演をしているらしく、もともと元本が1950年に出されたと言う。
随分昔の話で、私が生まれる前となる。
どうも速記で記されたものを元に一部付け加えられて、本になったと言う。
文体は口語体なのだが、新しく読み仮名を振ったとか、現代の仮名遣いに変えたとか書かれているが、しかしそれでも私には読めない漢字が随分あり、雰囲気で読み進めた訳だが、例えば「易と人生哲学」安岡正篤・著などは12回の講演を1冊にまとめられているが、読み終えるのにまる一日あれば読み終える。
ところがこの本、文字も小さいが、内容が「無心」と言う、まさに形のないものを、言葉で説明しようとしているので、ずいぶんと回りくどいたとえ話が多く、なかなか読み進められないし、読んでいるとすぐに眠気が襲ってくる。
結局3日間ほどかかり、読み終えたのだが、正直言って、理解できたとはとても言えない。
数日前に、個人から復元の依頼を受けた。
病院のカルテに、消された部分があり、それを何とか読みたいと・・・・
テレビドラマなどでは、医療ミスを隠ぺいするために、カルテの改ざんをすると言う話が有る。
なにか依頼人にとっては、そのカルテに記されて、そして消された部分に対し、どうしても知りたい気持ちがおありの様。
電話で問い合わせがあり、実はそのカルテとは、現物ではなく「コピー」だと言う。
一般の方には理解できないと思うが、わが社の復元技術は本来「実物に残る痕跡」を「視覚化」することで、当時の姿を「画像として復元」するものである。
それは可視域では見えなくなっていても、「可視域外」には残された「情報」がある可能性がある。
ところが、それを「コピーしたもの」となると、その可視域外の情報がコピーされている可能性はとても低い。
この本は『「孔子・人間、どこまで大きくなれるか?」渋沢栄一・著』を注文した後に、追加で注文した。
前書が論語の言葉を引用しながら、自分の経験を踏まえ、人生訓を語ったものであるが、こちらは逆に自分の人生の中で得た教訓を中心に、孔子らの教えも踏まえて書かれているように思う。
この著は明治四十五年に書かれたものらしいが、まったく時代遅れで古臭いと感じることなく、現在でも通用する話が多い。
先日も話したが、マッカーサーの政策で日本人がふがいなくなったと言われるが、渋沢にとってはすでにこの時代に青年たちのふがいなさを嘆いている。
渋沢栄一は産業界で多くの実績を残した人であるが、しかし当人は「富」に対しては「淡泊」な人らしく、自分の富のために産業界に身を投じたのではなく、「公共」の発展のためにも官界から民間に下った、実に立派な人の様である。
先日同じ孔子や中国古典の本を書きながら、他人の悪口を著書に載せたり、手前味噌の自慢話を平気でしたり、自分の富の一部を社会貢献に使っていると、自画自賛する某氏と違い、先ずそれ以前に自分に回るべき「富」を受け取らない心意気が、まさに「君子」と呼ぶにふさわしい人だと思う。
この本はAmazonで「無心」を検索した時に、同じ著者の別の本が目に入り、それ後にこの本も注文した。
著者は随分と本を出している。
しかもYouTubeで検索したら、1つの出版社のインタビューが有った。
映像を見ると、何となく、無愛想で口下手な印象なのだが、脱サラして最初に出版の仕事を始め、他の人の本をシリーズで出していたら、自分でも書くようになったらしい・・・
脱サラ後は結構出した本がヒットして、現在に至るらしい・・・
で、もう1冊の本もそうだが、俗にいう「自己啓発」の書だと言える。
似たような内容で、少しなかみを変えて何冊も出されているようだが、内容的には「引き寄せの法則」の日本版と言う感じで、確かにこの手の本を初めて読む人にとっては、大変役立つものだと思うが・・・・
この手の本というか「引き寄せの法則」は、潜在意識に働きかけて、自己実現をしようというモノだが、私も2年前からこの手の本をずいぶんと読んだ。
ただ読むだけではなく、実際に何度も試したのだが、現実はそんなに甘いものではなかった。
この本も「易占」の資料として購入した。
どうもこの本は1962年のベストセラーの再販らしい・・・
先日の「銭流・易経」銭 天牛・著もずいぶん前の本らしいが、それでも1986年だからに、さらに25年ほど前の本だということになる。
で、易占の資料としては『「易経」中国思想Ⅶ 丸山松幸・訳』を最初に使っていたが、どうも神とのやり取りで、ピンとこないものもあり、そこで『「易経読本・入門と実践」河村真光・著』を加えたら、さすがに易者の本だけあって、かなり的確な応えが返るようになった。
そこでさらに先ほどの『銭流・易経」銭 天牛・著』も加えたら、また役に立った。
だとすれば、易者が書いたものの方がぴったりくると思い、この本も買ったのだが・・・・
この著者はどうも「卦辞(かじ)」だけで「爻辞(こうじ)」を使わないと言われていたが、それでもその卦辞(かじ)の部分を加えようと思っていたが、実際に読んでみると、素人相手にそれぞれの卦については解りやすく書かれているが、しかしそれだけで果たしてこの本が「よく当たる」と言われる理由が解らない・・・・
つまり、判断基準と言うほどのものがほとんどないのに・・・
そんな感じで、結局この本もお蔵入りとなった・・・
(資)文化財復元センター おおくま