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『ユング心理学(Ⅰ)「無意識への扉をひらく」」林道義・著
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001
最近、無意識・潜在意識について調べている。
 
いくつか取り寄せたのだが、しかしこの手の本は特に専門分野が細かく分かれているようで、先日の本など「錯誤」の研究者らしく、私の求める知識は得られなかった。
 
 
そこで、「ユング心理学」なら、まだ「集合的無意識」や「シンクロニシティ」について記されていると思い、レビューの評判の高い、このシリーズをまとめて3冊取り寄せた。
 
まず(Ⅰ)から(Ⅲ)までの目次をみると、直接的にその項目は見つからないが、とりあえず「中学生にも分かる」様に書いたと著者が言っているので、読み始めた。
 
余談だが、「中学生でもわかる」と書かれていて思い出したのだが、私は子供の頃から友達と野球などで遊ぶより、独りで物思いにふけることが好きだった。
 
そして中学生の時には、生意気にも哲学書を読んでいた記憶がよみがえった。
無知の知」とか「われ思う、ゆえにわれ在り」などの言葉を理解しようとしていたし、サルトルの「嘔吐」なども読んだのだが・・・・
さすがに嘔吐は理解できなかった。
 
そんな性分だから、他人から指示されるのを極端に嫌うし、物事を理屈で考えて、おかしいことには、梃子でも動かない性格である。
 
しかし、それは逆にいうと、物事から学ぶ、いわゆる「学習機能」や、「努力」は惜しまない性格なのだが、しかしそれは自分では「人並み」だと思っていて、他人を見ていて「なんでもっと努力しないのだろう?」「やれば出来るのに・・・」といつも思っていたのだが、歳を取ってやっと自覚したのだが、私を基準に他人を見れば、「努力が足らん・・・」と言えるが、どうも私自身が「世の中の平均」から外れているらしい・・・
 
人一倍」という言葉があるが、私の馬力はそんなものじゃないらしく、少なくても「人の数倍」の努力と学習機能らしい。イャホンマ!!
 
 
 
さて、著者が言うように、確かに私でもわかりやすく、途中で投げ出さず、まず最初の1冊を読み終えた。
 
 
どうも著者は留学し、ドイツ語で、ユング心理学を学んだらしく、日本の専門書は随分といい加減で、間違ったことが書いてあるから、その知識を捨てて、一から読むようにと書いている。
 
結構、他のユング心理学の専門家についても、名前を上げて批判していたりする。
 

 
最初に「心とは何か?」という話から始まる。
結構こういう話は興味がある。
心とはイメージであるとか、イメージは昆虫でも持っているとか、人のイメージはぼやけているとか、結構初心者が興味を持つ話から入る。
 
で、面白いことに「魂」とか「」とかいう話も出てくる。
 
そして、肝心な「無意識」について、ある元大学教授は「無意識を意識した時にはそれは無意識ではない」と屁理屈を言うが、それは間違っていると、いかにも哲学者らしく、理屈を捏ねている。
 
 
また「自我」と「コンプレックス」の違いに触れていて、自我は「顕在意識」だが、コンプレックスは「無意識」であると言う。
 
で、「集合的無意識」について少し触れているのだが、人類には共通する「元型」がある。
その部分がどうも繋がっているような感じがする。
 
 
また「シンボル」という話も少し出てくるのだが、夢判断の元になるらしい・・・
 
ただ、著者曰く、ほとんどのユング心理学専門家の、そのシンボルに対する解釈は間違っているとはっきり批判している。
 
つまり、そのシンボル単体での意味の解釈ではなく、夢の内容と本人との関係から、それは解釈すべてだと言う。
 
この考え方は、先日の「シンクロニシティ」にも、同じように、私的な出来事として、別々の意味を持つと書かれている。
共通するらしい・・・
 
 
さて、そのシンボルなのだが、夢の中に何が出てくるか?ということで、その夢の解釈をするらしいが、そうすると私はここ1年ほどの間に、心に残る「覚醒夢」を3つ見ている。
 
 
① 最初のものは、古神道の体験会から帰った晩に、どうもどこかのお寺か何かだと思うのだが、廊下を曲がって、少し階段を上がって奥の部屋へと進むのだが、襖をあけると布団が敷いてある。
近づいて、誰が寝ているのかと思うと、そこには「もう一人の私」が寝ていた。
 
覚醒夢の特徴として、夢を見ている自分が夢の中で登場し、その自分の目線で物語が進む。
そして、自分が予想した方向に話が展開するのだが、確かにその部屋に入って、ひょっとすると寝ている奴は・・・・と思った通り「自分自身」だったのだが、私は寝ている自分は偽物だと自覚しているらしく、その偽物の自分をたたき起こし、顔を叩いた。
 
すると、傷みがあった。
その痛みは、打たれた自分ではなく、打った自分の手の痛みであった
 
そこで目が覚めたのだが、ここで今考えてみると、常に自分の意識は、見ている自分のままで、寝ていた自分の意識と同調していなかったと思う。
 
たぶん、そこが何かの深層心理の意味するものだと思う・・・
 
 
 次は、夢の中でも、どうも川か何か流れのある水に浸かっていて、どういうわけか、自分の下半身から黒いウンコの塊のようなものが溢れてきた。
しかも、黒いパンツをはいた中から・・・・
しかし、匂いもなければ、汚いと言う意識もなかった。
 
これは夢判断で言うと「大金」が舞い込むということらしいが、その気配は無かった。
 
ただその時思ったのだが、その黒いウンコのようなものは、多分自分の中にたまった「毒素」のようなものではないかと思うのだが・・・
 
つまり、自分の中身が変わった
 
 そして最後は、気が付くと室内に黄金虫やカブトムシなどがとても多く入っていた。
気持ちが悪くなり、外に追い出そうとするが、難しく、逆に自分自身が室外に出ようとした。
その時ドアを閉めるのに、カブトムシなどが挟まって閉められない。
 
かと言って、その虫をつぶした記憶もない・・・・
 
これも夢判断では、富を得るとなるのだが、その気配もなかった。
ただ、この手の夢は「」だけではなく「情報」や「知恵」なども得ると言う解釈もあるらしい・・・
 
 
そんな感じだが、その3つに共通するのは、まず自分自身の価値観が変わるということではないかと、自分では思うのだが??
 
いずれにしろ、(Ⅰ)を読み終え、次へと進むのだが、そのうち、この解釈が解るかもしれない。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
 

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