今朝、夜中に目が覚めトイレに行った。
そのまま眼が冴えたのでYouTubeで映画を見た。
「米百俵」と言う、意味ありげの題名であり、ちょっと気になり説明を読んだ・・・・
戊辰戦争後、貧窮した長岡藩の大参事であった小林虎三郎は、見かねた三根山藩からの米百俵を、藩士で分けてもわずかであるが、それを元手に学校を作ると言うのだが、しかしその日の糧に事欠く藩士たちは黙ってそれを許さない。
彼の元に押し寄せ、直談判となるが、命の危険を顧みず、虎三郎は長時間をかけて彼らを説き伏せた。
その話し合いの場に着く前に、彼を自分の屋敷で世話していた商人は、彼に「天命ですね」と言ったが、まさに彼は大勢の刀を手にした藩士たちと、独りで渡り合い、彼らを説き伏せた。
これも「信念」だと思う。
自分の信じる道を進むには、多くの障害があるが、それを恐れることなく突き進めば、必ず天は見方をする。
そんな姿を見せられ、私もずいぶんと助けになった。
これも守護霊からの閃きだろうと信じる。
朝方になったが、中途半端なので、もう一本と思って探していたら「凛として愛」にたどり着いた。
今日は私は映画三昧である。
夜、今度は道元の映画を探し当てた。
私は仏教にはあまり興味がない。
と、言っても、高橋信次の「人間・釈迦」のシリーズは全巻何度も読んではいて、釈迦そのものには興味があるのだが、その後に続く仏教、特に大乗仏教には知識もなければ興味もさほどない。
ましては「禅」に対する知識は皆無に近く、禅がまさか釈迦の教えに一番近いものだとは、この道元の映画を見て初めて気が付いた。
最近神道から他のいろんな宗教に、私の霊は導いてくれているようで、先日も真言密教・空海と久しぶりに繋がったようであるが、まさか禅にまで繋がるとは思ってもみなかったが、全ては一つに繋がっているのだと言われているのが、よくわかる。
(資)文化財復元センター おおくま
私は数か月前から「直感」と言う言葉を頻繁に使う。
それは、長い間試練にさらされていると、今まで感じられていた「守護霊」というか、それとも「神」なのかはわからないが、とにかく守られていると感じてきた。
それは仕事関係で、暇になると次の仕事が入っていたのが、それが長い間止まった・・・・
その原因をいろいろと試行錯誤で探るのだが、どうしても解決できないときに、ある人から「判らなかったら守護霊に聞いたら?」と言われた。
そんな事、とっくにしていると心の中では思ったが、しかし本当に守護霊に面と向かって聞いていたか?と、自分に問いかけると自信がない。
そこで、その時はっきり守護霊にいろいろと聞いてみた。
そうすると「閃き」となって、いくつかの本に意識が行った。
で、思ったのだが、守護霊や神は、「人」の意識を簡単にコントロールできることを私は実感しており、私に霊感がないからいつも私に伝えたいことがあると、霊能者を使いによこす。
そしてその「口」から私に伝えられる・・・・
だから今回の「守護霊に聞いてみたら?」と言うのも、多分守護霊自らがその人に言わせたように思う。
それから面白いように、守護霊に尋ねると、「閃き=直感」として私に返ることが増えた。
もちろん、こちらの「願い」がそのまま受け入れられることは無く、私の「霊的成長」に必要なものに導かれるらしい・・・