「無意識の構造」河合隼雄・著
今回、「引き寄せの法則」に再挑戦しようと思うが、そのためには「潜在意識」と言うものを理解しないと、ただ引き寄せ本を盲信して、わけもわからずイメージを描いても、果たしてそれが潜在意識の持つ性質とマッチしていなければ、願望は実現しないと思う。
実際に以前に挑戦した時は、数か月間イメージを抱き続けたが、実現には至らなかった。
俗にいう「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずや」で、敵とは潜在意識であり、己とは自我ということになる。
いゃ、逆だろうか・・・・・
さて、今回潜在意識にすり込むための催眠術の本を3冊、潜在意識。無意識等の本を現時点で9冊買いこんだ。
その中で意識に関する最初に届いた本がこれであるが、どうもこの著者はユング心理学と言う分野で「夢分析」の専門者の様で、ページの9割近くがその話で埋められていた。
しかしその話は、何となく理解はできるが、はじめてこの手の心理学の本を読んだものとしては、問題提議をされたものの、漠然としていて、答えが出ない・・・・
ただ、読んでいて気が付いたのだが、「無意識」と「潜在意識」とは違うのだろうか?
私は同じものと解釈していたのだが、しかし何故かこの題名は「無意識の構造」とある。
ネットで検索すると、同じと言う人も多いが、中には引き寄せの盲信者なのか?
顕在意識・無意識・潜在意識と言っている人もいた。
で、何分初めてこの手の本を読むものだから、すぐに眠くなる。
何度も居眠りをして、頭を冷めさせて読んだのだが、残り1割くらいの部分になり、やっと私の興味のある話になってきた。
「自己実現」という話の中で、「自己」と「自我」と言う言葉が出てくる。
どう違うのか?
実は「自我」は顕在意識にあり、「自己」は潜在意識の中に在ると言う。
物質文明の進んだ西洋人の考え方は、「自我」を中心に考えるが、自然観や精神論に重きを置く東洋人は「自己」を中心に考えるとか・・・
またやっとこのあたりに入って「共時性」と言う話が出てくる。
私もそうだが、我々は原因があって結果が生まれると考える。
ところが、共時性とはその因果関係が無くても、物事が起きる・・・・
ここで例として挙げられているのは、あるまじめな男が給料日の翌日、友達に誘われ、競馬場へ行く。
すると、もらいたての給料袋を落し、落胆していると、友達が金を貸してくれてそれで買った馬券が大当たりする・・・
それがきっかけとなり、そのまじめな男は博打にのめりこむ・・・
と言う話があるのだが、何かの偶然がいくつも重なり、一定の方向へ物事が進むが、しかしそれは本人の問題だけでは済まされない。
なにかしらの「アレンジメント」が存在するはず。
少し話は変わるが、私はこの手の共時性と言うか、シンクロニシティを嫌と言うほど体験している。
しかし、ほとんどの他人は信じない。
ひどいのは「古神道」の体験会に参加した時でさえ、指導者にはそれを理解する能力がないし、助手でさえ「すべての事は自分が引き寄せている」と、それこそ引き寄せの法則よろしく、言い切るのだが・・・・
しかし、これこそ私一人に原因があるわけではなく、何らかの他の要因によって、私の周りに起きていることなのだが、生憎、それを理解できる人は皆無に近い。
そのアレンジメントをだれ??が行っているのか?
それが私の一番知りたいところである。
そんなわけで、最初に読んだこの本では、漠然として、自分の意識でコントロールできない世界の入り口が見えた程度である。
(資)文化財復元センター おおくま