そして何やら、不動明王の顔の真似をして、その霊の言い分を言わせるのだが・・・
紹介もあり、鑑定そのものは無料だったのだが、その憑いている霊を除霊するには自分でやる方法を教えると言う。
どうやらそこはそういう連中が通ってきて、自分で除霊をしている場所らしい・・・
これ以上詳しい話はしないが、検索すれば出てくるところであるが、ほとんどは関係者の書き込みなのだが、よくよく調べて行けば、2チャンネルの書き込みが出てくる。
そこを見れば、ここの正体がわかるのだが、鑑定所を持っていても、こういう輩もいるので、まず頭から信じることをせず、ある程度疑ってみることも大切だと思う
さて、悩める人があまりにも多いのだが、私は2年前から神さまなのか、仏様なのか?
はたまた、宗教の枠を超えた存在なのか?正体は判らない「目に見えない不思議な力」から試練を受けている。
その試練は、一度解けたと思ったら、まだ続いているらしい・・・
その間、私はその正体を知りたいと思い、すでに150冊を超える精神世界の本を読んできた。
元々私は自問自答するもので、気が付くとその答えが自分の中に在ったので、独自の価値観を持っているのだが、周りに惑わされることはほとんどなく、本も技術書以外は読まなかった。
つまり、知識より知恵が大事だと思っていたのだが、この2年間で過去数十年分の本を読んだことになる。
その結果判ったことは、やはり宗教の枠を超えた存在、「神」は存在する。
ただ、それを「神」と呼ぼうが、「サムシンググレート」と呼ぼうが、なんと呼ぼうが「宇宙の創造主」が居て、宇宙は偶然にできたものではなく、最新の科学でも霊や魂の存在を認めているし、「意識が先にあり、それを表現するために宇宙を創った」とまで言う科学者が現れ、「目に見えない世界」を科学者ですら認め始めているらしい・・・
で、よく「波動」と言う言葉が出てくるが、もちろんこれも目に見えない・・・
だけど、私はいろんな本を読み、そこから多くを学んでいくと、少しずつ自分の「意識」が高くなっていくことに気が付いた。
つまり、「波動」とは「意識」と言う言葉に置き換えられるのでは?と気が付いたのだが、意識を上げていく過程でどうしても通らなければならないのは「心の安らぎ」ということになる。
これは釈迦の悟りやイエスの無償の愛などにも共通するようで、我々が五感から得られる情報が元で、いろんな迷いが生じるし、憎しみや恐れが生じる。
しかし、それらは実は幻であり、存在しないと言う。
その事に気が付き、それに惑わされなくなることが「心の安らぎ」なのだが、わたしは元々慢性胃潰瘍であったが、それが消えた・・・・
で、結論として言えることは「恐れ」と言うものは、我々が自分の意識で作りだしたものであり、実際には存在しないらしい。
「奇跡のコース」には、あるのは愛だけと書かれているらしい。
迷いがあるから、それを霊能者に見てもらい、間違いのない人生を送りたいと我々は望むのだが、どうもそれが間違いその物らしい。
少し話はずれるが、我々の時代は科学が発達し、便利になったと思うだろうが、しかし今の我々の文明よりもはるか以前、1万年以上前にははるかに我々の文明を超えた文明が存在し、巨石群と言う遺跡を残していると言う。
それらは元々他の星の生命体が地球に移住してきたと言う話であり、我々の文明でさえ、今「遺伝子操作」をしているくらいだから、その異星人がもともと地球のサルを元に遺伝子操作をして「人類」を作ったと言う説もある。
じゃ、そんな進んだ文明を持つ異星人は一体だれが作ったのか?と疑問が湧くのだが・・・・
当然、偶然にできた訳じゃなく、「創られた」わけであり、それが宇宙の創造主と考えるのが自然ではないかと私は考える。
それこそが「神」だとしたら、我々人類は非常に下等な生物であり、しかも我々の脳は3%の顕在意識と、それ以外の潜在意識と言われ、その潜在意識の中に「魂」「内なる神」「集合的無意識」が存在し、それらを我々は自由に使いこなせない・・・
そんな人間が作り出した科学なんて、神から見れば、取るに足らない技術ということになる。
そして、我々の人生を我々自身がコントロールできると思うことこそ、どうも神に対する冒涜ということになるらしい・・・
そんなちっぼれな人生を悩んでみても仕方がないと思わないか?
それに付け込む輩を儲けさせるだけだが、本当に高い霊力を持ったものは、決して営利目的でその能力を使えないものらしい。
で、はっきり言えることは、「信じる」事の大切さに気が付くべきだと思う。
かく言う私も無信心だったが、それが元で試練を与えられた。
しかし、信じるとは決して「人」ではなく、「神」であるべきで、人を信じればいずれ裏切られたり、失望したりする。
そして「宗教」の神も実は人間が都合よく創り上げたものだということ。
つまり人なのである。
それよりは、宇宙の創造主そのものを信じることだと思う。
多くの本を読んで、ある共通することは「委ねる」ということらしい・・・
自分で自分の人生をコントロールすることをあきらめて、全てを「神に委ねる」ことで、神は本来の神としての役割を果たしてくれると言う。
そのためには「信頼関係」つまり「信じ切る」ことが一番大切らしい。
ただ・・・
じゃ神に委ねると、我々は豊かに何不自由なく暮らせるように、取り計らってくれることを我々の「顕在意識」は望むのだが・・・
しかし、全知全能の神かに見ると、どうもそれがベストじゃないらしい・・・
そこが安心して「委ねる」ことができない不安なのだが、しかし不安を捨てなければ、神は動かない・・・
さぁ、あなたならどうする??
(資)文化財復元センター おおくま