笑ってしまった・・・
最近までずっと、神や意識についての本をずいぶんと読んできたが、手持ちが尽きて、もっぱらYouTubeで学んでいるのだが、今朝はおすすめものの、チャンバラらしきものを見た。
なにやら始まりは竹やぶで剣術のけいこに励む主人公が出てくるのだが、ナレーションは、その主人公の300年後の自分らしい・・・
つまり、自分の300年前の「いぬかいせいしろう」と二人の浪人の話らしい・・・・
300年前の主人公はある家老の息子らしいが、その藩には幕府から頂いた大切な宝刀があるのだが、腕が立つ浪人を召し抱えたところ、その浪人は、藩士を切り、宝刀を盗み逃げ去った・・・
それを主人公と幼馴染の3人で追うのだが、一人は切り殺され、一人は藩に報告に帰り、傷を負った主人公は助けてもらった浪人の家で養生する・・・
面白いのは、その宝刀を盗んだ大男の浪人を布袋寅泰が演じている。
私は役者の名を知らぬが、主人公はよく時代劇で見かける、ちょっと気弱そうな役がよく似合う、エラのはった役者が演じる。
布袋の役は恐ろしく強い浪人で、対する主人公を助けた浪人を風間杜夫が演じているが、この浪人は剣術の指南役をしていた、腕の立つ男となっている。
ただ、この男、切った男の娘を育て、腕はたつがその後は一切人を切らない主義らしい・・・
どうもこの時代劇、正統派と言うより、若干コメディタッチのところや、アングラ舞踏の役者を使っていたり、ちょっと異質なところがある。
約1時間ものの2つで一つの物語であった。
血気にはやる主人公は何とか布袋演じる浪人を切り、宝刀を取り返そうとするのだが、とてもその腕では勝てるはずがないとみた、風間演じる浪人は、何度も止めるのだが、布袋の演じる浪人は、風間の演じる浪人が腕が立つことをわかり、娘をさらい、無理やり風間演じる「人を切らない」主義の浪人と対決する。
最後は、剣を振り払われた布袋演じる浪人は、崖の上から落ち、命を失う。
宝刀は無事発見され、藩に戻るのだが・・・
この時代劇、役者も現代劇の役者が多いが、ところどころ時代にマッチしない音楽が使われたり、現代風なところもある。
かと言って、軽いだけの映画かと言うと、さに非ず・・・
私が笑ったと言うのは、後半の2本目の動画の終わり付近で、
風間演じる浪人の、育てる娘とのいきさつを語る場面で、その浪人は、自分が切り殺した男の幼い娘を引き取るために、脱藩をしたのだが、人を切った重さに打ちのめされ、その娘を育てることで自分がおかしてしまった罪に、一生向かい合って行こうと心に決めた。
そして、その娘を育てる中で一つの真実が見えてきたと言う。
「天から授かった命を全うすることが、人の道だということ」
若いころの私は傲慢だった。
剣の腕を誇り、天下に怖いものなしと自惚れていた。
私も間違えば、布袋演じる浪人と同じになっていたかもしれない・・・
人はみな善と悪の心を持っている。
悪の顔を持った人間の中にも、善の血が流れている。
布袋演じる浪人でも、変わることがあるかもしれない。
その命を絶つのは、神仏にのみ許されることなのだ・・・
そんな話を主人公に話して諭す。
そして、主人公とその人を切らない浪人は、布袋演じる浪人と対決し、娘と宝刀を取り戻す。
それからだ!!
ナレーションは、布袋演じる浪人が風間演じる浪人に敗れたとき、怒りも恨みも無かったと言う。
ナレーションは、私は祈りを捧げたとき、この空の上から自分を見つめている、大きな存在を感じた・・・
エゴや執着を捨て去った時、神や仏を感じて、人をもっと愛することができる。
私は長い時間をかけて、やっとその事が解ったような気がする。
大切なのは命が尽きるまで、全力で生きるということだ。
こんなセリフをナレーションに入れるために、ナレーションは「300年後の現代の自分」という設定になっているようである。
当時の侍はこんなこと言わないもんなぁ・・・・
これを聴いて、またこの映画も私の守護霊の導きであることを知った。
考えすぎと思うだろうが、直感とは感じることであり、それを信じて疑わなければ、そこから魂を磨けるのだが、人はなかなかそんな閃きにも気づかない・・・
ましてはそれを信じるなんて・・・・
(資)文化財復元センター おおくま