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「空海入門」ひろさちや・著
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001
この本は、8年程前に独りで高野山に行った折り、お土産屋さんに並んでいた空海の本の中から、あまり高くないものを選んで買った覚えがある。
 
文庫本である。
 
帰ってから読んだのだが、なんというか・・・空海をまるでスーパーマンの様に描かれていたことを思い出す。
 
で、じつは昨夜、寝付かれないので適当な本を探すと、この本に目が留まった。
 
この著者はどうも、東大のインド哲学の大学院まででた人らしい・・・

 
ただ面白いのは、彼は在家と言うか、寺とは関係ない育ちの様だが、学生時代に周りを見渡すと、ほとんどが寺の出身者ばかりだったと言う。
 
彼はその事を、歩行者と車の運転手の違いに例える。
つまり自分は歩行者であり、運転手である寺の跡取りとか、僧籍を持ったものから見ると、歩行者の某弱無人の動きが危険だと思うが、歩行者側からすると、運転所の危険運転が気になる・・・
 
そんな相いれないものを感じていたらしい・・・
 
で、彼曰く、インド哲学を学んで寺に帰り、後を取るものが多かったらしい・・・
そんな連中に対し、同じインド哲学をやっていても、アウトロー的な性格の持ち主の様である。
 
その著者はこの本を1984年に執筆されているようで、今読むと30年前の本だから、ずいぶんと時代の違いを感じる面もある。
 
ただ、ここに描かれている「空海」は、枠にはまらず、密教人であり、普通仏教では修行を積んで徐々に上がっていくものだが、空海はいきなり「仏陀」となり、そこから出発したとか、とにかく密教は理屈じゃなく、まず飛び込んで体験し、そこから形を作っていくとか・・・
 
随分と型破りな空海像となっているのだが、こんな文庫本1冊で、空海のすべてがわかるわけでもないし、確かに「入門」としてのとっかかりとしては、面白く描かれていると思った。
 
 
で、今回読んでいて、フト気が付いたのだが・・・
 
空海の真言密教って「宇宙」なんだよなぁ・・・・そこに「大日如来」としての太陽の化身がある。
 
大日如来」は「盧舎那仏」でもあるらしく、東大寺の大仏でもある。
 
ただ、盧舎那仏は宇宙の神だから、「宇宙語」を喋る。
そんなもの、人間に通じないから、通訳として「釈迦仏」を派遣したらしい・・・
 
 
 
このはなし?????何処かで聴いたような・・・・
 
 
そう、神とは「宇宙のこころ」であり、その教えを釈迦やキリストを通して人々に伝えた。
 
まさにそれではないか?
 
 
日本にもすでに千年以上前にそんな「教え」があったんやぁ・・・・
 
なぜ、昨夜この本に手が伸びたのか?
やっと解った!!
 
私が経験する不思議な出来事をだれが私に経験させているのか?
最初は「目に見えない不思議な力」と呼んでいたが、それが今年になって日本の「神」ではないかと言うところまでこぎつけた。
 
しかし、どうもそれでは終わらず、今度はエハン・デラヴィ氏と繋がり、スーフィーやジャイナ教が出てきて、その次はシスター鈴木秀子氏のカトリックに繋がり、それからこの本、つまり空海や真言密教に飛んできた。
 
それらはすべて「宇宙の創造主が神」であると言う共通点がある。
 
まさに私をこの仕事に導いたものは、宗教の枠を超えた真の神であるように思う。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
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