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「いのちの絆 大震災を生きる」鈴木秀子著
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003
この本は先日追加で買った鈴木秀子さんの5冊の著書の一つである。
 
これは2011年の3.11東日本大震災について書かれたものである。
 
また一緒に買った5冊の中には、阪神大震災について書かれたものもある。
 
なぜこれらの本を注文したか?
 
それはシスター鈴木秀子の「信仰心」に惹かれるものがあった。
 
そう、キリスト教と言う宗教ではなく、宗教心に惹かれた・・・
 
彼女の著書に対するAmazonのレビューに
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厳密に言えば,「宗教」と「信仰」は異なると私は考えています。「宗教」には教義があり,牧師や神父といった仲介者が存在し,布教活動を維持する組織が形成されます。一方,「信仰」はいずれの宗派を問わず,神と自分との1対1の関係において神を信じることだと解釈しています。その意味で,本書は「信仰」の本です。
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と、書かれたものがあり、さらにその本も追加したのだが、先日エハン・デラヴィ氏とグラハム・ハンコック氏の対談本人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、全ての期限は『異次元』にあった」と言う長いタイトルの本の中に

 
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宗教が始まるその中心では、いつも同じことが起きています。 
人々の心をつかむ教祖は、並外れた経験をして、それらの経験について説明した人間です。
しかし、第一世代、第二世代、第三世代と移り変わるうちに、官僚的になり、金もうけの集団になっていきます。
 
世代が下がるにつれて、彼らはこんなことを言い始めます。『あなた方には創設者の様な経験はできません。
異次元世界とは何か、あなたに教えられるのは私だけです』。
 
こうやって、彼らは私たちと霊の世界の間に立ちはだかって、人間を巣箱の中に押し付けます。
解放の道具として始まった宗教が、やがて制圧の道具となります。
 
可能性に向けて開放するのではなく、抑圧しょうとします。
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と、書かれた部分があり、私も文化財の復元をしていて、常々そう思えてしまう 。
 
それが現代の「宗教」の在り方であるが、シスター鈴木秀子はまさしく、教会や組織抜きで直接「」と言うものを信じている人であり、またそれを読者にも分かりやすく説明できる人だと思う。
 
で、「死にゆく者からの言葉」では、彼女が接した死を前にした人々の姿が描かれているのだが、肉親ではない読者の立場としては、その人の死は悲しみとは感じられないが、しかしそこから何か学ぶべきものがあり、また感動するものがあれば、やはり心は動く。
 
先日、それを読みながら何度も涙したのだが、それは悲惨な死ということでの悲しみの涙ではなく、感動の涙なのである。
言い換えると、人は心を動かされ、また涙することにより、心が洗われる。
その結果、気持ちが清くピュアになれる・・・・
 
そんな経験があり、この悲惨な災害にあった人々を、彼女はどう描くか??
 
読み終えて思うことは、、「死にゆく者からの言葉」ではそれぞれの人生と言う大きなドラマがそこにはあり、「死を前に」した人の気持ちの整理と言う、「時間の余裕」があった。
 
 
またそこに読者は感動を覚えるのだが、しかし震災と言う、本人の意思とは無関係の出来事で「」を迎えた人々の話となると、下手をすればお涙ちょうだい的なドキュメンタリーに陥るのだが、そこはシスターと言う立場であり、確かに被災して悲しみを抱えてはいるけど、それは必ず意味がある事であり、そこから何らかの「学び」を得られたと言う、あまり大きな話ではないが、それぞれの人々に対しては、温かみのある話が集められている。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

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