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「神は人を何処へ導くのか」 鈴木秀子 著 その2
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 001
 
まだ半分ほどしか読んでいないのだが、付箋をずいぶんつけたので、その部分について記す。
 
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臨死体験をしてお坊さんと会ったころは、大学の学園紛争も収束して、旧態然とした制度は刷新され、再び構内は落ち着きを取り戻していました。
そのような状況の中で、私は大学で教えながら、研究を続け、論文を書き、学会で発表し、と言う穏やかな日常生活を送っていました。
 
けれども一方で、臨死体験という思いがけない出来事に遭遇してから、私は何か、目に見える世界のみが現実ではないと言う気持ちを強く持つようになっていました。
 
目に見えない神というのは、この世の日常生活のあらゆる些細な出来事を通して働きかけている。
どうしてこんなひどいことが起こるのかと、嘆くような出来事にさえも、神の愛の配慮がある。
つらいことや厭なことが起こるのも、現実には多くの場合、自分の選択の結果、惹き起こしているのに、その中にも、私たちにもっともいい方向に生き方を向けるように促す神の愛がある。
 
このようなことをひしひしと実感するようになりました。
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何事もそうだが、物事は「自分の受け取り方」次第で、それを「」にもできれば「」にも変わる。
 
著者はそのあたりは、シスターと言う厳しい道を選び、自分を甘やかすことなく、「」という存在にフォーカスを合わせ続けた人だから、ここまでの事がわかる人だと思う。
 
逆にレビューで、クリスチャンにしか理解できない神の存在に逃げないでほしいと書いた人は、それを自分の糧にできなかった哀れな人だと思う。
 
 
 
どうもこの鈴木秀子さんは私より20歳ほど年上の人の様であるが、ご存命なのだろうか・・・・
 
ネットで検索すると「シスター鈴木秀子の祈り」と言うブログを見つけた。
 
ただ最近のものでも2年半ほど前に書かれたものなのだが・・・
 
 

 
彼女は中学1年の時に終戦を迎えたと言う。
すると学校の教科書は黒く塗りつぶされ、昨日まで正しいとされていたことが否定され、自分の中で「精神的な飢え」を感じ、シスターの道を選んだと言う。
 
 
そのきっかけは聖心女子大学に進学したのだが、その時の友人に曾野綾子さんが居て、曾野さんは戦時中から幼稚園からずっと聖心に通っていたらしく、戦時中に軍隊が突然学校に来て鬼畜米英、敵国を憎めと言って、日ごろの学校の教えと正反対のことを教えて帰ったが、その間シスターたちは黙ってそれを聞いていたのだが、軍隊が還った後にも、兵隊の悪口を言うことなく、「神さまの元で全人類は平等だけど、人間同士、皆不完全だから、戦いをすることもある。」「お互いに殺し合うような状況になっても、そのような人間を癒すためにキリストはこの世に生きて血を流したと信じています」と、シスターたちはみんなに語ったと言う。
 
それが本来の信仰心を持ったクリスチャンなのだと私も思う。
 
そんな姿に心を動かされ、著者はシスターの道に入った。
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この神秘のベールに包まれた世界で、私は八年間の修行を始めることになったのでした。
木造の簡素な建物の中は、静謐が支配しています。
荒削りの壁に囲まれた空間には、俗世間の装飾のすべてをはぎとり、必要不可欠なものしか存在しません。
 
視界に入ってくるものだけでも、今までの世界とあまりにも明確な区切りがあったので、戸惑いよりもむしろ身が引き締まり、「ここは私の居場所だ」と晴れ晴れとした気持ちになったことを覚えています。
 
ここに入った修道者は、絶対の「沈黙」が義務付けられます。
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少しずつ沈黙の範囲が広がり、サイレント・オブ・マインドと言う頭の沈黙、そしてサイレント・オブ・ハートと言う心の沈黙へと及んで行ったと言う。
 
それは我々は普段「常識」に左右されて、物事を判断するが、しかしそれは「神の目」から見ると、正しくないこともある。
 
だから、その常識を打破するための訓練だと言う。
 
私はこれができない・・・・
瞑想も苦手だが、何も考えまいとしても、いつの間にかいろんなことが頭の中を飛び交っている。
 
そして、肝心の「祈り」なのだが
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祈りと言うと、なにか願い事を神様に一方的にお願いすることと捉えがちです。
けれども、祈りは神様と対話しながら行われ、そして願い事をするだけでなく、神を賛美する祈り、神に感謝する祈り、許しを請う祈り、他の人のための祈りなどがあります。
 
例えば、太陽や自然、人間など、神さまがこの全宇宙に与えた素晴らしいものへの感謝をし、自分が犯した失敗、悪い傾向などについて謝り、反省します。
 
そして今度からこうしますと新たな決意を誓い、力を与えてくださいとお願いし、世の中の多くの人のための恵みを求めながら祈るのです。
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と、端的に記されていた。
 
(資)文化財復元センター  おおくま

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