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再度・「霊能一代  砂澤たまゑ」
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どうもこの本が一番気になるのだが、すでに4度ほど読んだ。

 
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文章は女性の語り口で書かれたものだから、非常に読みやすい。

 

ただ、何度も書くのだが、1年前にこれを紹介したサイトを、お気に入りに入れたにもかかわらず、実際にはそれ以上の興味は当時なかった。

 

それが再度、守護霊にいろいろと教えを乞うていたら、なぜかそのサイトに導かれた。

 

それで、その本を注文し、読み始めると、守護霊が私に伝えたかったと思われる個所に何度もぶつかった。

 

彼女は戸籍上は「大正十一年一月三日」生まれとなっているが、実際は一月一日に生まれたらしく、すべて一並びだという。

 

確かにこんな人はなにか強いものを持って生まれてくるが、それ以上に波瀾万丈の人生経験をしており、小さい時から信心深く、神様が時々彼女に話しかけたり、いろんなことを教えてくれたという。

 

ちょうど私が創った不思議な話の動画https://www.youtube.com/watch?v=SIkDsbmnys4 にも子供のころに神様が来て、いろんなところに連れて行ってくれたという女性の話が出てくるが、その彼女よりも砂澤さんは霊能力が強かったと見えて、ずっと神様が彼女から離れなかったという。

 

結局、自分のおもう道に進んでも、思うように成果が得られず、結局は神様から「お代」になる道以外は塞がれたような感じがする。

 

 

実は私も、もともと写真が趣味で、それを仕事として長年やってきたが、結局その仕事で食えなくなった。

 

私は砂澤さんほどおめでたくはないが、「昭和二十八年五月三日」という、「ハタ日」の生れである。

そう「建国記念日」なのだが、おかげでまがったことが大嫌いで、自分に嘘が言えない性分なのだが、先日この本の紹介の時に、子供のころの交通事故にあった話をした。

 

私は福岡の甘木の生まれなのだが、すでに50年以上前にそこを離れて、その後まったく行きたいとも思わなかったのに、2~3年まえから、その近くに縁ができて、何度か生まれた場所を探したがその時は見つからなかった。

当時初めて判ったのだが、私の生れた「甘木」は、邪馬台国の候補の一つとして挙げられているらしい・・・

 

しかし去年、地元の資料館の職員に近くまで送ってもらい、やっと生まれた場所を探し当てた。

 

その目印は子供のころによく遊んだ、「小さな神社」だった。

それがやっと見つかったのだが、それが「権現さん」と昔言われていたもので、確かに幼稚園に行くころまでそこの敷地で、塀に上ったりして遊んでいた記憶があった。

 
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それが、結局「お稲荷さん」というものだったことが解ったのだが、その時点ではそれ以上何も考えなかったのに、この砂澤さんの話は「お稲荷様」を神として仕えてきた話なので、それでその子供のころのお稲荷さんを思い出してしまった。

 

これもたぶん守護霊の導きなのだろうが、幼稚園のころに、このお稲荷さんの横の道を走って出て、バイクとぶつかった。

相手はお寺の息子さんの豆腐屋さんだったらしく、入院をしたり、唇を少し切るという後遺症は残ったものの、比較的軽症で済んでいる。

 

普通だったらそれ以上に何も考えないのだが、この本を読んで、ひょっとしたら子供のころの、その交通事故が軽症で済んだのは、そのお稲荷さんの「おかげ」だったのではないかと、フト気が付いた。

 

砂澤さんの話を聞いていたら、それくらいの事が起きても不思議でないことがわかる。

 

そんな感じで、そんな「加護」を子供のころから私は受けていたことに気が付いた。

 

 

 

で、話を元に戻すのだが、砂澤さんも戦後お菓子屋さんをやったが、赤字続きで儲からなかったらしい・・・

 

私も、写真の世界に入ったが、結局食えなくなって、この「復元」の仕事に導かれた。

 

ただ、砂澤さんの場合は、神様から「お代になれば、衣食住の面倒は見る」と言われて、厳しい修行をされたようだが、私の場合は、この仕事を始めた当初、ある神社の関係者から騙されたり、スタジオに泥棒が入り、撮影機材をごっそり盗まれたこともあり、とても苦労をした。

 

ただその後、自分一人でネットを使って得た仕事が、「宗像氏貞公」の掛け軸の復元だったし、その後真面目に関係ある神社にお参りに通うと、不思議と仕事に繋がった。

 

そのころから、不思議な出来事を多く経験し、何か「目に見えない不思議な力」の存在を意識しだした。

 

 

私の創った動画にも出てくるチャネラーからは、「前世」の行いが災いしているといわれたのだが、しかしその私の御魂の遍歴として挙がっていた名前は、とんでもない人々だったので、「半信半疑」でその話を受け止めていた。

 

その中に「ニニギ」という名前があり、私はどこの国の人かな??と、外人だと思ったくらい無知なのだが、とんでもない名前だった。

 

確かにその後、ニニギを祭った高千穂の「くるふし神社」と、鹿児島の「霧島神宮」に最初に参った時に、不思議な経験をしている。

 

 

ただ、私はそれでも、そのチャネラーの話は半信半疑にしか受け止められなかった。

何故なら、その中に出てくる名前が、あまりにも偉大なものだったから・・・

そのチャネラーは、私が神社の関係者にだまされたり、泥棒に入られたのは、前世の「贖い」だと言っていた。

 

でも、砂澤さんのこの本に書かれている話を読むと、実際に神はいるし、神は間違ったことを言わないし、何より神を頼り切ってお任せすれば、神様は絶対に救ってくださるという。

 

まずその事を守護霊は私に伝えたかったようである。

 

そして砂澤の話には「バカになれ、何も考えるな・・・」という話が出てくる。

つまり「無我」になれという。

そうしないと神様は出てこれないという。

 

口で「無我」というのは簡単だが、しかし「無我」とはどんな状態か?

実際に自分がそれを体験しないと解らない・・・・

 

 

で、フト気が付いたのだが、私は自分で言うのもなんだが、とても学習機能が働き、そしてとても努力家だと思う。

これって、一般的にいうと、良いことなのだが、努力して自分で何とかしようとすることは、実は「神さま」からすると、「任せて」くれないと、でてこれないということでもあるみたいに、最近いくつかの本を読むと思える。

 

しかも、人の「顕在意識」なんて、「潜在意識」に比べると、たかが知れていて、その努力なんて、神様から見ると微々たる力にしかならないという。

 

そして、自分で努力することは、言い換えれば「我」が強いということにも繋がる。

 

そのよい例が、私は思いついたことはすぐに実行するし、積極的にいろんな方面に売り込みを掛けたり、資料を全国の社寺に何度も送ったりした。

 

しかし、それらの行為で、仕事に繋がったことはほとんどない。

 

で、実際に仕事に繋がったものは、ほとんど依頼主の方から、ネットのサイトを検索して連絡を入れてきたものである。

その結果、仕事のしたものの中には、いくつも不思議な経験をしている。

 

今までは、その因果関係は不明だったが、どうも今回砂澤さんのこの本と出合ったのは、守護霊が、「自分で動くな、バカになれ・・・」と言っているように思える。

つまり、それらの縁を繋いだのは、「神さま」だったということになる。

だからそこに不思議な経験が絡んできた。

 

そうして「神様」を信じ切って疑うな!!

そうすれば、すべては神様が「縁」を繋ぐと言っているように受け取れる。

 

しかし、それって、簡単なようで私にはとても難しい。

無意識に「努力」してしまうから・・・・

 

そのあたりのことを、守護霊にいろいろと尋ねるのだが、あいにく砂澤さんのように、直接「ことば」で私は受け取れるほどの霊能力がないものだから、なかなか守護霊からの導きの意味が理解できない。

 

ただ、今回私の人生で最大の試練を与えられているようだが、しかし先日の「夢占い」の話に出てくるような、不思議な夢を2つも見ている。

 

その内容からどう考えても、守護霊のメッセージだとしか考えられないのだが、しかし今回の試練の「出口」が見つからず、絶体絶命のピンチを現在経験している。


何分以前にチャネラーから言われた「御霊遍歴」がとんでもない人々だから、もしそれが事実だとすると、今回の試練はとんでもなく、壁が高いと言える。

(資)文化財復元センター  おおくま


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