「思いやりのチャクラ」キャロライン・メイス著 その2
外国の著書の翻訳本と、日本人が日本語で書いた本では、少し違いがあり、多くの海外の訳本には、「○○に捧げる」とか、あるいは短い格言のようなものが必ず書かれている。
人生には、ふたつの生き方しかない。 ひとつは、奇跡など存在しないかのように生きる生き方。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きる生き方だ。
—–アルバート・アインシュタイン—
いい言葉である。
私はすべてが奇跡とまではいかないが、数多くのシンクロニシティを経験しているから、奇跡を信じない人生は送れない。
また、自分の経験したことを信じるから、最終的に自分の力の及ばない「目に見えない不思議な力」を否定できなくなり、それが最終的には「神の存在を信じる」こととなった。
人間は、人が宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部だ。人は自分自身や自分の思考や感情を、他者から切り離されたもののように体験するが、それは意識の錯覚にすぎない。私たちはこの錯覚にとらわれ、自分間欲望や自分の近くにいる数少ない人たちへの愛情に自分をしばりつけている。けれども、私達は思いやりの対象を広げてことで、自分自身をこの錯覚から解き放ち、あらゆる生き物と自然全体をそのあるがままの美しさのもとで受け入れなければならない。——–アルバート・アインシュタイン——-
アインシュタインは、単なる物理学者ではなく、霊的レベルの非常に高い人であったらしい。
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人の身に起こる出来事の意味を説明しようとすれば、そもそも神はなぜ人間を作り出したのかと考えずにはいられなくなる。
私達はなぜここにいるのだろう。
私達はどこから来たのだろう。
私達はどこへいくのだろう。
———— 中 略 ———–
人は白か黒かと言うはっきりした答えを好み、その両方や灰色では満足しない。
人は単純に神学に従って生きたいと願う。
ようするに、良い行いに対しては驚くほど素晴らしい祝福が与えられ、悪い行いに対して与えられるのはその残りものだけと言うような、すっきりしたわかりやすい神との関係を求めているのである。
しかし、いくら宇宙に法則があるとはいえ、人生はそれほど単純なものではない。
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私は、彼女の神や霊に対する造詣の深さを褒めたのだが、まさに言われている通りだと思う。
例えば「法則」と言えば、「引き寄せ」を意味するものと思われるが、多くのニューエイジと言うのか、この手の指導者と言うのか、著書を売って儲けている輩は、「願えば必ずかなう」と言い、かなわなければ、イメージが足らないとかのたまうのだが、私はそれが叶うものは一部であり、それ以上に大きな力を持った存在があることを、最近知った。
そして、神は1万年以上前に地球に移住してきた高等生物の異星人を創った。
そしてその高等生物の遺伝子操作で、我々人類は創られたと言う説があるが、どちらにしろ二次的には神によって創られたものだと信じる。
その神の意思と、我々のような意識の3%しか自覚できない我々の脳みそが考えることが、同じであると思うことが、神にとっては冒涜なのかもしれないし、我々が思う以上に我々のことを思ってくれての結果が恩寵として与えられるのではないだろうか?
この本には面白いたとえ話がある。
在るガソリンスタンドに乗り付けた男が、店員に聞いた。「この町に住んでいるのはどんな人たちですか? 引っ越してこようと思うのだが」すると店員が「そうですね、お宅が出てくる町の隣人はどんな人たちですか?男は「口の悪い連中で、誰の事も褒めない人たちだ」店員は「おやおや、この町の人たちもまったく同じですよ」しばらくして別の男が同じ質問をした。すると店員は同じことを聞いた。おとこは「そうだね、親切な素晴らしい人たちだ」また店員は「ここの人たちもまったく同じです。」
このたとえ話はよく聞くのだが、私は常々、「物事はそれを発するものの責任より、受け取るものの責任が大きい」と言い続けているのだが、その意味を解する人はほとんどいない。
同じことで、津留晃一さんの話にも同じことが書かれているが、自分を取り巻く世界は「自分の内面の鏡」であり、自分が変わらない限り、自分の居場所を変えても、結果は同じだと言う。
ここにはいくつもの「祈り」の言葉が記されているのだが、その一つ
平安の祈り神よ、私にお与えください。自分に変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変えていく勇気とそしてその違いを見分ける知恵を。今日一日を生き、いまと言う瞬間を楽しみ、苦難を平和への道として受け入れながら、自分の感情を捨て、主がなされたように、この罪深い世の中をあるがままに受け入れながら、この世では適度な幸福を得て、天国では主の隣にで永遠に最高の幸福を得るようにという、主のご意志にすべてをゆだねのなら、主は、全てをふさわしいものにして下さると信じて。———ラインホールド・ニーバー———-
(資)文化財復元センター おおくま