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人生に与えられた使命
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私は2年ほど前から、ずいぶんと精神世界の本を読み始めた。
 
元々私は自問自答して答えを得てきた者で、知識より思考を重んじるものだから、技術書を除いてほとんど本を読んでこなかった。
たぶん30代からだと思う。
 
それをこの二年間で、百数十冊とこの手の本を読んでみた。
 
それは、人生で最大の試練を与えられているようで、過去において守護霊が仕事の上でもソレナリに守ってくれていると感じていたが、最近それが感じられなくなり、その答えを求めて、本を読みだした。
 
 
過去においても、よく自問自答をしていると、その答えがテレビの番組の中に在ったり、目にした本に書かれていたりしたので、それを求めた。
 
私には俗にいう「霊感」は無いようで、直接神の声を聴くこともなければ、ヘミシンク(Hemi-Sync)やチャネリングは、私にはどうも効き目がない。
 
 
 
そんないきさつでずいぶんと本を読んだ。
精神世界と言っても、神道や仏教だけではなく、霊能者が書いた本やニューソートや引き寄せの法則などもいろいろと読んだ。
 
読んでいるときはそれぞれ納得するのだが、しかし少し時間を置くと矛盾点が見えてきて、それを信じ切れない面が見え、また違う本を読む・・・
 
 

 
そんな感じで堂々巡りなのだが、しかしそれは平面的に観れは行ったり来たりに見えても、それを横から見ると少しずつでもらせん状に上に上がっていると思う。
 
そんななか、私は若いころから「慢性胃潰瘍」で、心配事があると胃に来る。
 
ただ、離婚して最初に付き合った若い女性は、「悩まない」「落ち込まない」「深く考えない」の三拍子がそろっていて、最初はそれは彼女の欠点だと思ったのだが、いずれそれは僕にない彼女の「長所」であることに気が付いた。
 
 
つまり、悩んでも解決できないことが、時間が経つと解決したり、落ち込むことで悪いものを引き寄せたり、深く考えても結局堂々巡りから抜け出せなかったりするから、自分の受け取り方を変えると、短所が長所に変わった。
 
それから、私はその彼女の長所を少し吸収した。
つまり、胃に来そうになると「意識を他に振り向ける」ことで、慢性胃炎を回避してきたのだが、それでもやはりストレスがたまると、時々は胃に来る。
 
 
その時の常備薬が「ガスター10」なのだが、高橋信次の本を読んで、少し不安が消え、心が安らぎ始めた。
その結果、まさに慢性胃潰瘍が消えた・・・
手元のがスター10はその後一度も飲んでいない。
 
 
これは釈迦も似たことを言っているようで、不安の元は自分が作り出しているものだから、それを取り除けば、心は安らぐ。
 
 
その後もいろんな本を読み進める中で、どんどんわかって来たのだが、我々は自分で不安の元を作り出しているようである。
 
 
それは我々が普段認識しているこの世界は、実は「」であり、その世界を我々は五感を通じて感じているから、そこで「不安」が生じるらしい・・・
 
つまり目の前の見える世界に惑わされなくなれば、不安は消え、心は安らぐと言うことらしい・・・
 
これは私もやっと理解できるようになった。
しかし、理解はできても「納得」ができたか?というと・・・・
 
 
まだ、そこまで行っていない。
 
また「神に委ねる」と言う言葉も、やっと理解できるようにはなった。
されど、まだ左脳で、理屈でモノを考える癖が抜け切れておらず、また根っからの努力家だから、無意識のうちに自分で何とかしようと行動を起こしていたりする。
 
頭では理解できても、まだまだ納得がいくところまで達していないのだが、どうも我々の人生は、自分の意思で決められるものでは無いようで、自分にできることをしながら、神に全てを「委ね」、その結果に「拘らず」、また他人も自分も「裁かず」、そして「自他一致」を忘れずにおれば、神は神としての仕事をしてくれるということらしい・・・
 
だから、我々がなぜ人生を生きるかということは、その「」に達するための修行の場ということになるようである。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
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